林檎〜蝶

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林檎〜蝶

今日こそ告げよう……。  あるあがままを伝えるだけなのに、鼓動は張り裂けそうに私を押し潰そうとする。 ーーーーー  美羽はちんまりしている。  まるで中学生くらいで成長が止まったように。  美羽は自動ドアが苦手だ。  よく感知されずに挟まれそうになっている。  美羽はうっかり物である。  天然を通り越して、周りをひやひやさせる。  そんな美羽は誰よりもかわいい。  私にとっては……。  二人の関係は、キスフレ……というと少し寂しい気がする。  女の子同士でおかしい?笑いたければ笑えばいいし、罵られてもかまわない。むしろ女の子同士だから成り立っている関係なのかもしれない、と今は思っている。  美羽は私の職場の後輩で、大学二年生だそうだ。「だそうだ」というのは、私が大学というもののシステムをあまり知らないからで、ほぼ毎日アルバイトに来ているにも関わらず、なぜか進級だけはできるようになっているらしい。  私はというと、高校を卒業してすぐ製菓の専門学校に入学し、このお店『Home,SWEET home』で修行させてもらいながら菓子職人を目指している。仕事をはじめて数ヶ月、やっと作業の流れにも慣れてきたというとき、美羽はこのお店にやってきた。 「みなさん、新しい仲間を紹介します。桜花女子大学1年生の東雲美羽さんです。仲良くしてくださいね。」  ああ、この子はお嬢様なのかな?それが第一印象だった。そのころは美羽はまだ1年生で、初々しい笑顔で、女の子から見ても「かわいい」という表現がぴったりだった。  背は小さく、華奢な体。ふんわりとパーマのかかった軟らかそうな髪は、肩に少し届かないくらいの長さ。ここら辺のお店の中でも人気の高い、ふわっとした制服をだぶついた形で、それでもなんとか着こなしていた。 接客の仕事はこういう子が似合うんだろうな……などとぼんやりと思っていたのだけれど…。  ちなみに店長はじめ、職場の男たちの丁寧な態度は、うちの店のモットーらしい。漫画なんかでおなじみの「おう新人!しっかりがんばれや!」的なやり方では、従業員もお客も、お上品な人間は離れていってしまうという考えから、徹底しているんだそうで……職人の世界とはいえそういうところはやりやすい職場だと思っている。  そんな職場で、美羽は初日から元気に明るくがんばっていた。そう「がんばって」いたんだ。 「深草先輩……ですよね?よろしくおねがいします。わたし、アルバイトとか初めてで…なにもわからないんで色々教えてくださいね。」  ちょうど休憩が同じ時間に重なり、美羽は「がんばって」私に声をかけてくれた。  こういうのは先輩が気を利かせてこっちから話しかけてあげないといけないのに……ほんとうに美羽は頑張り屋さんだった。 「あ、東雲さんだったよね。こちらこそよろしく。私、接客のことは教えられないけど、お菓子のことなら何でも聞いてね。あ、そうだ。もうネームプレートは書いた?ここってネームプレートは手書きすることになってるの、聞いてるよね。」 「あ、はい。まだ書いていなくて……というか書くもの持ってなくて……。」 「じゃあ私のペン使う?結構いろいろ持ってきてるよ。」  私はさばさばして男みたいな性格だけど、それなりに女の子らしくかわいいものも好きだったりする。  ロッカーに常備している、ぱんぱんに膨らんだペンケースから、黒の油性マジックと12色でそろえた色ペンを取り出し、休憩室のテーブルの上に並べた。 「かわいいー!先輩、これ使わせてもらっていいんですか?」 「好きに使っていいよ。名前の横にはイラストとかも描いていいし、かわいく仕上げちゃってね。」 「ありがとうございますっ!わー、何書こうかなぁ!」 「あ、一応名前だけは黒マジックでフルネームね。」  そういうと自分のネームプレートを手本代わりに見せてあげた。『深草真夕』と書いた横には赤と緑のペンでりんごの絵を描いてある……。  それを見ながら美羽は、工作に夢中になっている小学生のように……必死にネームプレートの用紙にかじりついた。  これでもかというような丸文字で『東雲美羽』と書き(画数が多いのにすごいな)、その横に少し迷った後、大きな蝶の絵を添えた。蝶の輪郭はピンク色で、これもまん丸で、いかにも女の子というかわいらしいネームプレートが完成した。 「かわいくできたねー。これでお客さんウケもばっちりだよ。」 「ありがとうございます。先輩のりんごもすっごくかわいいですよ。」 「そ……そうかな……ありがと。」 「でも、先輩はなんでりんごのイラストにしたんですか?」 「ああ……それはね……。あ、もう休憩終わるし、また今度教えてあげるよ。」 「はいっ。いいなっいいなっ。」  そのとき初めて感じた美羽の違和感……それは大学生にしては幼すぎる……という感じだった。  箱入りだったお嬢様は社会に出たら、普通こんなものなのかな……とも考えたけれど、それとは違うおかしな感じ。  まるで、中学生くらいの女の子を相手にしているような……。 ―――  それから数ヶ月が経ち、私と美羽は慣れた感じで私の部屋で並んでお茶を飲んでいる。今では、お店の外ではお互いに『みう』『まゆたん』と呼び合っている……が…… 『たん』っていうのは……まあ、それは美羽がよければそれでいいか、と諦めている。  美羽がしょっちゅう遊びに来るようになって、一緒に飲むための紅茶の種類が増えた。ティーカップもお揃いの、ちょっと贅沢なものを買った。 写真をきれいに撮りたくてスマホに機種変更したし、美羽がゲームセンターで取ってきたでっかいぬいぐるみもなぜか私の部屋の一員となっている。美羽に出会って私の生活もだいぶ変わったな……。 「ねぇ。まゆたん。ちゅぅー。」  ちょうど、お店の残りのケーキを食べ終わったところで、美羽はべったりと甘えてきた。  私はそっと美羽の手をとり、軽く目を閉じて美羽と唇を重ねる。美羽の唇は、いつも柔らかくて温かい。  私は、人の体がこんなにも温かいんだ、と美羽と今の関係になって、初めて知った。今まで少しなら男の人ともお付き合いしてきたし、体の関係もなかったわけではない。だけど、それまで人に感じていたのは、欲求から発せられる熱さと、ただ体と体、肉と肉とがぶつかり合う感覚のようなものだけ。こんなに優しいぬくもりは知らなった。 「みう……」 「えへっ」  少し照れながらも、無邪気な笑顔を浮かべ……そして……心の時計で5秒ほど経っだろうか……美羽は少しさみしげに目を伏せた。何かの痛みに耐えているように、つないだ手にきゅっと力がこもる。このさみしい顔を見るのはもう何度目だろう。これが美羽に対して感じるもうひとつの違和感。  それは、美羽の印象をがらりと変えたあの日から積もり、重なっている。 ―――  時は少し戻り、12月25日。クリスマス。  クリスマスの2日間は洋菓子店が最も忙しい日だ。1ヶ月前から受け付けた予約は早々にいっぱいになり、それを(さば)くだけでも大変なのだが、それに加え当日のカフェ利用のお客のオーダーにも応えなくてはならず、厨房は早朝から休む間もない。  お客からは、保冷剤の量が足りないだとか、思ってたケーキより小さいだとか、持ち帰り途中で落としてしまったからもうひとつ売ってくれないかとか……様々な注文が降りかかってくる。  普段の何倍もの作業量に、昼過ぎにはもう筋肉痛が限界を迎えていた。 「真夕ちゃん、いまのうち休憩いっとこうか?」 「あ、でも、先輩たちが……。」 「まあ、大変だけどね……休むのも大事ってこと。まだ新人なんだから、こんなとこで潰れちゃうのはもったいないって、僕は思うんだ。だからちょっとだけ体、休めておいで。」 「あ……ありがとうございます!店長!」  店長の厚意に甘え、休憩室に向かう途中、ふと客席に目を向けるとやっぱり美羽はがんばっていた。  トレーを抱えながら、お客の注文に笑顔で応えている。こんなに大変な二日間なのに、美羽は一度も笑顔を絶やしていない。  私は菓子職人になるためにがんばっている。それならわかりやすい理由だ。だけど、普通の女の子……いや……もしかしたらお嬢様である美羽が、そんなに稼ぎがいいわけでもないアルバイトにこんなにがんばれるのが不思議でならなかった。  疲れきって、半分しか食べられなかったお弁当を前に、私は美羽の笑顔を思い出していた。 「東雲さん……なんであんなにがんばれるんだろう……そう……ちょっと臭い言い方だけど……輝いてるよね。」 「がんばる……」がんばるって何だろう?これも臭い言い方、かっこつけてるだけだけど……私は、自分でレールを敷きながら必死にその上を走っていくことだと思ってきた。でも美羽の「がんばる」は私のとは何か、決定的に違うんだ……  私はいつの間にか、美羽の笑顔に惹きつけられていたんだ。一緒に働く仲間として?それとも……  友達……後輩……いろんな言葉を浮かべたけれど、美羽に対する思いが何なのか、そのときにはしっくり来るものを見つけることはできなかった。 「お疲れ様でーす」  私が美羽のことを考えるのをいったん止めようとした瞬間、元気な声が休憩室に響いた。 「あ、深草先輩。クリスマスってこんなに大変なんですねー。」  美羽も休憩をもらったらしい。私に軽くお辞儀をしてから向かいの席に腰掛ける。 「東雲さん、忙しいのにずっと笑顔で、すごいがんばってるね。関心しちゃうよ」 「えへへ。でも、なんだかすごく楽しいから、がんばってるっていう感じでもないんですよ。」 「ほんと、すごいなぁ。私も見習わなきゃ。」 「あ、それと、先輩も美羽ちゃんって呼んでくださいよ?もうお店のみんなは美羽ちゃんって呼んでくれてて、苗字で呼ぶのは先輩だけなんですから。」 「あはは……そうだね。美羽ちゃん。じゃあ、私も真夕でいいからね。」  少しの間沈黙が続いた。そういえば……美羽が食事を取ってるとこ、見たことない……。  そのことに触れようとした一寸前に、美羽が口を開いた。 「あの、忙しい時期なので言いにくかったんですが……ひとつお願いがあるんです……。」 「な、なに?私にできることなら協力するよ。」 「それが…あの……明日なんですが……。お誕生日のケーキをひとつ予約できないかなーって。あの……ほんとに小さなものでいいので……。」 「ああ、そんなこと?大丈夫、私から店長にお願いしてみるよ。明日ならきっと作ってもらえるはずだから」 「あ、ありがとうございます!」 「いやー。私の力じゃなくて、あくまで店長へのお願いだし、それにそこは商売商売!で、チョコプレートの名前、誰宛にすればいい?」 「え、えっと……ちょっと言いにくいんですが。『みうちゃん』でお願いできないでしょうか?」  みう……ちゃん? 「それって……もしかして自分用だったりするのかな?」 「はい……自分で自分のバースデーケーキなんてかっこ悪いから、ほんとにそれだけは内緒で。」  なんで?なんでこの子は自分の誕生日ケーキなんか……。 「美羽ちゃん?お誕生日は大学のお友達とか、家族の人とか……。誰かお祝いしてくれるんじゃないの?」 「それがお友達も、家族も、私のお誕生日なんか……忘れちゃってるんです」 「そんなことないよ!きっと美羽ちゃんを驚かそうとして……」  と、その先を言おうとして私ははっとした。これは……超巨大な地雷を踏んだに違いない!  もし、美羽にサプライズをしようとしているとしても、誕生日の予定が空いているかくらいは確認しているはずだ。それが誰からもないからこそ、美羽は自分の誕生日ケーキなんかをみんなに内緒で用意して……  でもなんで誰も彼もがこの子の誕生日を忘れるんだろう。もしかして、いま流行の、ぼっち、というやつだろうか。でも、こんなに明るくてかわいい子をみんなが?家族までもが無視するなんて…… 「なんか嫌になっちゃいますよね。みんなに忘れられちゃうなんて。わたし『Home,SWEET home』以外ではほんとにひとりぼっちなんです。」  本当に……この子はひとりぼっちなんだ。だから?こんなにがんばろうとしていたのは。  美羽がこの場で泣いてしまうのではないか?そう思い、必死に慰めないといけないという考えが働き、声をかけようと美羽の顔を見た。そこには…… 「えへへ」  いつもの……いや、いつもよりももっと輝いている美羽の笑顔があった。私は言葉を失い、急に胸が……心臓がきゅうっと締め付けられるような感覚に襲われた。  なんで笑えるの?  なんともいえない、切ない気持ち。まだよく知らない美羽の心の深くを想うと、何かしてあげたい、という思いでいっぱいになった。私に何ができるだろう。  そうだ! 「ねえ、美羽ちゃん。美羽ちゃんのバースデーケーキ、私に焼かせてくれないかな?」 「え……?」 「美羽ちゃんのケーキ、私、作りたいの!それでね……私と一緒にお誕生日のお祝いしよう?」  美羽の顔は一瞬固まり、そしてさっきとは別の、初めて見る笑顔に変わった。優しい笑顔の美羽は、なんだか本当にかわいい。 「真夕先輩。お願いします!」  といっても、新人の私にはケーキ作りのほんの一部の作業しか任されていない。仕事としてひとつのケーキを焼き上げることなんてまだまだ先のこと。私は店長と交渉して、仕事が終わってからの時間に特別に厨房を使わせてもらうこと、その日の片付けは全部自分ですることを条件に、バースデーケーキを作ることを許してもらった。  幸いにも、美羽の誕生日、12月26日はクリスマスの次の日ということで、夕方には閉店することになっている。  先輩たちが全員帰宅した後、私は気を引き締めてケーキ作りに取り掛かった。店長は店の〆の作業があるからと、一緒に残って色々と指導してくれた。  私が作るケーキは……  時計は21時を回っていた。  最後まで付き合ってくれた店長に何度もお礼を言い、美羽を待たせてあるファミレスに向かう。  ファミレスの前に着くと、窓側の席に座り、メロンソーダをちゅーちゅー飲んでいる美羽をすぐに見つけることができた。寒い時期でもホットコーヒーとかココアとかじゃなく、メロンソーダなところが美羽らしくてかわいい感じ。  店内に入り、美羽のいる席まで近づくと、美羽もこちらに気づき手を振った。 真冬のファミレスは、風の吹き付ける屋外とは違い、ぽーっとしてしまうほど妙に暖かい。  それにしても……  今日の美羽はいつもに増してかわいい。オフホワイトのワンピースにロングブーツ。アクセサリーは控えめで、シンプルだけどきれいに着こなしているところが、やっぱり美羽らしくてかわいかった。  大きく開いた襟元から覗く鎖骨にどきっとする。なんていうか……男の人はいつもこんな風に女の子を見ているんだろうか?私、今日はなんだか変だ。ぽーっとするのは暖房のせいだけじゃないみたい。  それに比べ私は……今年の秋に買ったとはいえ、決して上品でないデニムパンツにスニーカー、ざっくりのニット……と……真っ黒のダウンジャケット。これはひどいな。誕生日ケーキのことで頭がいっぱいだったとはいえ……こんな大事な日になにしてんだ! 「えっと、とりあえず食事しよっか……まだだよね?」 「はい。」 「ごめんね、こんなに待たせちゃって。おなか空いたでしょ。」 「いえいえ、ぜんぜん平気ですよ。先輩を待ってる間も楽しかったから、だからそれも素敵な時間でした。それに……。」  美羽が窓の外を指差した。  さっきまでぜんぜん気がつかなかったが、真っ白な雪がちらりちらりと舞っていた。よく見れば髪もダウンジャケットも、少し濡れている。私、久しぶりの雪にも気づかないほど、必死だった。 「わたし、雪を見てると、昔の……まだわたしがわたしだったころを思い出すんです……。」 「なぁに?意味不明だよー」  美羽の不思議な言葉に笑って返す。 「あ、急に変なこと言っちゃいましたね。ごめんなさい。せっかく先輩が素敵な時間をプレゼントしてくれようとしてる時に。」  えへへ、と美羽はまた、満面の笑みで私の言葉を遮った。  ファミレスでは雰囲気がでないから、おめでとうの言葉はとっておいて、とにかく食事を済ませる。  こんなことなら、夜景の見えるちょっと小洒落たレストランに……なんて、バブル時代の男子みたいなことも考えつつ、あまりおいしいとはいえないハンバーグを食べ終え、店を後にした。  まだ雪のちらつく中を、私の部屋まで二人で並んで歩く。 「うわー。今日、ほんと寒いねー」 「えーっ。わたしは先輩と一緒だから心はあったかですよ。」  ほんとうに……いつも美羽はきゅんとすることばかり言う……。 「でもね、やっぱりわたし、冬は苦手……かな。」 「そうなんだ。その、さっき言ってた昔を思い出すから?」 「そうですね……あの時は本当に寒かったから。できれば毎日あったかがいいですね。」  私はなんだか、笑顔の美羽とは繋がらない、寂しいものを感じ始めていた。誰にだって悩みや悲しいことだってあるのはわかっていても、そういうのとは少し違う何か……  美羽を私の部屋に案内すると、旅先で買った、うちにある唯一まともな紅茶にお湯を注いだ。  私の部屋は一人暮らしの1DK。菓子職人見習いの専門学校生には少し贅沢な間取りだ。  いつの間にか部屋のインテリアに加わっていた砂時計をひっくり返し、砂が落ちきるのを待つ。何を話していいかわからず、じっと青い砂を眺めていた。  十分に蒸し出されたお茶を、お客様用のカップと、自分の普段使いのマグカップに注ぐ。そして、肝心のケーキが入っているお店用の箱を大事にテーブルの上に置いた。 「美羽ちゃん開けるよ」 「はい。すごく楽しみです」  開封側のつめに指をかけ、そおっと美羽のバースデーケーキの入った箱を開封する。 「美羽ちゃん、お誕生日おめでとう!」 「わあ!ありがとうございます。えっと……りんごのシブーストですね!」 「そう。私のね、一番のお気に入りなんだ。前にね、りんごのイラストの話したよね。ネームプレートのとき。だから、美羽ちゃんには絶対これを食べてほしいって思ったの。」 「うれしい!ほんとに……ありがとうございます!あ、『HAPPY BIRTHDAY♪みうちゃん』って!」  ケーキの上にちょこんとのせられたチョコプレートも喜んでもらえて、私は少しほっとした気分になった。正直、美羽からにじみ出る寂しい感じに焦っていたから……  もちろん記念撮影もバッチリ。ケーキをひと口ふた口ついばんで、お茶を飲み、お互いに微笑みあう。そんな間も私は話題を探すのに必死だった。急に距離の縮まった友人というのは、何かと気を使ってしかたない。  そうだ! 「このりんごのシブースト、私の思い出の味でね、菓子職人になろうって思ったきっかけでもあるんだ」 「あ!真夕先輩、そのお話、わたし気になってたんですよ?」 「そっかそっか。でね、思い出のりんごは私のおじいちゃん、もう亡くなってるけど……おじいちゃんとおばあちゃんが作ってたものだったの。おじいちゃん、毎年りんごが採れたらすぐに私宛に、箱いっぱいに送ってくれて。」 「わあー。いいなぁ。りんご食べ放題!!だから先輩のお肌ってそんなにきれいなんですねー!ビタミンCで育ちましたーみたいな?」 「ははっ。ビタミンCだけじゃ人間育たないよ。でも、ほんとにおいしかった。」  こんな風に誰かに昔の話をするのは、きっと初めてだ。 「私のおうちは、お父さんとお母さんと私の3人だけで、両親共働きだったからお母さんと過ごす時間ってほんとに少なくて。ずいぶん寂しいって思ってたんだ。お休みの日もお買い物だとか、何かの用事についていったりだとか……本当はおうちで3人ゆっくりと過ごしたかったのに。でも、両親の事情も子供なりにわかってたから、いつもいい子でいようとした。今思うとつまらないことだよね。それが、私の覚えてる限り、たった一回だけわがままを言ったことがあるの。何歳のときだったかは忘れちゃったけど、お母さんにね、今日はずっと一緒にいて、って。」 「お母さん……」  美羽も母親のことを思い出してるんだろうか?美羽も一人暮らしらしいし、最近お母さんに会ってないのかな? 「そしたらね、お母さん、ちょうど届いたばかりのりんごでお菓子を作ろうって言ってくれて。二人でお菓子のレシピ本をめくりながら選んだのが、りんごのタルトだったの。その頃は本格的なシブーストなんて作れなかったけど、それが原点なんだ。だってね、お菓子作りなんてほとんどしたことがなくて、すごく難しかったはずなのに、お母さんすごく頑張ってくれて、すっごく楽しくてずっと心の中に残ってるお母さんとの思い出なんだ。」  私の特別、美羽に伝わったかな?  美羽の表情は……  無かった。表情が全くない……心がここにいない、感情もない。いつもの美羽からは想像もできない、漆黒と言ってもまだ足りないくらいの影。もしかして、美羽の本当の姿? 「お母さん……ごめんなさい……。」  お母さんが誕生日を忘れる……なんていう普通じゃない状態だってわかっていたのに。どうして私は母親の話なんかしたの?私の大馬鹿!  良くわからないけれど、私は美羽を守りたいと思った。そして、美羽をぎゅっと抱きしめていた。なぜだか「大丈夫、大丈夫だよ」と繰り返しながら。  脱力していた美羽だったが、しばらくして私の腰に手を回し子供のように身を寄せた。 「ありがとうございます、真夕先輩」  美羽の顔には笑みが戻っていた。 「こんなに人と触れ合うのって何年ぶりかなぁ。すごく安心しちゃった。」  美羽は、こんなにかわいいのに彼氏とかいなかったのだろうか? 「せんぱぁい、お願いがあるんですがいいですかぁ?」 「なに?なんでも聞いちゃうよ?」 「わたし、実はキスしたことないんです。先輩とキスしたい……れす。」  ちょ!この子は何を言い出すんだ!?  彼氏がいなかったっぽいのは証明されたが、この急展開は予想していなかった。まさか女の子からこんな告白をされるのは人生初で、とまどっているのれす……ってあれ…!?  暑い!っていうか熱い!  そうか、ケーキの味がなんかおかしいと思ったら、ラム酒のアルコールが飛んでなかったのか。で、私たちはすっかり酔っ払いで……  赤らんだ顔の美羽は……かわいかった。超かわいかった。ドキドキが止まらない。  お酒のせいだけじゃなかった。きっと運命。  私と美羽は唇を重ねた…… ―――  それから、私は美羽と一緒にすごす時間を積み重ね、たくさん思い出を作り、いつのまにか美羽が隣にいるのが当たり前になっていった。美羽は大切な存在だ。何物にも変えられない、唯一の存在。だからこそ……私は今日、美羽に言わなくてはならない……  ぎゅっと、美羽を抱きしめてから、向かい合っていつもどおりキスをして……美羽の目を確かに見ながら話を切り出した。 「美羽。あのね。大事な話があるんだ」 ……次の一言を聞いて美羽は、真っ青になって泣き叫んだ。 「やだやだ!なんでわたしじゃだめなの?」 「そんなの、女同士だから無理に決まって……」 「じゃあなんでさっきキスしたの!?」  言葉に詰まった。恋人じゃないけれど普通にキスはする。そういう関係が心地よかった。お互いそうだったと思い込んでいた…… 「わたしは、わたしはまゆたんの彼女になりたかった、ううん、なってたと思ってたよ!?」 「ごめん、やっぱり私は、普通に恋愛して、結婚して、赤ちゃんがほしいんだ。」  私は彼氏ができたことを美羽に報告した。 「……だよね。」 「みう…」 「そうだよね……まゆたん、女の子だもんね。普通に生きてる女の子だもんね。」 「みうだってそうでしょ?」 「わたしは……」 『もういいいですかぁ?』  突然第三者の声が響く。聞き覚えの無い、甲高い女の子の声。 『どうもー。お迎えに来ましたよぉ。』 「とうとう来ちゃったんだね。」 『そりゃあ、ここまで魂を持続させたのだって特例中の特例ですからね。それに、もうお願いは叶ったでしょ?』 「こんな悲しい結果になるならお願いなんてしなければよかったな。」  美羽は突然現れたゴスロリ風の少女と親しげに話している。 「ちょっと、あんた誰?人の部屋に勝手に……」 『あ、あたしですかぁ?死神ちゃんといいます。よろしくですぅ。さ、美羽さん逝きましょうか。』 「そうね…。まゆたん、ごめん。わたしずっと嘘ついてた。ほんとはね、わたしもう死んでるんだ。それなのに、正直に話してくれたまゆたんに怒ったりして……ほんとにごめんね。わたし、もう行かなきゃ。」 「ちょっと、どういう……訳わかんない!私はこれからもずっとみうと友達でいたいんだよ!」 「じゃあね、まゆたん。」 『それではぁ。失礼しますねぇ。』 「待って!みうをどこに連れて行くつもり!?」  見ると、美羽とゴスロリ風少女の体は透き通りふわりと浮いていた。そしてそのまま天井をすり抜け消えてしまったのだった。  私はただただ、美羽の消えていった天井を見上げて涙を流すことしかできなかった。あの少女はいったい何者?美羽はどこへいってしまったの?それにもう死んでるっていったい……  ぐるぐると廻る謎と、悲しみ。結局、美羽への喪失感が大きすぎて、彼氏とは付き合う気にはなれず、すぐに別れた。そして、そのあとに残ったのはもう一度美羽に会いたい、という想いだった。
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