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林檎〜方翅
美羽がいなくなった……
不思議なことにそのことを覚えている人は誰もいない。『Home,SWEET home』のメンバーでさえ誰一人……
私は脱力感の中で毎日を過ごしていた。
二人の想い出は確かにここにある。この胸の中に確かに……二人で過ごした部屋だってそのまままだ。一緒に撮った写メだってたくさん残っている……無理を言って送ってもらった美羽の昔の写メを眺める……これ、中学生の頃の美羽だって……髪型以外は今とあんま変わんないや。
ふと背景に目をやる。この景色……知ってる!
緑の山々に囲まれた谷にかかる大きな陸橋は、確かに私の知っているものだ。
そう、これは亡くなったおじいちゃんの家の近くの景色に間違いない。
ここに行けば美羽について何かわかるかもしれない!
季節はまた冬を迎えようとしていた……
卒業間近の専門学校は冬休み。就職は結局、現在維持のまま『Home,SWEET home』に就職し修行させてもらうことになっている。
クラスメイトには海外に修行に出たりする者もいるが、私は美羽との思い出の残ったこのお店で少しでも働けることが嬉しいし、その時間を大切にすることが義務のようにも思われるのだ。
いつもより早起きした私は、髪を整え普段はあまりしないようなよそ行きのメイクをして部屋を出た。菓子作りに没頭してきた約二年間こんな風に出かけたのは、美羽とのデート以来だ。
キャリーバッグをごろごろと引っ張りながら駅へと急ぐ。ここから乗り継ぎを含めて新幹線で約三時間、駅弁を食べながら眺める車窓はどんどん緑を増してゆく。
生い茂った木々が、おじいちゃんの田舎が近いことを告げていた。そしてこれが、美羽の真実を知ることになる旅路であることを、私は薄々感じていたのかもしれない。
私のおじいちゃんの家、今は伯父さんの家は田舎の旧家で、代々林檎を栽培している。今でも林檎園は伯父さんの経営で健在だ。何日か泊めてもらうことになるかもしれないし、まずはその伯父を訪ねることにした。
「こんにちはー。」
先に連絡しておいたおかげか、伯父さんがすぐに玄関先まで出迎えてくれた。
「真夕ちゃん。よく来たね。大きくなったもんだ。ささ、上がりなさい。」
「お世話になります。」
挨拶を済ませ、居間に通される。居間には小さいながらクリスマスツリーが飾られていた。今日はクリスマス、明日は美羽の誕生日か……
「お茶。飲むだろ?」
伯父はあまり多弁な方ではない。そして風貌は無精髭こそ生やしているが、お母さんにどことなく似ているのだ。そういうところは、なんとなく一緒にいて落ち着く。
テーブルにお茶ときれいに剥かれた林檎が運ばれてきた。
「ほら、今年採れた林檎。真夕ちゃんまだ食べてないっしょ?」
「おじさん、ありがとう」
張り詰めた糸が切れたように、一気に涙が溢れた。涙はどんどんどんどん湧いてくる。
「どうしたんだぁ?」
「ごめんなさい、今ね私人を探してるの……すごく大事な人。」
「この近くにいるのかい?名前は?」
そうだ、伯父さんなら知っているかもしれない。
「東雲美羽っていう、私と同い歳の女の子。」
「東雲さん……まさか!?いや、そんなことは…。」
「何か知ってるの?」
「ぼくは詳しくは……今地図を描くから、そこを訪ねてみるといい。」
涙を拭き、林檎をひと齧りする。やっぱりこの味は懐かしくて落ち着くなぁ。
手渡された地図の行き先は意外と近所だった。門柱には『東雲』と表札が掛かってある。他人の家をいきなり訪ねるのは勇気がいるな……と思っていた矢先、玄関の引き戸を開けて一人の女性が出てきた。ここの家の住人だろうか?
「あの……。」
「あら?うちに御用かしら?」
「あの……私、美羽さんの友達の……。」
「あらまあ、美羽を訪ねてくれるお友達がいたなんて。さ、上がって頂戴。」
なんだ、優しそうなお母さんじゃないか。美羽のことをなおざりにしている様子もない。私は美羽の方からお母さんと距離を置いていたのかな?などと邪推を巡らせていた、がそんなものは次の瞬間ぶち壊されたのだった。
「さあ、どうぞ。」
通されたのは仏間。仏壇に掲げられていたのは見紛うこともない、大好きだった美羽の写真だった。ただ、違ったのは髪形がロングの黒髪ストレートで中学校の制服姿だったということ…。
「真夕さん、だったわね。今でも美羽のこと忘れずにお線香を上げに来てくれてありがとう。きっと美羽も喜んでいるわ。」
私は混乱した。今でも?美羽がいなくなったのは、つい半年ほど前のはず。誰も彼もがそんなにすぐに忘れるはずないじゃないか。それにこれじゃあ、美羽が死んだみたいに……美羽は変な少女に連れ去られただけじゃないの?
「あの、おばさん、美羽さんは……その……亡くなっているんですか?」
「え?もう五年前に亡くなっているわよ。もしかして知らずに…?」
「知りません……でした。だって、確かに私、去年まで美羽さんと一緒にいたんです。」
「そんな、やめて。おばさんをからかわないで頂戴。美羽は死んだの。殺されたの!」
涙を見せるおばさん。その姿を見ると嘘だとは到底思えない。だけれども、もう一度写真を、『遺影』を確認する。やはりそこに写っているのは、『あの』美羽だ。
「おばさんやっぱり私、美羽さんと会ってます!」
『はいはいはぁ~い。それくらいにしてくださいねぇ~。』
声のする方を見遣ると、そこには半年前に確かに見たゴシックロリータ風の少女が浮かんでいた。
『お久しぶりですぅ。』
「あんたはっ!」
『死神ちゃんですぅ。』
「美羽をどこに連れて行ったの!?」
『お母さんのお話を聞いてませんでしたか?美羽さんはとっくの昔に死んでるんですよぉ。』
「美羽は死んでなんかいない。私は確かに美羽と話して触れ合って、愛し合ったんだ。」
『それはですねぇ、結論から言いましょうか?一種の幽霊みたいなもんですよ。』
「美羽がっ…、幽霊っ?」
『正確に言うと実体を持った霊体で、生きている人間とほぼ変わりないんですけどねぇ、中身は死んじゃった魂です。だから触れられたし、温もりもあったでしょう。』
「何……それ……私、化かされたの?」
『それも、ぶっぶ~ですぅ。美羽さんやあたしに悪意があってやったことではないのですよぉ。』
「ねえ、おばさん、どういうこと?」
おばさんの方を振り返ると、おばさんは時が止まったようにピクリとも動いてはいなかった。
『あ、一応あなた以外の時間は止めさせてもらってますねぇ。』
落ち着け。ここは一旦状況を受け入れよう。この子は死神…『ちゃん』。美羽はずっと前に死んでて、私の前に化けて出た幽霊。じゃあ……
「じゃあなんで美羽は幽霊にまでなって私の前に現れたの!?」
『それはですねぇ、美羽さんがそう強く願ったからですぅ。』
「美羽の願いって何。美羽はどうして死んじゃったの。おばさん、美羽が殺されたって言ってた。」
『美羽さんは中学校で酷いいじめに遭っていたんですよ。これは……そう、がんばりでは解決できないようないじめです。ある冬の夜、とうとう美羽さんは……自ら命を絶ってしまいます。そりゃあ、何度も私、死神ちゃんが止めに入りましたとも。それでも、美羽さんの意志は変わらず……ですが、美羽さんにはこの世に未練があったのでしょうね。天界がその魂の受け入れを拒んだのです。』
「そんな……酷いじゃない!」
『ですので、天界は美羽さんのお願いをかなえてあげることにしたんですよ。それは『普通に恋愛したい』というものでした。』
「『普通に』って……美羽は可愛いから恋愛なんていくらでもできたでしょ?何でダメだったの…。」
ヤバい。眉間が熱くなるのを感じる。何で普通が許されないの。そんな世の中はどうかしてるよ。
『それはですねぇ、美羽さんにとっての恋愛が、女の子と、っていう条件での普通だったからなんですよぉ〜。』
「え…。そんなの無理なのに……美羽……辛かったね……がんばったね……。」
辛かった美羽のことを思うと、自然に涙がこぼれた。普通にできない辛さ、厳しさ。それは味わった者にしかわからない。ほんの少しの幸せを求めることさえか叶わなかった美羽……今思うと、たとえ幽霊であっても美羽をもっと幸せにしてあげたかった。
「美羽は……幸せになれたのかな……?」
『それが……あんなお別れの仕方だったでしょう?やっぱり美羽さん、寂しいみたいで、成仏してくれないんですよぉ。』
心にグサリと突き刺さる物は後悔か背徳感か。私は美羽を裏切り、傷つけた。
この埋め合わせをどうすればいいのか……必死で考える。
今、私にできること。
それはたった一つ。
「わかった。私なりに美羽が成仏してくれるように努力したい。」
『あらぁ。ご協力いただけるんですかぁ?嬉しいですねっ。』
「だったら早く時間、戻してよ。」
『はいはぁい、わかりましたぁ。約束ですよぉ。』
そう言うと死神ちゃんの姿はすぅっと消え、時間が再び動き出した。
「おばさん……変なこと言ってごめんなさい。明日は美羽さんのお誕生日ですよね?」
「え?ええ。そんなことまで知ってくれていたの?」
「はい。私、美羽さんのバースデーケーキ焼いてこようと思うんです。いいですか?」
「良いも何も……そんなにしてもらえるなんて……。」
おばさんは嬉しさからか涙ぐんでいる。だって、私にはこれくらいしかできないもの。
伯父さんの家に帰り早速台所を借りる。作るのはもちろん、二人の思い出の味、りんごのシブースト、と行きたいのだが…、一人ではとても無理。従姉妹のハルちゃんに手伝いを借りて、りんごのタルトを焼く計画に入る。リンゴは伯父さんちに新鮮なものがいくらでもあるから準備は万端だ。
薄く延ばした生地をタルトの型に入れて一度焼き、そこにカスタードを流し込み、甘く煮たリンゴを敷き詰めもう一度焼き上げれば完成だ。
おっと、忘れちゃダメ。『HAPPY BIRTHDAY みうちゃん』のチョコプレート。
すごく喜んでくれたのを思い出す。
よしっ。これを美羽のお家に届けよう!と思ったのは夜中の二時。ひとまず夜明けを待った。
翌日、再び東雲家を訪れる。今日はケーキの入った箱も一緒だ。
「まあ、いらっしゃい。」
連日の訪問にも関わらず、おばさんは愛想よく出迎えてくれた。
……客間に通される。胸がぎゅっと押しつぶされる想い。
おばさんがお茶を入れてくれた。香りがいいからきっと上等なお茶なんだろう。それとおばさんのお茶の入れ方がいいせいかもしれない。
不躾かとも思ったけれど、早速ケーキの入った箱を手渡す。
「これ、美羽さんのバースデーケーキです。」
「まあ、ありがとう。開けてもいいかしら?」
「はい。」
箱の中から待ち構えたように溢れ出したのは、甘いりんごの香り。忘れもしないキスの味。あの時はアルコール分が飛んでなくて、酔っ払っちゃって二人とも変になっちゃったっけ……思い出すとまた涙が込み上げそうになる。
「まあ、素敵。これまゆさんが一人で作ったの?」
「ええ、一応菓子職人を目指しているので。」
「美羽もきっと喜ぶわ。今切り分けるわね。」
そう言って、台所へナイフを取りに立った。……とその瞬間、まただ!時間が止まる。そして聞き覚えのある甲高い声が響いた。
『どうもぉ~。わざわざありがとうございますぅ。』
「死神……ちゃん!?」
『ですよぉ~。』
「みうは?ちゃんと喜んでくれてる?」
『もちろんですぅ。その証拠に、ここに来てるんですよぉ。』
死神ちゃんの傍らを見遣ると、そこにはずっと会いたかった、会いたいと焦がれていた美羽の姿があった。
「みう……っ!」
戻ってきて……そう言いかけた。無理なことを知っているからこそ、何とか歯止めをかけることができる。今私にできることは美羽を成仏させてあげること。
「みう……辛かったね、がんばったね。」
そう言って美羽を抱きしめる、が身体はすり抜け空を切った。
『今の美羽さんは完全に魂だけの存在ですから、触れられませんよぉ。』
私はやっと美羽の姿を目の前にして、触れられない存在だと知って、初めて喪失感を味わうことになった。なんで実体のあるうちにもっと触れてあげられなかったのか、もっと愛せなかったのか、悔やむばかりだ。
『まゆたん、わたしを探してくれてありがとう。』
「そんな、当たり前だよ。ずっと会いたかったんだから。」
『ほんとありがと、わたしね死神ちゃんが言うように死んじゃってるんだ。自殺なんて洒落になんないよね。弱っちくて笑えない……。』
「そりゃ、自分で命を絶った事を庇う事は出来ないけど…、みうは精一杯がんばったんだよね?だって、バイトだってあんなにがんばってたじゃない。」
『バイトはね、まゆたんとお仕事できるのはね、ほんとに楽しかったんだ。わたしの人生で、あ、もう終わった後の人生だったけど一番楽しかった。わたしがわたしらしくいられたっていうか……えへへ。』
私は最後の言葉を美羽に贈る……
「みう、もうがんばらなくていいんだよ……。」
口を開くと共に涙がぽろりぽろりとこぼれた。
『わたしは……美羽は確かにまゆたんの愛を受け取りました。これで安心してあの世へ逝けます……。』
「そっか……行っちゃうんだね。」
『それじゃあ、今度こそ行きましょうかぁ。』
「またね……は、ないか。さよなら、みう。」
『バイバイ、まゆたん。』
ふわりと宙に浮く美羽の霊体。それは空気ほどに軽いことを物語っていた。やがて天井へと消えてゆくその姿を見送り、私はもう一生恋などできないだろうな、などと心に誓うのであった。
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