1/1
15人が本棚に入れています
本棚に追加
/14ページ

 義務教育という奴隷のような制度を経験した時から、勤め人としてアリのような生活をしている時に俺はいつも考えていた。失敗は恥ずかしいことであり、人前で失敗することは人生の汚点であると。 だから、人前で何かする事を極力避けてきた。 学生の時に自ら手をあげて発表者になったことはないし、仕事をしていても自分から意見を言って注目を集めるなんてことは絶対にやらなかった。 俺は人より優れているからこそ、恥ずかしがるのだ。頭の足りないやつはそんなことを感じもしないだろう。 俺は一つのことから、五つも六つも学びとれる。それは稀有な才能だ。いつも不思議に思うが、なぜあいつらは言われたことしか学べないのであろう。時々、同情で胸を詰まらせるよ。 しかし、失敗を惜しむからこそ、人よりも多感だからこそ学べたことがある。それ恥ずかしさや、良くない状況にある時、とりわけそれが手の施しようもないほど悪い状況の時、羞恥心や痛みは喜びに変わることだ。  例えば、子供の出し物で良くやる演劇。 俺はこの演劇というのが心底嫌いだった。自分の感情に背いて何かを演じ、読まなくてもわかるようなずさんな落ち、主人公だけがやたらと良い格好をしてそれ以外はただのお飾りであること。 一番はくだらない事を知っていながら手を叩いて喜ぶ大人たちだ。奴らが憎くて仕方なかった。  小学校三年生でやった白雪姫。俺は7人の小人の一人だった。7人もいればセリフは少ないだろうと踏んでいたが、予想に反してセリフは多かった。 しかも、セリフを7人で息を合わせて言う必要があり、それには四苦八苦した。 俺だけセリフをなかなか覚えられず、決められた場面でなかなか口が動かない。練習で失敗する度に小人の一人から小突かれて、焦りはいつもピークで口はカラカラに乾いていた。 練習でうまくセリフを合わせられたのはせいぜい二回くらいだ。俺は本番を迎える前から失敗するのがわかっていた。 そして、本番が来ないことを節に祈りながら、毎晩床についた。  どれだけ祈っても本番は来る。朝から頭が重くて、食欲もなかった。 水すら飲むのが辛い。鏡に映った顔はロウのように白く、表情というものが一切なかった。そこからどうやって学校に行き、本番までをどのように迎えたかを覚えていない。あまりの緊張でそんなことを考えられなかったのだろう。 失敗するのではないか?ヘマをするのではないか?と何度も何度も頭の中で自問自答をしていた。  気がつくと劇は始まり、俺は舞台の裏でまさに面前に出ようとしているとこだった。 小人の一人に押されてやむなく舞台に上がった。 カーテンの切れ目から見える親たちをどれだけ憎んだことか。 俺以外の奴らはセリフに感情を込めており、得意げな顔をして俺のことを見ていた。その表情に目をとられていた俺は、自分のセリフがきていることをすっかり忘れていた。 場が一瞬にして静まり返る。俺は自分が縮んだように感じた。背中は硬直し、顔に力が入る。 身動き一つ取れない。 全員の視線を受け、俺はなんとか言葉にならない声を発した。 それを観客は愛おしそうに俺の失態を笑う。 何もできない自分に嫌気がさしてくる。 歯を強く噛みしめながら俺は白雪姫役の女の子と小人たちを睨みつけた。 観客はその頃にはもう笑っておらず、心配そうに俺を見ている。 俺は我慢の限界に達しその場でじたんだを踏み、切り裂くような奇声を発した。 その時の舞台にいる奴らの顔は傑作だった! 困惑と恐怖でみんなの顔色がみるみるうちに真っ青になり、誰かに助けを求めるように左右を仕切に見渡してたな。 俺は身をよじりながら、先生が止めるまで奇声を出していた。さっきまで笑っていた観客の顔は強張り、広角のシワが嘲笑によって戻らないのを鮮明に覚えている。 あの時は痛快だった! 白雪姫の助けを求める顔、周りが鋭く俺を睨んでいたのが痛いほどわかった。 すべての鬱憤を晴らせたような気がしたよ。 これ以降、俺は同じ学年から気の狂った奴として扱われて、何度も辱められ苛まれるのだろうとわかるとそれがたまらなく嬉しかった。 ああ、全く、何時間でも道化を演じていたかったね。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!