花束なんていらないよ

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「おめでとう…おめでとう…」 「ありがとう、ヒロ」 彼女を受け止めながら、僕も思わず目頭が熱くなる。ヒロが寂しそうに呟く。 「ユウも仕事が見つかったのかぁ……私たちの長かった同居生活も終わりか」 「うん、そうだね」 「何だかんだ楽しかった」 ヒロは踵を返し、テーブルへ向かった。僕はその肩をぐっと掴む。 「……ユウ?」 ヒロの目には涙が浮かんでいた。頬を伝うそれは夕陽でオレンジに染まっていた。 僕は震える手を彼女の両肩に置く。 「……これからも一緒に暮らしちゃダメかな」 「…え?」 「ただの同居人じゃなくて、恋人として」 「……」 「僕は仕事もなければ、お金もないし、取り柄もなかった。でも、何故か幸せだったんだ」 「……」 「それはきっと、ヒロがいたから」 ヒロは黙って僕の話を聞いている。 「ヒロ」 「……はい」 「僕と結婚してくれますか?」 ヒロの目から涙が溢れた。それを拭うこともせず、彼女は口を開く。 「付き合って下さい、じゃなくて?」 「うん、一生一緒にいたい」 彼女の顔が一瞬で真っ赤になった。僕も自分の言葉を振り返り、照れくさくなって俯く。 「……全くプロポーズってムードじゃないけど」 そう言って彼女が笑う。仕事帰りの汚れたTシャツに履き古したジーンズ。ボロアパートの一室。部屋に漂う豚肉の匂い。ムードもへったくれもない。しまった。仕事が決まったらプロポーズすると決めていたばかりに気持ちが急いてしまっていた。僕は頭を抱えて悶えたくなる。 そんな僕の顔を見て、彼女が微笑む。どんな装飾よりも彼女の笑顔は美しい。 「僕と結婚して下さい」 手を差し出す。目をつぶって頭を下げる。 「……はい」 顔を上げると彼女が照れくさそうに笑っていた。 二人で顔を見合わせて笑った。 「……婚約指輪どころか、花の一本も買えなくてごめん」 「ううん。指輪なんていらない、花なんて、花束なんて要らないよ。私、何にも要らない。それくらい、幸せ」 しかしやはり何もないのは寂しい。僕はふと思いつき、テーブルに向かう。そして彼女の左手を取る。 「……何やってるの?」 「いいから────はい、出来た」 彼女の薬指には銀色が輝いていた。 ────指輪ではなく、パンの袋を止めていた針金製のビニールタイだが。 「これは何?」 「いつか立派なのを買うまでの婚約指輪」 「何それ、おかしい」 ヒロが吹き出した。僕もつられて笑う。僕は彼女に尋ねる。 「カッコ悪いでしょ」 「ううん……カッコ悪くなんてないよ、ユウ」 「さ、食べようか。せっかくユウが作ってくれたのに冷めちゃった」 「そうだね」 彼女の薬指が、窓から射す光でキラリと輝いた。
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