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その日から、ヒロは底抜けに明るくなった。
元々賑やかな人ではあったが、今は憑き物が落ちたかのようにあっけらかんとしている。
ヒロは二駅先の居酒屋で働き出した。お堅い仕事は嫌だから、と言って給料が良いとは言えない小さな店を選ぶとは、何とも彼女らしい。1ヶ月近く働いているが、どうやらしょうに合っているらしく毎日楽しそうにその日の出来事を僕に話す。一度脚本と距離を置いたのは正解だったのかもしれない。
3、1、2でドアがノックされる。玄関を開けると、ヒロが両手にレジ袋を抱えて立っていた。少し伸びた髪を後ろで無造作に括っている。夕陽に照らされた横顔が眩しい。
ヒロの手から袋を受け取り、部屋に運ぶ。中を覗くと、タッパーに詰められた豚肉が入っていた。
「お店から古いヤツ貰ったんだーそれ」
「食べられるやつ?」
「もう夏じゃないからそう簡単には腐らないよ。加熱すれば全然いけるよ」
ヒロが歯を見せて笑う。半袖に団扇片手に言われても説得力がない。まだ9月だ。肉をフライパンに出し、油と炒める。油が弾ける音が心地よい。それをBGMにもやしをパックから取り出す。
「大分主夫姿が板に付いてきたねぇ」
ヒロが外で働き出してからは家の事は専ら僕の仕事となっていた。
「不本意ながらね」
「その割には楽しそうだけど」
「そう?」
出来上がった炒め物をフライパンから皿に移す。香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。急にお腹が空いてきた。少し早いがご飯にするか。
「……お米炊くの忘れてた」
「熱々のうちに食べたいし、パンでいいよ」
ヒロが冷蔵庫から食パンを持ってくる。そして座布団へ座り、手招きする。僕は2人分の割り箸を用意して、彼女の元へ向かう。
その時だ。電話が鳴った。
ヒロの顔が強ばる。が、発信者がヒロの実家ではないと分かると安堵の表情を浮かべた。僕は受話器を取る。
「────はい、はいそうです。……はい。分かりました。ありがとうございます」
僕は震える手で受話器を置き、口を開いた。
「採用だって……」
「え?」
「この間受けた会社、受かった……」
普通の会社を諦め、病気を持っている僕でも自宅でも出来る業種の会社を片っ端から受けた。そのうちの一社から内定が出たのだ。給料は決して高くないが、社長が僕の病気に理解があった。
ヒロは暫く呆然としていたが、目を見開くと僕に飛びついてきた。
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