花束なんていらないよ

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ネクタイを締め、革靴に足を滑らせる。 スボンのポケットに手をやる。続いて、鞄の中をゴソゴソ。 僕は玄関から部屋の中に向かって叫ぶ。 「ヒロー!僕の鍵知らない?」 「知らなーい!」 すぐに部屋の中から返事が返ってきた。嘘でも少しくらい考える素振りを見せてほしい。 狭いワンルームアパート。探す場所はそう多くない。靴を脱ぐのが面倒臭くて、膝立ちで手を付き家の中を這うように進む。四つん這いで部屋に入ってきた僕を見て、ヒロはぷっと吹き出す。 「あーあー。カッコ悪ーい」 「うるさいなぁ、こっちは必死なんだ」 それでもなおヒロは肩を震わせてニヤニヤと笑みを浮かべている。僕はちょっとむっとしながら机の下を覗き込む。ここにはないか。 テレビの前かもしれない、そう思って顔を上げた瞬間、何かが目の前の床に滑ってきた。かえるのストラップがついた鍵。 「これ持ってきな、ユウ」 「でもこれヒロの────」 「私は今日は家に籠るからへーき。ほらほら、遅れるよ」 なおも渋る僕の右手に鍵をねじ込み、玄関へと追い立てる。彼女に押される形でたたきへ向かう。 「いや、やっぱ悪いから────」 僕は手の内の鍵を彼女に渡す。すると彼女は呆れ顔で大きく溜息をつく。 「まだごちゃごちゃ言ってる。それでも男か?」 そう言いながら鍵を僕の手から奪い、僕の上着の右ポケットに突っ込む。そしてポケットを上からぽんと叩く。 「そういうヒロも女らしくないけどねぇ」 僕は彼女にじとっとした視線を向ける。彼女もつられて自分の服装を見つめる。色落ちしたTシャツに、着古したジーンズ。ヒロは短く切った黒髪をわしゃわしゃと掻き、アハハと苦笑いする。 「────僕は嫌いじゃないけど」 僕がぼそっと言うと、彼女の笑いがピタリと止まった。そして白い頬がみるみる紅く染まっていく。 俯いたまま僕の背中を押し、玄関の外へ追い出した。そして即座に鍵を閉める。あまりの早業に閉められたドアを呆然と見つめる。薄いドアの向こうから微かにバカ!と言う声が聞こえてくる。 しかし、見送ってくれる人がいるというのはやはり嬉しいものだ。 勢いよく一歩踏み出す。床が大きく軋み、ポケットの鍵がチャリンと鳴った。
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