愛に降る雪

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「それで? これからどうなるんです、姫様?」  三人の求婚者たちとの顔合わせを終え、疲れたと言い張って自室に戻ってきたサリヤに護衛隊長であるファリーダが声をかけると、髪をおろして気楽な服に着替えたサリヤが椅子に座ってすんなりとした脚を組んだ。 「これから三人それぞれと、時間を過ごすことになるだろうな」 「選ぶのは姫様なんでしょう?」 「それが結婚の条件だ。まあ、選べと言われても困るんだが……」  はあ、と息をついて、サリヤは珍しく本当に疲れた様子で小さな額を押さえた。そういう素振りを見せるのは、双子の兄サッヤードが攫われてしまった時以来で、ファリーダは可哀想に、と思わざるを得ない。望まぬ結婚なんて誰だってしたくないが、政略結婚は尊い血に生まれたものの常だ。 「まあ三人とも、綺麗な顔はしてましたけどねえ」 「顔なんてどうだっていい。問題は人間性だろう」 「そりゃそうですけど。話してみて三人とも本当に嫌なら、逃げちゃいましょう」 「何を言ってるんだ、兄様じゃあるまいし……」  正確にはサッヤードは逃げたというより拉致されたのだが、その後サリヤが送った迎えの手からは実際に逃げているので、ファリーダはですねえ、と苦笑した。 「ええと、整理しましょうか。まず一人目が、象に乗ってきた……」 「タントレア公国の公子、クレイ殿だな。陽気な目をした男だった」 「ですね。で青い衣をまとった美男子が、シドラ国の貴族様……何でしたっけ?」 「キールス殿と言っていた。おそらく相当な資産家だな」 「そのようで。で、最後が……」 「……」  ファリーダが三本目の指を折ると、サリヤが一瞬無言になった。(姫様……?)いつも明晰で頭の回転の早いサリヤにしては珍しいことだ。頬杖をついて、何かを思い出すように遠い目をした砂漠の姫が、「ああ……」と呟いた。 「あの、最後のひとは……目が見えないのだったな」 「ええ……杖をついてらっしゃいましたね。身体も丈夫ではなさそうでした」 「名前は……レイヴ。そう、ワシュラ聖王国の、レイヴ殿だ……」  白い衣の騎士を連れ、亜麻色の長い髪をした透き通るように美しいその男の名を二度繰り返して、サリヤは物思いに沈んだようだった。何かが、いつもと違う。 「……ぼく、外にいましょうか? おひとりになりたいのでしたら」 「いや……一緒にいてくれ。お前がいると明るくていい」 「ははっ。うるさいって言わないの、姫様だけですよ」  ファリーダがそう言って長い腕を組むと、サリヤがようやくくす、と笑った。その笑顔を守るためだけに、自分は生きている。改めてそう思った。     *    *    *    * 「いい風だねえ。ナハト、そう思わないかい」 「……ええ」  砂漠の王国アステアは、見合いのために訪れたワシュラ聖王国の王子レイヴに王宮の東にある離れを用意してくれた。豪奢な砂漠の宮殿らしく贅沢に砂よけの布をたっぷりと使い、太い柱に囲まれた離れは快適だったが、レイヴを護衛するために共にやって来た白の騎士ナハトの気分は優れなかった。ここが安全かは、まだわからない。 「砂漠といっても、夜は涼しいのだねえ」  主君であるレイヴがゆったりと長椅子に座り、知らなかったよ、と囁く。レイヴもナハトも砂漠は初めてで、不安もあったが待遇は想像よりも良いものだった。ワシュラ聖王国の王子にぞんざいな扱いをするようなら直ちに引き返そうと思っていたナハトも納得するほどに、立派な離れと複数の召使いを与えられている。 「……あまり、風に当たられませんように。お身体にさわります」 「ふふ、そうだね。中に入ろうか」  バルコニーで気持ちよさそうに亜麻色の髪を風に揺らしていた主君が、ナハトの進言を受けてゆっくりと長椅子から立ち上がる。手を貸して杖を渡し、もう片方の腕を取って一緒に部屋の中に入る。知らない場所では、盲目のレイヴはひとりでは歩くことさえ難しいのだった。 「……ふう……」  何歩か導きながら歩いて、部屋の中の椅子に王子を座らせる。腰を下ろしたレイヴが息をつくその態度に、まだ知らない場で本当は緊張しているのだとナハトは感じた。しかし誇り高いレイヴは、そういったことを自分からは口にしない。だからナハトも黙ってそばに佇んだ。 「やれやれ……この離れはどうやら、相当広いようだね」 「ええ。調度品も豪華です」 「太っ腹というか、なんというか……まあ、帰るまでの短い間だけれど、楽しもうじゃないか」 「……」  まだ婚約者ですらない、三人の求婚者のひとりという立場でやってきたレイヴは、はなから自分が選ばれるとは思っていないようだった。(殿下……)無理もない。陰で一部始終を見ていたが、一人は巨大な象を三頭もつれたタントレアの公子、もう一人は絶世の美貌と冨を持つシドラの大貴族。美しく聡明だが、盲目で身体の弱いレイヴに出る幕はないようにナハトにも思えた。 「……サリヤ姫は、どんな方だった? ナハト、教えておくれ」  目の見えないレイヴは、声だけを聴いたサリヤ姫のことをナハトに尋ねる。「……」しばし考えてから、ナハトは節度を保って答えた。 「サリヤ殿下は……非常にお美しく、気丈そうなお方でした」  その言葉の通り、サリヤは砂漠の宝石という異名もかなわぬほどの神々しい美女だった。髪を結い上げ、美しい民族衣装をまとい、そして身を乗り出してレイヴに声をかけてくれた。(私がサリヤだ)きっぱりとした声に、レイヴも好感を抱いた様子だった。 (それに……)  その傍らに控えていた、短い黒髪に少年めいた美貌の、褐色の肌の剣士を思い出す。きらきらと大きな瞳を光らせて、最後に現れたレイヴと……そしてなぜかナハトを見つめていた、あれは一体何者なのだろうか。大剣を背中に背負っていたのを見るとおそらくはサリヤ姫の護衛だろうが、あの場に相応しくないほどの若さが目を引いた。勿論レイヴにはその存在は見えないので、話題に出すことはなかったけれど。 「そうか……お話できる機会が、楽しみだね」 「……ええ」  ふふ、と微笑んでから、レイヴが少し寒そうに衣の前をかきあわせたので、ナハトは窓と風よけのカーテンを閉めた。レイヴは冷たい風にひどく弱く、肺も心臓も丈夫ではない。目も見えないことも含めて、そのすべては彼のせいではないというのに、運命はレイヴにいつだって過酷だった。 「ありがとう、ナハト。お前がたよりだよ……」  こほ、と軽く咳き込みながら言うレイヴ、彼を守ることが自分の使命であり、生きる意味だとナハトは信じていた。たとえこの砂漠の都で、何が起ころうとも。     *    *    *    *  「姫様、お疲れでないですか?」 「……疲れたは、疲れたな……猫をかぶるのも限界がある」 「あははっ!」  二人の求婚者との面会をそれぞれ終えたサリヤのあまりに正直な言葉に、思わずファリーダは声を出して笑ってしまった。じろり、とまた侍女ユーリアに睨まれる。 「お静かになさってください。そろそろ三人目の方が参りますよ」 「はあい~。あっ、いらっしゃったみたいだよ!」  廊下の向こうからやって来る人影に、ぶんぶん、と手を振ってから、ああ見えないか、と思い直して手を下ろした。姿勢を正して、杖をついたレイヴがゆっくりと近づいてくるのをサリヤと共に出迎える。と、先にレイヴが膝をついてお辞儀をした。 「こんにちは。サリヤ殿下」 「こんにちは……」 「驚かれましたか。声を出さなくても、一度お会いすれば気配でわかりますよ」 「へえ、そりゃすごい!」 「ちょっ、ファリーダ様!」  邪魔なさらないでください、とユーリアに引っ張られ、ファリーダはレイヴとサリヤを部屋に残して外に出る。扉の外には、昨日見た白い騎士が立っていた。 「私はもう行きますけど、お邪魔しちゃだめですからね!?」 「はいはーい」  別の仕事に向かうユーリアを見送って、サリヤとレイヴをふたりきりにした部屋の扉の前でファリーダは白の騎士に向き直る。話すのは、初めてだ。にかっ、といつもの笑顔を浮かべて握手の手を差し出してみる。 「はじめまして、ぼくは姫様の護衛隊長、ファリーダだよ。あなたはナハト?」 「……」 (おお、無視か)完全に無言を貫かれて、ファリーダはこりゃ厄介なタイプだな、と思いながらじっとナハトを観察した。「……」やっぱり、強そうだ。いや、かなり強い。相当の使い手だ、あの海賊船にいたアズールと同じか、それ以上。そして。 (昨日は気づかなかったけど……綺麗な顔、してんだなぁ)  ナハトの高い頬骨に鼻筋の通った横顔は均整が取れていて、まるで彫刻のように美しかった。背は長身のファリーダよりもさらに高く、体格にも恵まれている。肩に届くほどの見事な銀髪は、獅子のたてがみのようにも見えた。ううむ。これは面白そうだ、と内心舌をぺろりと出して、ファリーダはめげずに話しかける。 「ねえねえ。騎士さん」 「……」 「ねーってば。あなた強そうだねえ! 一度手合わせしない?」 「……そなたのような男に、関わる気はない」  びしりと断られて、ぞくぞくっと背筋がしびれた。(わあお……)こういうタイプかあ。見た目以上に堅物らしいナハトに、ファリーダは肩をすくめて答えた。 「へー! 言ってくれるじゃない。ていうかそなたって何?」 「……」 「ねえねえ。おたくの王子様とうちの姫様が仲良くなろうってんだからさ、ぼくらも仲良くしたほうがいいんじゃなーい?」 「……」 「また無視ー!? あのさ、おたく口あるんでしょ? さっき喋ったじゃん!」 「……うるさい」 「あはっ、喋ったー!」  ぱちぱち、と手を叩いてファリーダが喜ぶと、ナハトは鋭い瞳でじろ、とこちらを睨んだきり、もう何も言うつもりはないようだった。あーあ。 (第一印象、失敗しちゃったかな……)  ていうかこっちだって、おたくみたいな堅物、お断りなんですけど。そう思いながら、ファリーダは黙って隣に佇み、警備に集中することにした。よほどのことがない限り、この男とは相容れないなと、おそらくお互いに思いながら。
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