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すべての運命は、突然始まる。
「姫様! 姫様、どこですか?」
砂漠の王国アステア。オアシスにある王宮の中を、護衛隊長であるファリーダが王女サリヤを探して歩くと、護衛隊員が「中庭にいらっしゃいます」と敬礼しながら答えた。わかった、と返事をして急ぎ足で中庭に向かう。
「姫様~? いらっしゃいますか? ……あ」
「ファリーダ、私はここだ」
言われた通り中庭に足を運ぶと、貴重な泉のほとりに、世にも美しい砂漠の宝石として名高い第一王女のサリヤがいた。彼女こそが、ファリーダが全身全霊で守り、生涯忠誠を尽くす相手である。近づいていくと、長い黒髪を美しく編まれ髪飾りをつけたサリヤは、一枚の手紙を手にしてベンチに腰掛けていた。
「お兄様からの手紙ですか?」
「ああ……兄様たちは今、虹の都ガフールに向かって航海の途中らしい」
兄様、というのは、半年以上前に”赤い悪魔”と呼ばれる海賊にサリヤの身代わりとなって攫われて、今も海賊たちと共に旅をしている第七王子サッヤードのことだ。手紙に目を落として、サリヤはふ、と微笑みながら言う。
「あいかわらず兄様は、あの船で幸せそうだな……」
麗しのサッヤードは、サリヤにとってはたったひとりの双子の兄である。一度はサリヤも彼を奪い返しに船でファリーダと共に追いかけたものの、結局海賊として生きる道を選ぶと言われ、ふたりの道は別れた。しかし今も鷹のアイーシャを通じて、不定期に文通は重ねている。おそらく今回の手紙も、あの海賊船で楽しくやっていることが生き生きと書かれているのだろう。
「海賊の皆も、元気そうですか?」
「ああ。そのようだ」
このアステアにいた頃はいつも唯一の姫であるサリヤの陰に隠れ、孤独そうだったサッヤードは、あの海賊に攫われて運命が変わった。
ファリーダも”赤い悪魔”ことロルカとその一味のことは、真紅の海賊船に乗り込み酒を酌み交わして多少なりとも知っているが、彼らとともにいるのなら心配はないだろうと思えた。強く優しく、気のいい連中だった。
「ところで、なぜ私から離れた? 何かあったのか」
「ええまあ、ちょっと新しい警備体制のことで打ち合わせがありましてね。ほら、例の……」
「……その話か」
はあ、と誇り高いサリヤがらしくもなくため息をついた。(姫様……)この話になるといつも、常に気丈で我の強いサリヤは気が乗らないといった様子を見せる。まあ無理もない、なにせ19歳になるまで王宮や離宮で自由気ままに、溺愛されて育ってきた中で、突然の……。
「父様は一体、何を考えているんだ。この私に、今更見合いだなんて……」
そう。砂漠の宝石と名高い美貌の王女サリヤにも、ついに他国との見合いの話が持ち上がったのだ。それも練りに練られ、なんと一度に三人と。はあ、とため息をつくサリヤの傍らに大剣を携えて佇みながら、ファリーダは褐色の腕を組んだ。
「まあ、アステアの未来のことと、何よりも姫様の幸せを想ってのことでしょうねえ」
「私が誰かの妻になど、簡単に収まると思うか?」
「うーん、思いませんねえ。でも、アステアに婿入りできる候補者の中から選ばれた三人なんでしょう?」
「そうらしいが……知らん、興味もない」
にべもなく言い切るサリヤの瞳に、ほんの少しの寂しさがよぎるのを、彼女を何年も守り続けてきたファリーダは見た。(まあねえ……)七人いる兄の中でも、サリヤは控えめで純粋な双子の兄サッヤードに最も心を許していたから、彼がいなくなって寂しいのはわかる。だからこそ父王も、ここへ来て見合いの話を持ち出したのだろうが……。
(逆効果って、やつじゃないかなあ)
恋も知らないサリヤに、突然見合いだなんて。人の十倍は気が強く聡明なサリヤは、美貌と地位に男が寄ってくることに飽き飽きしてもいる。良い伴侶が見つかればいいが、そうならなかった場合……その可能性のほうが今の所遥かに高いが、余計にサリヤの孤独は深まってしまうのではないかと思えた。
「まあ、そう言わずに。いずれにしたって、ぼくがついてますよ」
見上げてくるサリヤに、にこ、とファリーダが微笑むと、「お前は気楽でいいな」とサリヤがようやく少し笑った。
* * * *
「姫様、お綺麗ですよ」
「知ってる」
王宮の謁見の間。ファリーダがそっと囁くと、いつも以上に着飾らせられたサリヤが、ぶすっと膨れた表情で答える。すかさず侍女のユーリアが耳打ちした。
「そんな顔しちゃいけませんよ、求婚者の方々がもうすぐいらっしゃいます」
「別に逢いたくもないぞ」
「そんなこと、口が裂けても言っちゃだめです」
「わかったわかった、黙っていればいいのだろう」
まったく。と不満げなサリヤも、父王サジウスが姿を見せて玉座に座ると、しゃんと背筋を伸ばして、その隣のきらびやかな椅子に座り直した。
「サリヤよ。今日は大切な日だ。わかっておるな?」
「ええ、父様」
「候補者は三人だ、ええとまずは……」
誰だったかな。とどこか抜けたところのあるサジウス王が侍従のレクタスに話しかけた時、ドシン、と大地が揺れた。ドシン、ドシン、ともう二度。(なんだ……?)急いでファリーダが謁見の間の窓から外を見やると、そこには。
「なんだぁ、ありゃ……!?」
「ファリーダ、どうした?」
どうしたも、こうしたも。見たこともない巨大な生き物が三頭連なって、地面を揺らしながらこちらに向かってくるではないか。そしてどうやらその背には、何人かの人間が鞍を重ねて乗り込んでいるようだった。サジウス王が声を上げる。
「おお、あれこそタントレア公国の名物、タントレア象ではないか! 見てみろ、サリヤ!」
「象……? おお、あれが! すごい……!」
「ぞ、象!? あれがァ!?」
騒然とする謁見の間のすぐ出口までやってきた象、その先頭に乗っていた頭にターバンを巻いた男が、たくさんの従者達の手を借りて象から降り、開いた扉から堂々とこちらへ歩み寄ってくる。そしてサリヤとサジウス王の前までやってくると、すっと片手を胸に当てて片膝をついた。
「はじめまして。タントレアから参りました、公子クレイと申します」
「わーお!」異国の公子のド派手な登場に、わくわくを抑えきれないファリーダが思わず呟くと、静かにしてくださいとばかりにじろりとユーリアが睨む。おーこわ、と肩をすくめる間に、サジウス王はうむ、と頷いた。
「高名なサジウス陛下、そして麗しのサリヤ殿下にお目にかかれて恐悦至極……わたくしは幸運な男でございます」
クレイ、と名乗った公子は頭に紅いターバンを巻き、そこから布を肩まで垂らして、いかにも貴公子といった風情の整った顔立ちの青年だった。金銀で豪華に飾られた身なりといい、なんといっても遠方から象で乗り付けたことといい、インパクトは十分だ……とサリヤを見やると、姫は象のほうに興味があるらしく、クレイの話はあまり聞いている様子がない。あちゃあ、とファリーダは思った。
「我らも逢えて光栄だ。大公陛下はお元気かな」
「はい、父も壮健にございます。お心遣いありがとうございます」
「滞在中は離れを用意した、案内に従ってくれ」
「はっ。ではサリヤ殿下、また改めて」
「……」
こく、と頷くサリヤに微笑みかけて、クレイ公子が従者を引き連れて去っていく。その後まもなく、角笛が鳴り響いた。これは。
「今度はなにィ?」
「ファリーダ様、お静かに」
「来たな」
サジウス王の呟きと前後して、扉が開くと今度は青い衣を身にまとった一団がぞろぞろとやってきた。角笛はその露払いだったらしい。その一団の中で、もっとも美しく逞しい長身の男が歩み出て、王とサリヤの前で腰を折った。
「お逢いできて光栄です。わたくしはシドラ国の貴族、キールスと申します」
(へえ……)滅多に見ることのないレベルの男らしい美貌に、ファリーダは内心眉を上げる。これほどの男ぶりは、そうだな……あの海賊のロルカといい勝負かもしれない。とサリヤを伺えば、男の美貌になど関心はないらしく、すました表情のままだった。やれやれ。金髪のキールスに、サジウス王も満足げに髭を撫でる。
「よく来たな、キールス。そなたには西の離れを用意した」
「ありがとうございます。こちらはほんの、お近づきの印でございます」
「気が利くな。受け取っておく」
「では、またいずれ」
キールスがほんのお近づきに、と持ってきた財宝は見事なもので、彼がシドラ国でも有数の富裕な大貴族であることを知らせていた。(こりゃあ、有力かなあ……)ケチの付け所がないな、と思いながら去っていくのを見送ると、サリヤがはあ、と小さくため息をついたのが聴こえた。あ、やばい。姫様、退屈してら。そう思った時。
「……?」
コツ、コツ。どこかから、小さな物音が規則正しく聴こえてきた。そうして謁見の間の扉が、ゆっくりと三度目に開くと、そこには。
(え……?)
そこに立っていたのは、たったふたりの男だった。その片方、亜麻色の長い髪をした綺麗な男は目を閉じて杖をついている。そしてそのそばを離れずに、ぴったりと背後を守るのは白い甲冑をまとった、背の高い銀髪の騎士。サジウス王が、侍従に声をかける。
「おい」
「あ……失礼いたしました、ワシュラ聖王国の王子、レイヴ殿下のおなりです!」
(あれが……?)あの有名な、ワシュラ聖王国の? いぶかるファリーダの眼前で、コツ、コツと杖をつきながらまっすぐ歩み出て来る長い髪の男に、思わずといった様子でサリヤが身を乗り出した。ずっと黙っていた口を開く。
「あなた……目が……?」
「はい。わたくしは目が見えません……その声は、サリヤ様ですか?」
「そうだ。私がサリヤだ」
サジウス王が口を挟む前に、サリヤが直接答える。すると美しい痩身の男は長い髪を揺らし、サリヤのいる方向に向かってお辞儀をした。かすかに微笑んだその相貌は、まるで水晶のように透き通った印象を与えた。
「お目にかかれて、嬉しいです。わたくしはレイヴ、こちらは騎士のナハトです」
盲目の主君からナハト、と呼ばれた騎士は、鋭い眼光でファリーダたちを見つめていた。その佇まいと身のこなしから、ひと目でわかった。
(ナハト、ね……)
こいつ、強い。もしかしたら、自分と互角か、それ以上かもしれない相手を前に、ファリーダの心は不思議と沸き立っていた。
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