愛に降る雪

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「サリヤ姫は、素晴らしい方だね」  初めての二人きりでの面会を終えて。離れに戻り、いつもは青ざめている頬を少し紅潮させてレイヴが口にするのを、白の騎士ナハトは黙って聞いた。 「声も凛々しくて、気品がある……芯の強い方だと感じたよ」 「……そうですか」 「ナハト? 何かあったの?」    ナハトが短く答えると、椅子に腰掛けたレイヴがナハトの方を見やって尋ねる。(ああ……)この方には、何も隠せない。幼い頃からずっと一緒にいるナハトの声の調子で、何もかもを察してしまうのだ。 「……別に……大したことではないのですが」 「声がいつもと違うよ。何か気にかかることでも?」 「……いえ……」  何か、と言われて頭に思い浮かんだのは、やはりあの、護衛隊長だと名乗った若い男の顔だった。大きな目にきりりとした眉、少年のような面立ちに短い黒髪、褐色の肌はまるで黒豹を思わせた。 「……ファリーダという男が、サリヤ殿下の護衛隊長として付き添っていました」 「ああ、あの気配はそういうことだったの」 「ええ……」 「話したの? どんな人だった?」 (どんな……)思い返してみれば、話したというより向こうが一方的に喋り続けていたというほうが正しい。とにかく馴れ馴れしくて、明るく、とても護衛隊長という立場とは思えない態度の男だった。 「……やたらと陽気で、むやみとよく喋る……鬱陶しい男です」 「なるほど。ナハトとは正反対だね」 「……」 「めずらしいね。ナハトが他人を気にするなんて」  確かに、その通りだった。ナハトは必要に駆られない限りあまり喋らないたちだし、初対面の人間のことは基本的に”レイヴにとって敵か味方か”を観察することに集中し、個人的な感想を持つことは少ない。そんな常態を崩すくらい、あの男はいたってマイペースで、独特のテンポを持っていた。 「……少年が、そのまま大きくなったような男です。興味はありません」 「へえ? でも、護衛隊長なんでしょう」 「……そのようです。確かに、腕は立つでしょう」  ひと目見て、察した。反りが合わない、と感じるのと同じくらいにはっきりと、ファリーダの細身だが鍛え抜かれた長身、あれだけの大剣を振るうだけの腕力があるだろうこと、そして身のこなしや隙のなさからその力量は見て取れた。 (あの、若さで……)  砂漠の宝石と呼ばれるサリヤ姫の、護衛隊長を務めるということは。つまり彼こそが、アステアきっての剣士であることを示している。溺愛されているサリヤ姫を守るために託されたその腕は、若くして熟練の域に達しているのかもしれなかった。同じ騎士として、その点に関してはナハトも認めざるを得ないけれど。 「そう。じゃあ、サリヤ姫にとっての彼は、私にとってのナハトかもしれないね」 「……それは心外です」 「ふふっ」  レイヴは可憐に笑うが、なにせ奴はあの性格だ。きっとレイヴのことも軽く見ているに違いない。これからもまた逢うかと思うと、実直なナハトは頭が痛かった。     *    *    *    * 「で、一体どんなお話をされたんです? 姫様」 「まあ、そうだな……クレイとはこの国の文化の話をした」 「へえ」  サリヤと求婚者たちとの面会は翌日も続いた。タントレア公国のクレイ、そしてシドラ国のキールスとの面会を終えて、中庭でベンチに座ったサリヤはぶらぶらと足をぶらつかせる。尋ねたファリーダは、そんなもんですか、と一応興味ありげに呟いた。それにしても、今頃あの象はどこにいるのだろう。どちらかというとそっちが気になった。 「キールスは、シドラの話をしてくれた。一族は皆青い衣を纏っているそうだ」 「そうなんですねえ」 「貴族にも何段階か階位があって、自分はいちばん上だとか、まあそんな話だ」 「面白いですか、そんな話?」 「面白い訳ないだろう。作り笑いしすぎて顔がひきつりそうだ」 「大変ですねえ~」 「お前、他人事だと思っているな?」  ま、自分ごとじゃあないですからねえ。とファリーダが答える前に、ユーリアが「レイヴ様がお越しです」と小走りにやって来た。するとコツ、コツ、ともうおなじみになったあの杖の音がして、レイヴとその腕を取るナハトが一対のような姿を見せた。 「……こんにちは、レイヴ殿」  おや。今度は姫様から声をかけたぞ。珍しい対応にファリーダは眉を軽く上げる。レイヴは過たずにサリヤのほうに顔を向けて、にっこりと優しく微笑んだ。 「こんにちは、サリヤ殿下。今日はいい天気のようですね」 「ああ。だから中庭を選んだんだ……迷惑だったか?」 「いいえ。花の香りがしますし、泉もあるようですね」 「そうなんだ。私の好きな場所だ……」  すんなりと始まった会話に、ファリーダはそっとその場から少し離れる。後ろをついてくるナハトは相変わらず鉄面皮の無表情で、まるで彫刻のようだった。ユーリアがお茶を淹れに去ると、自然と彼とふたりきりになる。 「やあ、ナハト殿。元気?」 「……」 「また無視? いい態度じゃない」  ふうん、と面白くなってきたファリーダは長い腕を組んで顎を上げた。(なるほどね……)そっちがそういう態度なら、こっちも意地がある。なんとしてでもこの鉄仮面を崩してやりたくなって、ファリーダはねえ、と再び声をかけた。   「手合わせが嫌なら、今度お酒でも一緒に飲まない? 夜は暇でしょ?」 「……」 「ぼく強いし、飲んでも変わんないから潰れたら介抱してあげるよ~」  ねえねえいいでしょ、とファリーダが続けると、むすっと押し黙っていたナハトがようやく重い口を開いた。 「……酒は飲まん」 「えっ何で? 仕事があるから? 王子様が寝た後でいいじゃない」 「……」 「美味しいお酒いっぱいあるよー。おごってあげるからさあ!」 「結構だ」  どんなに誘っても乗ってこないナハトは、単なる堅物と言うより……と、ある可能性に思い至る。いや、まさか。でも多分。   「ン? もしかしておたく……下戸? その顔で、お酒、飲めないの……?」 「……悪いか」 「当たり!? あはは~! いや全然、全然悪くないよ……!」  憮然とするナハトが面白くてファリーダが腹を抱えて笑うと、心外だ、というようにナハトがそっぽを向いてしまう。その態度がまた、彼らしくなく面白くて。 「なんだ……おたくも人間なんだねえ! 安心したよ、ぼく」 「意味がわからん」 「ふふ~。まあいいや、じゃあ今度一緒にお茶しようね。約束だよ!」 「何を勝手に……」 「決まり~! へへっ、楽しみだな~」  勝手に決めてしまってファリーダが言うと、もはや何を言っても無駄だと考えたのか、それきりナハトは何も言い返さなかった。それはつまり、いいってことね? と、これまた勝手に解釈するファリーダだった。     *    *    *    * 「その……レイヴ殿は、兄弟はいるのか?」  泉のほとり、中庭のベンチに二人並んで座って。盲目のレイヴにサリヤが話しかけると、レイヴはこくんと頷いた。ゆっくりと口を開く。 「……ええ。異母弟がひとり……サリヤ殿下は?」 「私は……兄が七人いる。そのうち一人は、双子の兄だ」 「そうですか。では、きっと結びつきも強いのでしょうね」 「……それは……」  サリヤの心に、レイヴの優しく穏やかな声はするりと入り込んでくる。(不思議な、人だ……)見えないはずの目は水晶のように透き通った色をしていて、いつもかすかに微笑んでいる。ほっそりとした手は美しく、けれどきっと苦労をしてきたのだろうと思わせるところがあった。 「……双子の兄のサッヤードは、私の身代わりに、海賊に攫われて……その海賊と、なんと恋に落ちたんだ」 「海賊と、ですか?」 「ああ……”赤い悪魔”といって、こちらの地方では有名な海賊だ」 「では、今はその方と一緒に?」  少し驚いた様子を見せたレイヴに尋ねられて、サリヤの胸はかすかに痛む。そうだ、兄のサッヤードは、いまや海賊船の仲間となって、恋人のロルカ達とともに世界中を旅している。ここにひとり残された、サリヤを置いて。 「そうだ。たまに手紙が届くが……楽しそうにやっているみたいだ」 「……それは、お寂しいですね」 「……!」 (寂しい……)今まで誰も、そんなことをサリヤに言ってくれなかった。父王も母も、元から末のおまけ扱いしていたサッヤードを真剣には探さず、もう死んだものとして扱うとまで言い出して、サリヤが兄の話をすることさえ禁じた。サリヤ自身も、兄は幸せなのだからと自分に言い聞かせ、寂しいことを認めずにいた。 「……そう、かも、しれない……私は……私は、兄様がいなくて……」  寂しい。認めてしまうと、どっと何か重荷が取れたような気がした。(そうだ……)私はずっと、寂しかった。一番好きだった双子の兄が自分の生きる道を見つけて去り、きっと二度と会えない人となって。寂しかった、今も、そうだ寂しい……。そんなサリヤに、レイヴがそっと囁いた。 「……双子の絆は、とても固いものだと聞きます。お兄様とは、たとえ今は離れ離れでも、心は繋がっているのでしょう」 「……レイヴ殿……」  レイヴの、長いまつ毛に縁取られた見えないはずの目を見つめると、何かが見える気がした。こんなひとは、はじめてだ。皆サリヤを、その美貌と王からの寵愛だけで愛していると言い、ちやほやして、ひとりの人間としてまともに扱ってはくれなかった。サッヤードやファリーダといった、ほんの僅かな例外を除いては。 「……」  黙っては、いけない。彼は見えないのだから、と思う以上に、いや黙っていても、きっと彼にならこの気持ちが伝わっているだろうとサリヤは感じた。それだけのことを感じさせる相手だった。彼にはサリヤの姿が見えない。それが、決して悲しいことではなく、ありのままの自分の心を見てくれているようにさえ思えて。 「……兄様の幸せを、願ってる……それと寂しいのは、両立するんだな……」 「ええ……そう思いますよ。きっとお兄様も、同じ気持ちでしょう」  ふ、と微笑んでそう言ってくれるレイヴの、長い髪がどこかサッヤードを思わせた。もう逢えないかもしれない兄は、けれど決してサリヤを忘れたわけではないのだと、思い出させてくれた異国の王子。見えない目をした、不思議なひと……。 「レイヴ殿の声は、優しいな。……明日も、また逢えるといいな……」 「ええ。明日も、また……」  静かで穏やかな時間は、ゆっくりと流れた。見たことはないが、雪のように儚いひとだとサリヤは思った。彼には、作り笑いは必要ない。それが嬉しかった。  
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