愛に降る雪

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「やあ、ナハト殿」 「……」  明くる日。レイヴの護衛としてまたも面会に現れたナハトにファリーダが声をかけると、当然のようにナハトは何も言わず目礼だけを返してきた。しかしこれでも、目さえ合わせてもらえなかった当初に比べれば良いほうだとファリーダは思う。 「ではね、ナハト。……ファリーダ殿と、少しは仲良くしなさいね」 「!」  サリヤが今か今かと待ちわびている部屋の中に入りながら、くすっと笑顔を浮かべてレイヴが言うと、ナハトが一瞬驚いた顔になる。この鉄仮面も表情を変えることがあるのかと面白くなって「そうだよ! 仲良くしようよ」と調子に乗ると、今度は完全に無視された。まあ、そうなるよね。 「……」  ふたりで扉の前に取り残され、あさっての方向を向くナハトの横顔を見やりながら、どうして自分はこんなにこの笑わない男が気になるのだろうとファリーダは自問した。しかし相変わらず答えは出ない。ならば、もっと知るまでだ。 「ねえねえ、白い騎士さん」 「……」 「あんたのことだよ? あのさ、お話しない? たまには」 「……その必要はない」 「あるって。おたくの王子様も言ってたじゃない、仲良くしなさいって、ね?」 「……」  レイヴの言葉には流石に逆らえないのか、ナハトが精悍な顔をようやくこちらに向けた。(やっぱり、綺麗だ……)高い鼻、鋭い瞳、薄い唇はきりっと結ばれていて、たてがみのような銀髪がその整った顔を縁取っている。もう少し愛想があれば、娘たちからひっぱりだこだろうに。いや、今でもそうなのかもしれないが。 「……何を話す」 「なんでもいいけどさ。ナハト殿は、聖騎士団の一員なの?」 「そうだ」  彼の出身地であるワシュラ聖王国は、アドストラ教の最高位司教でもある聖王のもと、白い鎧を纏った聖騎士団が国を守っていることで有名だ。ナハトの白い甲冑も白いマントも、その一員であることを示している。 「ふうん。初めて見るなあ……何歳で騎士になったのさ」 「……十八だ。成人とともに認められた」 「へえ~。昔から、騎士になろうって決めてたの?」 「……私の家は代々、騎士として聖王家に仕えている」 「だからってあんたもならなくたっていいじゃない。親に決められてたの?」 「私は、レイヴ様をお守りするために騎士になった。自分の意志だ」  彼にしては饒舌にそう言うと、白い騎士はぐっと押し黙った。なるほど、代々騎士の家に生まれ、彼自身もその道をすすんで選んだのか……。何もかもが自分とは正反対だな、と思いながらファリーダはその横顔を眺めた。これだけでは不公平だな、と思い、今度は自分の話をするために口を開く。 「ぼくはねえ、捨て子だったんだ。孤児だよ……この前聞いて、知ってるか」 「……」  あのキールスに由緒ある家の出身だろうと言われて答えた時、ナハトもその場にいた。特に隠しているわけでもない出自をはっきり話すと、ナハトが目線をこちらによこした。興味がない、わけではないらしい。 「その日暮らしのスラム育ちでさ。パンを盗んで、みんなで道端で分けて食べるんだ……あんたには、わからない生活だろうね」 「……そうだな」  ぽつりと、ナハトが答えた。否定しないところに好感を感じた。するとナハトが、珍しく自分のほうから尋ねてきた。 「……そこからどうして、サリヤ姫の護衛隊になったんだ」 「おっ、聞きたい? あのねえ、サリヤ姫のお誕生日っていうのは、この国じゃあ年が明けるのと同じくらいめでたい国民の祝日なわけ……まあ、サッヤード様の誕生日でもあるけど、それは正直おまけでね」 「……」 「それでさ。ぼくがまだ幼かった頃……城下町の人混みに紛れて、見たんだ。誕生日のお祝いに王宮のバルコニーに出てきた、綺麗なきれいなお姫様をね……」  あの日のことは、永遠に忘れない。バルコニーに護衛隊員に囲まれて佇み、にっこりと微笑むでもなく、凛々しい表情を浮かべていたサリヤ姫をひと目見たときから、ファリーダの生きる目的は変わった。あれほど美しい存在を見たことはなかった。 「絶対に、あのお城に行って……あの綺麗なお姫様を守る剣士になるんだって。そう思ったんだ。それが、ぼくの運命だって」 「……」  皆は笑い、誰も相手にしなかったが、その夢を語るファリーダの言葉を聞いて、盗品買いの親父が言った。「なら、誰よりも強くなることだ」それを信じて、ファリーダは必死で剣の腕を磨いた。  盗人から用心棒になり、拾った木で片っ端から悪党をぶちのめし、同じくらい叩きのめされ、街や砂漠を走り回って足腰を鍛えた。食べられるものは何でも食べ、痩せっぽちだった身体を作り直した。 「必死だったよ……でも、辛くはなかった。そうなる運命だってわかってたから」  やがてファリーダの名は王宮の護衛隊の耳にも入るようになり、当時の護衛隊長だったルシードという男に声をかけられて、隊員に加わった。 「すぐに精鋭部隊に選ばれて、最初は第三王子サイロン様の護衛をしてた……でもある日、王宮で飼ってた虎が、薬をもられて大暴れしたんだ」 「虎が……?」 「そう。その虎がサリヤ姫の護衛を食い殺して、あわや姫様も、っていうところで、近くにいたぼくが駆けつけたのさ」  恐怖は、感じなかった。目の前に、憧れ続けていた姫がいる。彼女が危ない。そう思った次の瞬間には、虎めがけて走り込んでいた。恐れ知らずのファリーダ、と後から言われるようになる、きっかけの事件だった。ナハトが眉を上げる。 「戦ったのか? 虎と……?」 「もちろん。で、勝ったよ。まあ、左腕は喰われかけたけどね」  ちらり、と布をまくって今も残る古傷を見せると、ナハトが黙って目をかすかに見張った。それだけで、十分だった。 「虎から命がけで姫様を守った……その功績を買われたのと、姫様じきじきのご指名で、ぼくはサリヤ姫の護衛になった。実力で隊長になったのは、二年前だよ」 「……そうか……」  ファリーダが話し終えると、ナハトの瞳は、前よりもずっと穏やかに、どこか親しみさえ感じているような色に変わっていた。(あれ……?)どうして、そんな目でぼくを見るの。ファリーダが戸惑っているうちに、ナハトが言った。 「お前は、立派な騎士なのだな。……誤解していて、悪かった」 「えっ、誤解ってなあーに!? どゆこと!?」 「ただの、陽気なだけの男だと……」 「失礼な! よく言われるけどさあ!」  ファリーダが冗談で怒った素振りを見せると、真面目なナハトは「すまない」ともう一度謝った。それがおかしくて、ふふ、と笑ってしまう。 「……うそ、怒ってないよ。ぼくってわかりにくいタイプらしいから」 「お前の忠誠心と、腕は本物のようだ。……今までの無礼を謝ろう」 「え……」  す、と頭を下げられて、今度こそファリーダは困ってしまう。(そんな……)そんな急に、態度を変えられても。「いいっていいって、そんなの気にしないでよ!」慌てて手を振って話を変えようとすると、ナハトがそうか、とまた短く答えた。 (変なの……)  一体何が、彼の琴線に触れたのだろう。わからないが、その日から、ナハトはファリーダと会話を交わしてくれるようになった。それが妙に楽しみになっていくことを、この時のファリーダはまだ知らない。     *    *    *    * 「やっほー! ナハト、元気?」 「……ああ」  レイヴを支えて今日の面会場所である中庭を訪れると、サリヤ姫の護衛隊長である根っから明るいファリーダが手をぶんぶんと振ってきた。ナハトが短く答えると、レイヴがおや、というように笑顔でナハトのほうに顔を向ける。 「仲良くなったんだね、ナハト。良いことだよ」 「……は……」 「レイヴ様、こちらへどうぞ」侍女の導きで中庭のベンチへと進んでいくレイヴを見送って、ナハトは定位置につく。すなわち、ファリーダの隣だ。と、にかっと明るい笑顔を見せてファリーダがさっそく話しかけてくる。 「ねーねー。さっき、さり気なく呼び捨てにしてみたけど、気づいた?」 「……気づかなかった」 「あはっ。ナハトでいいでしょ? ぼくのこともファリーダでいいし……なんならファルでもいいよ。昔の呼び名だけど」 「……ファル……?」  ナハトが口にすると、「あ、やっぱなし。照れるわ……」などと呟いて、ファリーダが自分の頬に大きな手を当てた。このあたりの感覚は謎めいている。 (しかし……)  この若さで、しかも家柄といった何の後ろ盾もなく、第一王女の護衛隊長にのし上がったというのは並みの才覚ではない。常に一分の隙もない立ち姿といい、殺気を押し隠した気配といい、彼が死ぬほどの努力をし、また才能に恵まれていたことは確かだとナハトは感じた。その壮絶な生い立ちを聞き、姫を守るために剣士になったという過去を知って、ナハトのファリーダへの感情はだいぶ和らいでいた。 「ふふ。ねえ、思ったんだけどさ」 「なんだ?」 「あんたにとって、レイヴ様って何?」 「すべてだ」  即座にナハトが答えると、ファリーダは「そう言うと思った」と大きな目を細めて顔をほころばせる。何が嬉しいのだろう、ナハトにはよくわからない。 「あんたは、レイヴ様を守るためならなんだってするよね? ぼくと同じだ」 「……」  言葉は、すぐには出てこなかった。同じだ、と言い切るファリーダの瞳は純粋にきらめいていて、美しいとナハトは思った。そうだ、今まで気づかなかったが、彼は美しかった。  なめらかな褐色の肌、短く切られた黒髪に小さな顔、細い首にすんなりと長い手足をして、身のこなしは黒豹を思わせる。次に何をするかわからず、いつまでも見ていたくなる、そんな一挙手一投足が人を惹きつける男だ。 「ぼくらって、何もかも正反対だけどさ……主君にかける想いは、同じでしょう」 「……そうだな」  それは、間違いなくそうだった。この世でただひとり、自分のすべてを賭けられる相手とめぐり逢ってしまい、それを守る立場を自力で得た。大切で、かけがえのない尊い存在を守るために生きる。そのためなら何も惜しくない。それが、この男と自分の、たったひとつの共通点だった。 「……ワシュラには、雪が降るんだよね?」 「ああ。冬になれば毎年な」  今はもう、この男のことを鬱陶しいとは思わなかった。飄々とした陽気な仮面の裏に強い情熱を秘めた、ひとりの尊敬すべき剣士だともう知っている。レイヴを認め、サリヤを守り、ナハトがいくら頑なでも諦めずに声をかけ続けてきた男。その美しさにようやく気づいて、ナハトはあらためて隣のファリーダを見つめる。その大きな瞳は黒曜石のようだ。 「雪かあ……ぼくは、見たことないな」  夢見る子供のように、ファリーダが呟いた。なぜだろう、守ってやりたいと思った。レイヴ以外の人間に、興味など抱いたことはほとんどないナハトだったが、この男が妙に気にかかる。いくつもの顔を持ち、その魂は気高く、なにものをも恐れない、この男が。 「……私も、砂漠は初めてだ」  ナハトが言うと、そうなんだ、とファリーダが小さな声で答えた。(ああ……)きっとこの男の魂の中にはいまも、あの姫を見て憧れた、幼なごころの少年が残っているのだろう。戦いの腕ばかり高めて、きっとその少年は今も、ひとりで……。まるで昔の自分を見るようで、ナハトの胸はかすかに痛んだ。 「いつか、さ……こんなこと言ったら、変かもしれないけど……」 「なんだ」    続きを促すように、できるだけ優しくナハトが尋ねると、ファリーダは少し照れくさそうにはにかんで、そして言った。 「いつか、一緒に……あんたと、雪を見てみたいな。きっとあんたの髪みたいに、きらきらしてて綺麗なんだろうね……」  ファリーダはそう言うと、叶わぬ夢を語るように、うっとりと目を細めた。(一緒に……)この男と並んで雪を見る、そんな日はきっと来ないと知りながら、ナハトは否定することもなく黙って隣に佇んでいた。とくん、と鼓動がなぜか高鳴るのを感じながら。  
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