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「クレイ様!」
ファリーダが東の離れにかけつけると、そこは凄惨な事件現場と化していた。血まみれの召使いたちの死体がいくつも倒れ、その中心にはクレイがぐったりと血を流して横たわっていた。取り囲む救護隊に声をかける。
「容態は!?」
「重体です……出血が多くて……!」
「何としても助けろ!」
言い捨てて、あたりの様子を伺う。(しまった……!)あとは帰るだけだからもう警備はいらない、というクレイの言葉に甘えて、護衛を配置しなかったのはこちらのミスだ。まさか、最後の晩を狙って襲われるとは。
「刺客は!? 捕らえたのか!?」
「クレイ様に傷を負わせて、人が集まったので逃げたそうです。今捜索中です」
「ちっ……」
舌打ちしたファリーダの元に、またも護衛隊員が駆け寄ってくる。その顔は蒼白で、つんのめりながら言葉を口にした。
「大変です、西の離れにも刺客が……!」
「何だと!?」
「キールス様が狙われましたが、護衛隊が返り討ちに……」
「首謀者は! 吐かせたのか!」
「それが、手強くて殺してしまったそうです……申し訳ありません……!」
「クソ……ッ!」
久しぶりに汚い言葉を口にして、ファリーダは歯噛みする。(刺客が西と東に、同時に……!?)ということは、つまり。残るはあと一人だ。
「ここは任せた!」
「隊長!? どこへ……!」
「南だ! いいか、絶対にクレイ様を死なすなよ!! 姫の護衛も倍にしろ!」
そう言い置いて、ファリーダは大剣を背に走り出す。(なんなんだ……!?)一体何が、起こっているんだ。あと一人、おそらくレイヴも危ない。彼の眠る離れに向かって、足手まといになる部下を捨てて単身走り続けると、後少しというところで陰から人が飛び出してくる。「!」とっさに飛び退いて、背の大剣を抜いた。
「誰だ。そこをどけ!」
「そういうわけにはいかないね。護衛隊長どの」
「……!」
こいつも、刺客の一味か。両手に鎌のような武器を備えた大柄な男は見たこともない風貌で、顔をマスクで覆い隠し、勢いよくファリーダに襲いかかってくる。
「あんたの首、もらうぜ!」
「できるものならやってみな!」
ガキン、と盛大な音を立てて鎌を大剣で弾き返す。向こうが想像するよりも早く大剣を翻してもう片方の鎌も弾き飛ばすと、ほう、と男が目を細めた。
「やるな、キャプテン……だが、通すわけにはいかない!」
「やかましいんだよ!」
鎌を横薙ぎにして首を刈り取ろうとしてくるのをすんでで避けて、背筋と腹筋でバネのように起き上がり、大剣を閃かせる。ここでこんな奴に、かかずらわっている暇はない。ずばりと肩から袈裟斬りにすると、男が膝をついて崩れた。その首にぴたりと大剣をつきつける。
「雇い主は、誰だ。話してもらおう」
「……ふ、……」
「狙いは誰だ? 求婚者三人ともか、それとも……」
「……もう、遅いぜ……今頃、あの騎士ごとやられてるさ……」
「何……!? おい、待て!」
ファリーダが気づいて口をこじ開けるよりも早く、刺客の男はマスクの中で舌を噛み切って自害した。「畜生……!」これでは、首謀者を吐かせられない。それに今、男は何と言った?
(あの騎士ごと、やられてる……?)
間違いない、真の狙いはレイヴだ。ガチャリと大剣を背負い直して、ファリーダは死体をよそに南の離れへと急いだ。(ナハト……!)どうか、無事でいて。
* * * *
「はっ……!」
息が、苦しい。目眩がする。普段ならとうに切り倒しているはずの相手を前に、ナハトはあと一歩のところで空を切る己の剣を見た。ああ。
(だめだ、毒が……)
あの侍女は、なりすました刺客の一味だったのか。まんまと毒を飲まされたナハトのもとへ、護衛をすり抜けた暗殺者が二人、同時にやってきた。
「ナハト、いったい何が起きているの……!?」
「動かないでください、レイヴ様!」
部屋の隅で座り込むレイヴを守り、二人を同時に相手取って、ナハトは懸命に痺れる腕を振るう。これでは防戦一方、レイヴに近づけさせないのが精一杯だ。
せめて、せめて相手が一人だったら……もう一人でも、味方がいてくれたら。そんなことを願っても、応援が駆けつける気配もない。おそらく皆、毒か刃でやられたか、よそにも刺客が現れて手一杯なのだろう。あの時感じた悪い予感を、信じるべきだった。
「いい加減諦めな、白い騎士さんよ!」
「……ッ!」
ガキン、と剣で刺客の半月刀を弾き、返す刀でもうひとりに斬りつけるが届かない。(く……ッ)じっとりと汗をかき、吐き気がする。身体が思うように動かない。だが、決して負けるわけにはいかない。レイヴには、指一本触れさせない。
「行くぜっ!」
「!」
一人が飛びかかってくるのを、なんとか剣を翻して受け流した、その時。「!」反対側から襲いかかるもう一人に気づいたが、遅かった。(しま……っ!)ギリギリで、身を交わせば避けられる。だがもし自分が避ければ、その刃は間違いなくレイヴに届く。「く……ッ!」毒が回って脚も動かない、その瞬間を逃さず、刺客の刀の切っ先が、ずぶりとナハトの左肩を貫いた。
「ぐぁ……っ!!」
「ナハト!? ナハト、どうしたの!」
「……は、大丈夫、です……レイヴ様、……っ」
ぐらりと視界が揺れる。深手だ。だが止血している余裕はない。そうしている間にもう一太刀を脚に浴びて、ナハトはがくりと膝をついた。ああ。
(何を、してるんだ、私は……!)
ここまでか。いや、諦めるわけにはいかない。こんな連中に、大切な主君を奪われてなるものか。「ぐはっ……!」ごぶりと血を吐いて、毒がまわり続けている事を知る。
(だめだ……)このままでは。立て、立ち上がるんだ。こんなところで、死んでたまるか。しかし身体が動かず、どくどくと血が流れていく。
「終わりだ……よく戦ったぜ、騎士さん!」
「……!」
男たちが同時に振りかぶった、その時。「立つんだ、ナハト!」聞き覚えのある、よく通る声が響いて。「ぐあっ……!」刺客のうちのひとりが、後ろからざくりと大剣で切りつけられて地面に沈んだ。その背後には。
「ファリー、ダ……」
そこにはすらりとした長身に大剣を構えた、麗しき黒豹が立っていた。まるで、黒い天使のように美しく降臨したファリーダが、見たこともない真剣な表情を浮かべて刺客を睨みつける。
「てめえ!」よくもやってくれたな、と叫んで刺客の残るひとりがファリーダと向き合う。もうひとりもまだ死んだわけではなく、血を吐きながらも立ち上がった。震える手で床を押し、なんとかナハトも立ち上がると、その姿を見たファリーダが血相を変える。
「ナハト、あんた毒を……!?」
「私のことは、いい……レイヴ様をお守りしてくれ……!」
「わかった!」
ずばっ、と大剣を振るい、ファリーダが先に重傷のひとりを切り捨てる。そのまま長い足でナハトともうひとりの間に飛び込んできて、レイヴに声をかけた。
「レイヴ様、後少しで終わります……! そのまま、そこで動かないで!」
「後少し、だあ……? 何ふざけてんだ、若造が!」
言葉と同時に襲いかかってくる二刀流の相手に、ここに来るまでも戦ってきたのだろうファリーダが立ち向かう。一本の刀を受け流しても、見えない角度からもう一本が飛んでくる。ガキン、ガチャン、と刃同士がぶつかる音が響き、間合いに入りきれないファリーダが叫んだ。
「ええい、まどろっこしい!」
「ファリーダ、気をつけろ!」
「わかってるって……!」ナハトがすかさず二本めの刀を弾き飛ばすと、にやりとファリーダが笑った。
(ああ……)
背中を預けて、ともに戦う。こんな感覚は、初めてだ。安心できる、任せられる。今まで実質ただひとりでレイヴを守ってきたナハトにとって、感じたことのない感覚だった。しかし、相手も強い。先に切り捨てられた方とは力量が大きく違った。弱っているとはいえナハトとファリーダを相手取り、一歩も引かない戦いを繰り広げる。
「はぁ……っ、くそ、厄介だね……」
「応援は、来ないのか」
「しばらくは無理! いくよ、二人で倒そう!」
「ああ……っ」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
目を合わせるまでもなく、二人で右と左から一斉に斬りかかる。毒が回った分、ほんの一瞬出遅れたナハトの刃が弾かれた、その瞬間。
「が……ッ!」
(やった……!)ファリーダの大剣が、深々と男の腹に突き刺さった。男が血を吐いて倒れ込む。「……ッ」大きく目眩がして、大量に失血し毒を盛られたナハトが崩れ落ちると、男にとどめを刺したファリーダが大剣を捨てて駆け寄ってきた。「ナハト!」意識が遠のいていくのを、必死の形相のファリーダの声が呼び戻す。
「……ファリー、ダ……レイヴ様は、無事か……」
「ああ、無事だよ……あんた、ちゃんと守りきったよ……!」
(そうか……)あの方は、助かったのか。終わりを感じながら、ナハトはファリーダの長い腕に抱えられる。だめだ、もう、間に合わないだろう。
それでもいい、私がどうなろうと、レイヴ様さえご無事なら……。ファリーダが自らの衣服を破って、ナハトの左肩を押さえて止血するが、血は止まらない。薄れゆく意識のなかで、大きな瞳と目が合った。
「……お前はやはり、私が見込んだ通りの、剣士だったな……」
「ナハト……! ナハト、しっかりしなよ!」
震えながら、力もろくに入らない血で濡れた指を持ち上げると、しっかりとファリーダがその手を握った。真っ黒な瞳から、涙が流れる。(ファリーダ)泣いて、くれるのか。私のために。お前はどこまでも純粋で、どこまでも美しい……。
「私のレイヴ様を、守ってくれて、ありがとう……」
唇も震え、おそらく蒼白になっているだろうナハトを見つめてファリーダがいやいやというように首を振る。
「いやだよ、いやだ……あんたを、失いたくない……ナハト……!」
ぼろぼろと、大きな瞳から涙が溢れる。(ああ)その涙を、拭ってやりたいのに。身体が動かない。動かないんだ、ファリーダ。言いたいことはあるはずなのに、頭ももう回らない。舌もしびれて、声さえ出せなくて……。さよならの代わりに、最期に歪む視界に映るファリーダと手探りで寄ってきたレイヴを目に焼き付ける。
「ナハト……! もうすぐ、救護が来るから……お願いだよ、がんばって……!」
「ナハト。死んではだめだよ!」
「……っ」
レイヴ様。出逢ってから初めて、あなたのお言葉に背くかもしれません。私は、きっともう……。がくりと首が落ちた時。「ナハト、嫌だ!」ファリーダが叫ぶ声がして、意識が途切れた。
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