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「雅人……」
私は我慢できずに、彼の腕の中で泣き出した。
雅人が、こちらの苦しくないていどに抱擁を強める。
ハッキリ認識してしまう。
彼のために別れなければ、などと思ったが、そんなものは真っ赤な嘘だ。苦しめると分かっているのに、離れられない。
あなたを失いたくない。それがエゴでしかなくても。
私を包み込む長身が震え、弱々しい声が聞こえた。
「これ以上、かすみにつらい思いをさせたくなかった。だから今日を最後に、君のことを諦めるつもりで……。でも、そんなの無理だ。俺にとってかすみは、もう身体の一部なんだ。それをえぐり取るような真似はできない」
「雅人が、誕生日を祝ったりするから……ひどいよ」
「――ごめん。君を想ってプレゼントを選ぶ、そういう時間を捨てられなかった。俺は空っぽな人間だ。でもかすみを思い浮かべれば、自分が息づいている実感があった。こうして泣かせてなお、自由にしてやれない。俺は救いようのない存在だ」
私はぶんぶんと首を左右に振った。
「私が、雅人を解放してあげられない。あなたの恋人として未熟なくせに、そばにいたいの。失うぐらいなら、いっそこの部屋に閉じ込めてしまいたい」
「……ほんとうに?」
「雅人がほかの女性と幸せになるところなんて、絶対に見たくない」
「俺に安らぎをくれるのはかすみだけだ」
雅人がこちらの頭を撫でる。
「そんなことを言われたら、離せなくなる」
「あなたはきっと、後悔する」
「――それも、悪くない」
私は、自分が陥落するのを感じた。
心が交われば、やさしい世界が広がるだろうと思っていた。なのに相手を苦しめても、わがままを貫きたいだなんて。
こんなふうに縛り付けたら、いつか報いを受けるのかもしれない。
けど、それでいい。
誰かに「間違いだ」と非難されようと、この手を離さないことが、いまの自分にとっていちばん正しい。
その答えを見出したとき、私は未来への不安にしがみつくことを放棄した。
涙でグチャグチャな顔になっているだろうな、と思いつつ、相手を見上げる。すると、雅人が泣きそうな表情で笑いかけてくる。
ずっとズレていたものが、不意にピタッとはまった気がした。
「ねぇ、雅人」
「うん」
「やっぱりこのお惣菜、多すぎる」
彼は一瞬キョトンとしたあと、うなずいた。
「ごもっとも」
「捨てたくないから、協力してくれる?」
「もちろん。というか、責任を取ります」
「レモンケーキは、ああ言ってくれたけど――」
「うん?」
「友だちには配らない。私が、誕生日に、雅人からもらったものだもの」
すると雅人は、心の底から嬉しそうに眼差しを和らげた。
「いま思ったんだけど、俺がいろいろしてあげたくなるの、半分ぐらいはかすみが悪いよな」
「えっ、どうして?」
「自覚なしにその言動だもんなぁ……」
私が首を傾げると、彼は苦笑し、こちらの頬を撫でてゆっくり唇を重ねた。
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