1話

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 室賀くんが私の手を取り、旅館のロビーに戻った。  お客さんの姿はない。それでも私は、誰かに見とがめられるのを恐れるように、息をひそめた。  導く彼は、別館のエレベーターに乗って五階で降りた。  廊下をすすんで三つ目の部屋。その中に足を踏み入れる。  たたきの手前で相手が振り返り、また私を抱きしめた。  大人しくついてきたけれど、一部屋につき二人が割り振られているから、こんなことをするのはマズイのではないだろうか。 「室賀くん、同室の人は?」 「旅館を抜け出して、朝まで戻ってこない」  彼は身体を起こして、熱情的な眼差しをそそいだ。 「二人きりですごせる」  私がなにも言えずにいると、いとしげにこちらの頬を撫で、唇を重ねる。  今度はしっかり触れるキス。同時にやさしく抱擁される。  私は、状況の急変に思考がついていかない。そもそも、さっき告げられた彼の想いについても、いまだ驚きに包まれているのだ。  室賀くんとは同期だが、別部署で接する機会はあまりない。たまにやり取りすることがあっても、相手は普通の態度だった。  抱きしめられてキスをされて。  足元がフワフワして、自分のことじゃないみたいだ。  彼のことは嫌いではない。こうして触れられるのも嫌ではない。  でも、たったそれだけで流されていいのだろうか。  私は、「帰りたくない」という発言の意図を説明していない。悪気はないけれど、相手を騙しているような気がした。  それでも、この柔らかな空気を乱したくない。  いつの間にか私は、彼の袖をキュッとつかんでいた。  ひとつひとつを大切にするような口づけを受けて、グルグル考えていたことが遠ざかる。 「笠野さんっ……」  室賀くんにきつく抱きしめられる。  これまででいちばん、しっかりした胸板を感じた。スリムだけれど、貧弱ではない。男性なのだとクラッとする。  相手が乱れた息をついた。 「いきなりごめん。でも俺は――」  彼がこちらの耳や首すじにキスを落として、私はビクッと反応する。  室賀くんがこらえるような声を漏らした。 「離れたくない」  切なげに見つめたあと、覆いかぶさるように唇を重ねる。  なんどか触れて、こちらの口内に舌を差し入れた。積極的にあちこちをまさぐる。私は受け止めるだけで精一杯だ。  息継ぎみたいに口を離す。お互いに呼吸が乱れて、熱い表情をしている。  室賀くんがこちらの頬を撫で、感極まった表情になった。 「心が破裂しそう」  私は彼の手に触れて、「……うん」とうなずいた。  深く抱き合い、さまざまなキスを交わす。こちらの肩や背中を撫でていた手が、ためらいがちに私の胸を包んだ。  さすがに恥ずかしくて、私は顔を背ける。相手がちょっと驚いた声でつぶやいた。 「……つけてないんだ」 「風呂上がりだから……」 「よかった、ほかの男に出くわさなくて」  私は言葉に詰まる。  大浴場を出て部屋に戻る際、上司ら数名とすれ違った。私たちが「いいお湯でした」と言うと、「そうか、堪能してくるよ」というやり取りをした。  でも、この場では黙っていたほうがいいような気がする。 「出くわしたって、なにもないよ」  私が苦笑すると、彼は憮然とした。 「ドキッとする奴、いると思う。浴衣姿だけでも見違えるのに、湯上がりとか」 「そんな、買いかぶりすぎ」 「すくなくとも俺は、クラクラしてぶっ倒れそうになった」  真剣に告げられたら、私のほうがクラクラする。  そのタイミングで胸を揉まれて、思わず「あっ」と声を上げた。  すがるように「室賀くん……」とつぶやくと、やや上ずった声が応じた。 「止まれない」  襟をかき分けて潜り込んだ彼の手が、胸をじかにまさぐる。  先端をつままれたとき、支えられていなければ立っていられないくらい、力が抜けた。  室内に移動して、もつれるように布団に倒れ込む。  情欲をにじませた室賀くんに、見下ろされてゾクゾクする。理性があえなく押し流されていく。  求め合う口づけを重ね、熱い愛撫を受けて、心身ともにとろける。  そうして。  ふたつだった身体が隔たりなく重なった――。
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