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室賀くんが私の手を取り、旅館のロビーに戻った。
お客さんの姿はない。それでも私は、誰かに見とがめられるのを恐れるように、息をひそめた。
導く彼は、別館のエレベーターに乗って五階で降りた。
廊下をすすんで三つ目の部屋。その中に足を踏み入れる。
たたきの手前で相手が振り返り、また私を抱きしめた。
大人しくついてきたけれど、一部屋につき二人が割り振られているから、こんなことをするのはマズイのではないだろうか。
「室賀くん、同室の人は?」
「旅館を抜け出して、朝まで戻ってこない」
彼は身体を起こして、熱情的な眼差しをそそいだ。
「二人きりですごせる」
私がなにも言えずにいると、いとしげにこちらの頬を撫で、唇を重ねる。
今度はしっかり触れるキス。同時にやさしく抱擁される。
私は、状況の急変に思考がついていかない。そもそも、さっき告げられた彼の想いについても、いまだ驚きに包まれているのだ。
室賀くんとは同期だが、別部署で接する機会はあまりない。たまにやり取りすることがあっても、相手は普通の態度だった。
抱きしめられてキスをされて。
足元がフワフワして、自分のことじゃないみたいだ。
彼のことは嫌いではない。こうして触れられるのも嫌ではない。
でも、たったそれだけで流されていいのだろうか。
私は、「帰りたくない」という発言の意図を説明していない。悪気はないけれど、相手を騙しているような気がした。
それでも、この柔らかな空気を乱したくない。
いつの間にか私は、彼の袖をキュッとつかんでいた。
ひとつひとつを大切にするような口づけを受けて、グルグル考えていたことが遠ざかる。
「笠野さんっ……」
室賀くんにきつく抱きしめられる。
これまででいちばん、しっかりした胸板を感じた。スリムだけれど、貧弱ではない。男性なのだとクラッとする。
相手が乱れた息をついた。
「いきなりごめん。でも俺は――」
彼がこちらの耳や首すじにキスを落として、私はビクッと反応する。
室賀くんがこらえるような声を漏らした。
「離れたくない」
切なげに見つめたあと、覆いかぶさるように唇を重ねる。
なんどか触れて、こちらの口内に舌を差し入れた。積極的にあちこちをまさぐる。私は受け止めるだけで精一杯だ。
息継ぎみたいに口を離す。お互いに呼吸が乱れて、熱い表情をしている。
室賀くんがこちらの頬を撫で、感極まった表情になった。
「心が破裂しそう」
私は彼の手に触れて、「……うん」とうなずいた。
深く抱き合い、さまざまなキスを交わす。こちらの肩や背中を撫でていた手が、ためらいがちに私の胸を包んだ。
さすがに恥ずかしくて、私は顔を背ける。相手がちょっと驚いた声でつぶやいた。
「……つけてないんだ」
「風呂上がりだから……」
「よかった、ほかの男に出くわさなくて」
私は言葉に詰まる。
大浴場を出て部屋に戻る際、上司ら数名とすれ違った。私たちが「いいお湯でした」と言うと、「そうか、堪能してくるよ」というやり取りをした。
でも、この場では黙っていたほうがいいような気がする。
「出くわしたって、なにもないよ」
私が苦笑すると、彼は憮然とした。
「ドキッとする奴、いると思う。浴衣姿だけでも見違えるのに、湯上がりとか」
「そんな、買いかぶりすぎ」
「すくなくとも俺は、クラクラしてぶっ倒れそうになった」
真剣に告げられたら、私のほうがクラクラする。
そのタイミングで胸を揉まれて、思わず「あっ」と声を上げた。
すがるように「室賀くん……」とつぶやくと、やや上ずった声が応じた。
「止まれない」
襟をかき分けて潜り込んだ彼の手が、胸をじかにまさぐる。
先端をつままれたとき、支えられていなければ立っていられないくらい、力が抜けた。
室内に移動して、もつれるように布団に倒れ込む。
情欲をにじませた室賀くんに、見下ろされてゾクゾクする。理性があえなく押し流されていく。
求め合う口づけを重ね、熱い愛撫を受けて、心身ともにとろける。
そうして。
ふたつだった身体が隔たりなく重なった――。
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