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12#
哲雄が風呂から出てきた音と気配とで、味噌汁と白飯をつぐ。
箸はちゃんと箸置きに。
この箸置きは哲雄と旅行に行った時に、陶芸工房の箸置き作り体験で作ったもの。箸もその時に買ってきた色違いで、食卓に並べながら、当時のことをぼんやり思い浮かべた。
哲雄は、リビングに入ってきてすっかり支度の整ったテーブルを見て、やっぱり少し顔を曇らせた。
そして俺が席について突っ立ったままの哲雄を見上げると、意を決したように息を吸って「ごめん!」と頭を下げた。
胸がズキンとした。謝罪の言葉が俺を拒絶してる。もうダメだって。否が応でも実感したよ……俺のホームが、失われようとしてること──
「なんでだよ……」
自然と口をついて出た。
「勝手なんだよ……」
心変わりなんて、本人にだってどうしようもないのに。
どこにでも転がってる、よくある話。俺だってこれまでそうやって何人かと付き合い、別れてきたんだ。
分かってるのに、気持ちは別の方向へ走り出す。
前はしがみつくヤツは愚かでみっともないって思ってたのに、今の俺の内心は紛れもなくそのみっともないヤツに成り下がってた。
「そんなに若いヤツがいいのかよ。どうせもう三十路だよ。けど哲雄だって俺よりオッサンなんだからな!
いつもゴロゴロしてるし、ちょっと腹回りがだぶついてきたし、白髪も増えてきたし!」
別にそれ自体を嫌だなんて全然思ってないのに、あの俳優に負けた気がして言わずにいられない。
哲雄の顔を見るのが怖くて俯き、湯気を立てる白飯や味噌汁を、まるで味も匂いもしない画像のように目に映してた。
「若いヤツって……何。何の話」
「朝ドラの俳優だよ!写真集、オカズにしてるだろ!」
「……部屋に入ったのか?」
「ガムテープを探してたの!ちゃんと戻しとかない方が悪いんだろ!」
バツの悪そうな哲雄の顔を見て、やっぱりオカズ本は当たりだって、もうめちゃくちゃ情けなくなった。
そうだろうとは思ってたけどさ。
でもあくまで予想だったのと確定事項になったんじゃダメージのデカさがまるで違う。
なんだよ。俺とじゃもう、その気になれねぇってわけ?
馬鹿にしてる……俺は昨日、哲雄のロンT越しの体温にさえ切なさを覚えたのに。
そうだよ。まだ好きだ。
好きって言葉はしっくり来ないくらい。
この家にいるのが当たり前で、この先だってずっと一緒にいるって思ってるからこその不満だった。
哲雄が想像する未来にも俺がいると思ってたから……だから、こっちを見てくれない哲雄に文句をぶつけられたんだ。
「こんな仕打ちある?そっちから一緒に暮らそうって言ってきたくせに……若いうちだけしか用がないなら、最初っからそう言っとけよ……!」
腹立ち紛れに箸を掴んで床に投げつけると、それは軽い音を立ててあっちとそっちへ飛んでった。
ふたつでひとつのそれがバラバラになったのがまるで自分たちみたいで、八つ当たりされた箸の哀れさが自分の情けなさに重なって視界が滲んだ。
「ちょっと待ってくれ………」
哲雄が突然、しゃがみ込んだ。
困惑が滲んだ声に目線を上げると、涙が零れ落ちて頬に筋を残した。
「お前……俺と、まだ……」
哲雄がそのまま黙り込んで眉間にシワを寄せ、そのシワを伸ばすように指先で押さえて上下にぐりぐり動かしてる。
俺は哲雄が何を言いたいのか分からなくて、思わず「何……俺とまだってどういう意味」と涙声を抑えて先を促した。
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