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「すみません。お待たせしましたか」 佐野さんは約束の時間の5分前にやってきた。まだ日は完全には暮れてないけど、ぽつぽつと街灯が灯り始める頃。彼の顔は影の濃淡がついて昼間より、もっと素敵だった。 「今来たとこです」 「良かった。じゃあ行きましょうか」 大人らしくよそいきの笑顔を見せて、あんたに気があるよ、と言ったも同然な俺に動じることなくゆっくり歩き出す。 今まで付き合ってきた相手にはない落ち着いた雰囲気に、俺はもうのぼせそうになってた。今更ながらよく自分から誘ったなと思う。聞けば佐野さんは今34歳。8つも年上を相手にさ。 「何を召し上がりたいですか。私がよく行くのは和食とイタリアンなんですが」 「なんでも食べるけど……今日はイタリアンの気分かな」 「分かりました。ここからちょっとの所に良いお店があるので、そちらにご案内します」 丁寧な言葉遣いも身のこなしも”エスコート”って言う言葉がぴったりで、俺はどっかの国の王子にでもなった気分で、行き違いの歩行者を避けながら佐野さんについて行った。 目線は拳ふたつ分くらい上。肩の高さの違いを横目で確認した感じからしても、180センチ越えは確実。 「佐野さんって、すごい体格いいね。ジムで鍛えたりしてんの?」 聞いてからハッとする。ゲイだって分かってる男からこの聞き方って、ちょい露骨だったかなって……いや、服の下はどんなだろうって想像は思いっきりしてるけどさ。 それでも佐野さんは穏やかな表情をチラリとも変えず、「今はそれほどしてませんよ」と微笑んだ。 「大学時代にアメフトをやってたんで、その名残りかな。新卒の頃はスーツが入らなくて困りました。今くらいがちょうどいいですね」 「アメフト……」 確かに体つきは運動部って感じだ。美術部と帰宅部しか経験のない俺には、まったく縁のない世界。でも運動部のヤツってがさつだっていう偏見があったんだけど佐野さんにはそれが全くなかった。 とにかくオールパーフェクト。これを恋と言わずしてなんと言う。 星占いの恋愛運絶好調って、ほんとだった……! けどなぁ……俺たちの恋は、最初っから高いハードルがある。俺も例にもれず、ノンケとの恋愛はうまくいった試しがない。っつーか、告白したことすらない。 美大時代の友達や先輩に変人が多かったせいで受け入れられた自分の性志向を隠すことはなくなったけど、完全に開き直れたかと言えばそうじゃなくて……ゲイのデザイナーってキャラにはまってられれば結構自由に表現できるのに、素の自分で真っ向勝負できるほど自信があるわけでもなかった。 「ここです」 佐野さんが案内してくれたイタリアンダイニングバーは、昔のヨーロッパの酒場風っていうの?床板や天井の経年を感じさせる色や照明の黒い金属部分のさびを演出した質感が、すごく落ち着いていい雰囲気だった。 店員にテーブル席とカウンター席のどちらが良いか聞かれて、「カウンターでもいいですか」と佐野さんがこちらを振り向いた。頷きながら、カウンターを選んだ彼に勝手に期待を寄せる。少なくともゲイを毛嫌いしてるわけじゃないって。 並んで座ると、それだけで親しさが増した気がする。メニューを見ながら佐野さんがおすすめを教えてくれるのに耳を傾けて、でも脳内ではデートしてるみたい、なんて妄想して完全に舞い上がってる。 ビールで小さく乾杯して、運ばれてくる思ってたより本格的だったイタリアンを堪能して、仕事の話をしたのはほんの最初だけで、あとはお互いのことについて流れの向くまま話した。 基本的に言葉数の少ない佐野さんはぽつりぽつりと。その優しい雰囲気に導かれるように、俺の話が7割方を占めた。 一目惚れの地点で惚れてるのに。ああ、いいなって思う瞬間がどんどん増えてく。好きだな、好きだなって重ね塗りされてく。 あっという間に2時間以上が過ぎてて、佐野さんがふと話が途切れた間に「楽しくて、ずいぶん長くお引止めしてしまいました」と静かに言ったとき、ああもう終わりなのかってめちゃくちゃ寂しくて。 かと言って、もう一軒、とは言えなかった。 仕事でも直接は関係ない人で、仕事をたてに食事をご馳走してもらうことは出来ても、これ以上踏み込むには素の自分が佐野さんに惹かれ過ぎたし。 そしたら…… 「今夜はまた会社に戻らなくてはいけないので無理なんですが……今度飲みに行きませんか」 「えっ」 「良かったら、ですが。とても楽しかったので……」 「あ、もちろん。俺は、ぜひ」 思いもよらない提案に気が動転しておかしな日本語を返して、「名刺の連絡先は社用なので、ライン、いいですか」とQRコードを見せられて、わたわたしながらそれを読み取って登録して……会計の後に店の外に出ると、佐野さんが改めてこっちを振り向いて、正面から向き合った。 すっかり夜になった空と街の灯りの中に陰影の濃い佐野さんの姿が浮かび上がり、目に焼き付く。 「じゃあまた。時間が取れそうな時、連絡しますね」 俺が頷くと佐野さんは小さく笑ってゆっくりと歩き出し、通りでタクシーを拾って俺の視界からいなくなった。 「あ……ごちそうさまって言い忘れた……」 まだ夢見心地で独り言を言いながら、頭の隅で彼の誘いの意味を考える。 ゲイとかもともとあんまり気にしない人で、純粋に気が合ったから飲みに……ってこと?友達になりましょう、的な。 それか……もしかしてそっちの意味?え、佐野さんもこっちの人……?にしてはそういう雰囲気を出してきたわけでもないし。 それを確認することは出来なかった。 だって、もし深い意味がなかったとしたら、俺がそういう風に思ったことが伝わった地点でこの話自体がなかったことになりかねないしさ。
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