703人が本棚に入れています
本棚に追加
#4
頼まれていた佐野さんとこのパッケージの仕事が、予算変更の話があってから1週間ほどで片がついた。これは奇跡的と言っていい。
一番の問題は素材だった。微妙な質感の違いで印象が変わるから出来るだけ変えたくないけど、コスト削減しようとするならそこを変えるしかない。けどもう徹底的に探した上での現地点……だから、発想を変えて色のコントラストで表現するとか、画像のシズル感を調整するとか、頭を柔軟にトライアンドエラーを繰り返して、でも納得のいくものがなかなか出来なかった。
アイデアを発掘するために久々に会社に行ったら、そこに取引先から送られてきた新素材のサンプルがいくつかあって、その中のひとつにぐっと引き付けられて……実際試してみたら、ほんの少しのデザインの変更とロゴやフォントの大きさ、配置の変更だけで『雰囲気を変えず、予算内で』っていうクライアントの要望通りに出来て、それは俺自身予想しなかったラッキーだったってわけ。
山口さんは泣きそうな顔でめちゃくちゃ喜んでくれて──
「長谷川さんにお願いしてみて本当に良かったです……!僕らのチームにとっては、この新商品が当たるかどうかが社内で生き残れるかどうかに関わるってくらい大事だったんで……これ、絶対いけます!すごく良いですよ!」
もちろん山口さんがそう言ってくれたのも嬉しかったけど、俺としては山口さんの向こうの佐野さんが喜んでくれたかなって……それを想像して嬉しくなってた。まるで褒められるのを待ってる子供みたいに。
それで、ラインしたの。無事完成したよって。そしたら夕方「今夜、飲みに行こう」って返事が来て……もちろんそれは完成祝いに違いなくて、それで佐野さんと初めて飯を食いに行ったあのイタリアンの店に現地集合の約束をして出かけて行った。
「かんぱーい!」
今日はカウンターが満席で、4人掛けのテーブル席にナナメに向かい合って座ってビールで乾杯した。
正面って……困る。だって思いっきり目が合うじゃん。いや、いいっちゃいいんだけどさ。見たいんだから。今日もいい男だし……
「完璧な仕事をしてくれてありがとう。厳しい要求だって分かってたから、正直あそこまでのものが出来るとは予想してなかったよ」
「うん。今回はちょーラッキーだった。たまたま届いた新素材のサンプルが、ベストマッチだったっていうさ」
「運も実力のうちだろ」
「ふっふっふ まぁ日頃の行いがいいってやつ?」
まっすぐに褒められてくすぐったくて、ふざけて威張って見せないとやたら笑っちゃってダメで。佐野さんはそんな俺を穏やか~に笑って見守ってて、なんかすげえかっこよくて……
トマトとバジルのブルスケッタ、ルッコラのサラダ、ピッツァマルゲリータ、俺のメインはペスカトーレ、佐野さんはボンゴレロッソ。
テーブルの上の華やかな、パーティみたいなその色彩と店内の程よく暗い酒場感とがビールをどんどん旨くして、また俺ばっか喋ってる。
「ねーねー 佐野さん、楽しい?俺ばっか喋ってるけど」
「楽しいよ。元々聞いてる方が好きなんだ」
「ほんとかなぁ~」
確かに佐野さんの表情に退屈はないけど。
あー……聞きたくなってきた。今まで我慢してたけど、そろそろいい?軽い感じで、なんでもないことみたいに……
「佐野さんってさ、彼女いるの?」
残ってたブルスケッタに手を伸ばし、噛り付きながら訊いた。
佐野さんはやっぱり即答せずに、いつもの独特の間をもって自分のボンゴレロッソの大きいひとくちを口に入れて俺を見た。ドキドキするんだよな、この間……気軽い感じで訊けたはずなのに、なんかすげー待ってるみたいになってるし……
「いない」
「あ、そーなんだ」
しまった……嬉しそうに聞こえたかも……内心慌ててちょっとかぶせ気味に「会社勤めだとなかなか出会いがないよね」ってフォローになってんのかどうか分かんない言葉を連ねると、佐野さんは「そうでもないよ」と意外な言葉を返してきて……
そうでもない。ってことは出会いがあるってこと……え、もしかして社内恋愛的な?もう候補がいる、的な……
「狙ってる子がいるんだ?オフィースラブってやつ?」
「ははは 久しぶりに聞いた。オフィスラブって」
真顔だとやや怖い佐野さんの破顔は破壊力満点。あぁ笑顔もいいなぁ……って、それで。どうなんだよ。ははは、じゃねえよ。狙ってる子がいるのか、いないのか──
何気なく、を装って訊いたから一回タイミングを逃すともうそれ以上は訊けなくて、結局そのまま話は流れて……そこでふと、これもしかして、故意にはぐらかされた?って思った。
だって俺の気持ちは分かってるようなものなわけだし。独特のゆっくりな間に誤魔化されてるだけで、俺が一生懸命探りをいれようとしてるのを楽しんでるとか……ノンケでも、好かれるのに悪い気はしないって人もいるしさ。愛される者の優越と傲慢というか……
「どうした?」
「え?」
「急に黙り込むから」
「ああ、別に。ちょっと考え事してた」
そうだよ。なんかすごい見守ってる感というか、観察してる感というか、そういう感じだもん。ひどいなぁ佐野さん。モテる男はこれだから……
脳内で勝手に悪者にしてたら、佐野さんがそろそろ行こうかって会計の札を持って立ち上がった。
「今日は払うからね」
「完成祝いだよ」
「いつもいつも悪いって。割り勘にしようよ」
後を追うように立ち上がって言ったけど、佐野さんは穏やか~に無視して会計を済ませてしまった。
なんか雰囲気に騙されるけど、結構強引というかマイペースというか……
「ごちそうさまでした」
店の外へ出て頭を下げると、頷きだけで応えた佐野さんがゆっくり駅の方へ歩き出した。今日はもう一軒、はないのかってちょっとがっかりしながら、名残を惜しむように隣の彼の存在感を味わう。
手を繋ぎたい。腕を組みたい。抱きつきたい。欲望は際限がなくて、でも実際は伝わってくる気配を脳内で拡張してそれを満たす。実に涙ぐましい。
秋の夜風が少し酔いの回った頬に気持ちよくて、俺は目を閉じて深く息を吸った。
そしたら隣から「この後、うちに来る?」って……耳を疑う言葉が──
最初のコメントを投稿しよう!