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なんでもない日 その4
◎本編後数ヶ月、秋
☆今日の夏希さん☆
⚫トップス
ライトグレーのジャケット
こくのある黒いシャツ
黒地にシルバーストライプのネクタイ
胸ポケットにネクタイと同柄のチーフ
⚫ボトムス
ジャケットと揃いのスラックス
⚫靴
黒い靴下
黒の革靴
⚫アクセサリー
時計(オメガのシーマスターアクアテラ)
夜の9時を回った頃、帰宅したら夏希がいなかった。飲みに行ったのかもしれないが、平日は割と家にいることが多いから珍しい、と感じた。
LINEを見たけど特に連絡はなし。別に行先をいちいち知らせる決まりがあるわけでもなし、俺もそれ以上特に気にすることなく、風呂に入って飯を作ってっていうルーティンに流れるように入った。
普段からべったり一緒にいるわけじゃないからひとりで飯を食うのも何も特別なことじゃない。それなのに今、夏希がいないだけでやけにひとりだと感じるのが不思議だ。土日の夜、あいつが飲みに出かけるのが分かってる時はそれほど感じなかった、この不在感。
寂しい、というのとは違う。
ただ不意に、あえて『いない』と感じるというのが、あいつが俺の中のどれだけを占めてるのかを改めて思い知らせて、この歳になって……と苦笑せざるを得なかった。
夏希はもうじき日付も変わるかという時間帯に帰宅した。
リビングのソファでテレビを見ながらその物音を耳にした俺が、その後シンとして動きがないのを不審に思って玄関に行ったら、珍しくスーツを着た夏希が上がり框に腰を下ろしてぼうっとしていた。
ふわっと鼻に届いたアルコールの匂い。
俺に気付いた夏希がゆらりと立ち上がると、その匂いは一段と強くなった。
「ただいまぁ……」
俺の肩に手をかけて靴を脱ぎ、それから俺を追い抜くようにして廊下を進んだ。
「珍しいな」
俺がそれだけ言うと、夏希はジャケットを脱いでダイニングの椅子の背に放ってかけると、左手首を飾る時計を外しながら酔いの回った目つきで俺を流し見た。
「接待だよ、接待。得意先のおエライさんと飲んできたの。しゃちょー命令で。スーツもおっさんの好みでね~……ひっさしぶり過ぎて、肩凝ったわ」
伏し目で小さく笑うと、まつ毛の長さがはっきり分かる。
普段わりと子供っぽい仕草が多いくせに酒が入れば年相応の色気を感じさせて、俺は、ネクタイの結び目をくっくっと引っ張って緩めてる様を味わうように眺めた。
それにしても接待、か。含みのある言い草でこうしてストレートに伝えてくるのには二つの意味がある。ひとつは、今夜の接待はいわゆる健全さからは少しはみ出してるってこと。そしてもうひとつは、そこに後ろめたさはないってこと。
シュルッと小気味いい音をさせてネクタイを抜き、それを椅子の背のジャケットの上へ放り投げてシャツの首元のボタンをひとつ、ふたつと外し、テーブルへケツをちょっと乗せて、酔いを逃すようにふうっと息をつき、少し首を傾げて俺を見上げる。
そのおっさんとやらがこんな姿を見れば、飛びかかって行くんだろう。それだけの色っぽさがあるってことをこいつも分かってて、俺を誘ってる。
だけど俺がその手に乗らずに元居たソファに戻って行くと、酔いも手伝ってかいつもよりずっと素直に夏希が後を追ってきた。
「てーーつーーお」
隣に腰を下ろして、もたれかかって来る。
「なーんーでー無ー視ーー」
子供みたいな節回しに合わせて、頭を肩へゴンゴンぶつけてくる。
「痛い」
「濃ゆい接待で疲れた恋人を慰めてやろーとかさぁ……」
濃い、にはどこまで入るのか。そんな意味を込めた視線をちらりと横へ投げかけた。
すると夏希はそれを不思議と読み取って、「ケツとクビが汚れた」と言って立ち上がり、向かい合わせになるように俺の膝の上へ跨って抱きついてきた。
「個室だったしさ。隣に座らされてケツずーっと触られて、首にキスされた。後でちょー拭いたけどさー……なんか感触残ってて気持ち悪い」
夏希が手を当てながら話したことでそれが右の首筋だと分かって、顔を潜らせるようにそこへ口付けた。見知らぬおっさんのマーキングに静かにムカつきつつ、滑らかな肌から立ち上る微かな香気に誘われて、後は欲情のままに。
ソファへ巻き込むように押し倒し、艶やかで上質な黒いシャツのボタンをひとつひとつ外して……でも中から色気も素っ気もない白い綿の下着が出てきて思わず吹き出した。
「子供かよ」
「もしも、があった時にさ。おっさんの目を覚ます作戦」
「お前がそこまで黙ってるとは思えねぇけど」
伺うように見たら、夏希は勝ち誇ったように笑って「殺したら接待にならないだろ」と俺の首を引き寄せ、一転夜の声で俺の名を呼んで唇を重ねた。
まったく、やられてる。やられちまってる。酔った夏希がいつも以上に奔放に、貪欲になることを知っていながら、止める気がないんだから。
付けっぱなしのテレビがどうでもいい深夜番組を流してる。
まだ売れてない芸人達のその変に明るいテンションが、甘く乱れる夏希と交錯して俺を妙に熱くした。
END
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