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北陸に在住の、Oさんが体験した話だ。
Oさんの実家は、日本海に臨むその県の中でも、山深い内陸の地域にある。
田舎の家には珍しくない、父母に祖父母、弟との6人暮らし。
敷地内には石造りの蔵が二つ、広大な庭と、大きな山。車で十五分の所にまた二つ、山を持っていた。
この家にしてみれば嫁であるOさんの祖母は、生家ではない夫の家が存外自慢のようだった。
よく「この家の家系図は東大の先生が調べに来た、古い家なんだ」と言っては、必ず「だから、土地が広いんだ」と締め括る。
祖母は、そのように嘘だか本当だかわからないことを頻繁に言うので、Oさんの父は煙たがった。
その、祖母が語る話の中に、『とうもろこしの話』があった。
それは、こういうものだ。
昔々、Oさんの家の先祖が流行病に罹った。
重篤なその様子に、先祖の母親という人は、いたく焦る。
悩んだ末に母親は
「この家では今後一切、私の好きなとうもろこしを育てません。ですから、子供を助けて下さい」
と、神に祈った。
神は祈りを聞き入れ、病に伏せった先祖は回復に向かった、という。
ところが、それからOさんの家系ではとうもろこしを育てると、人死にや、気狂いが出るようになった。
とうもろこしを育てた本人が死ぬこともあれば、家族の誰かが被害を被ることもある。
そういうわけで、Oさんの家ではとうもろこしを育ててはいけない、のだという。
迷信のような話だ、とOさんは思ったそうだ。神様が出て来るというのはロマンがあるが、その後の顛末が酷くおどろおどろしい。
だが話者である祖母は、話の終わりがけに仏壇の過去帳を開き、故人の名前を指差すと、「この人は育てちゃって、気が狂ったんだ」と笑ったりする。
その姿がまた、幼い自分を不安にさせたのだという。
「今だからわかるんですけどね。作物の禁忌って案外あるんですよ」
Oさんは笑った。
「とうもろこしも、『落武者が、追手の隠れる所を無くす為に、植えちゃいけないんだ』、と言い伝えられてる地域もあるそうで」
確かに、作物禁忌自体は珍しい話でもない。庭に植えてはいけない植物の代名詞としては、柿なども有名だ。
そんな『とうもろこし』の話は、だがしかし幼いOさんにとっては充分刺激的で、話したい盛りの心に火をつけた。
慌てて彼女の両親に祖母の話を伝えると、二人は「嘘だろう」と、笑った。笑われたことに、少し傷付く。
そんなこともあって、Oさん自身も『とうもろこしの話』を心の隅に追いやっていったのだ。
小学二年生になったOさんは、生活の授業で畑作をすることになった。
彼女が割り振られた担当は『とうもろこし』だった。
脳裏に祖母の話が過ぎったが、「あれは迷信だ」と、嫌な気分を振り払う。種を植え、それは順調に成長した。
育つのが嬉しいのと同時に、時折思い出す祖母の語りのせいで、酷く複雑な心境のまま、梅雨が明け、気温が上がり、夏が近付いた。
夏休み前には、とうもろこしはすっかり大きくなっており、他の野菜と共に、Oさんもそれを一つ、収穫した。
たった一つ。それだけだった。
祖父母には、自分が育てたことは言わず、皆で食べた。
誰かが死ぬことも、狂うこともなく、日々は平穏に過ぎて行った。夏休み中、ハラハラと過ごしていた彼女だったが、「やっぱり祖母の嘘だったんだ」と、胸を撫で下ろした。
その冬のことだ。
Oさんの祖父が倒れた。
倒れたと言っても、膝を折って崩れ落ちただけで、意識ははっきりしていた。
けれど、母が救急車を読んで、その音に引き寄せられた近所の人たちがワラワラと家へ殺到した。去りゆく救急車を眺める彼らの様子は、近所の人が死んだ時の葬列のようで、窓から見ていたOさんは「その方が怖かった」という。
ところが、医者によれば、ただの風邪だという。
一連の流れから不安しかなかった彼女は、母から祖父の病状を訊いて安心した。事実、見舞いに行った先の祖父は、すぐ退院できるような雰囲気だったそうだ。
痩せてはいるが、いつもの気難しそうな様子で話すのを見て、Oさんは安堵の息を漏らした。
状況が大きく変わったのは、正月のことだった。
チラチラと雪の舞っていたその日、Oさんは母親に叩き起こされた。
「お爺ちゃんが死んだよ」
弟と二人、呆然としていると、すぐに着替えるように言われた。
着替えの途中で弟が泣き始めた。
それに吊られて、Oさんの視界もぼやけていく。
それは、彼らが初めて触れる死だった。
身近にいる人が消える。存在が失くなる。酷く物悲しくて、涙が止まらなかった。薄情なようだが、会話も少なかった祖父に、大した愛着は無かった。自分でも泣いているのが不思議だった。
事実、それが過ぎると、涙が出てくることは少なくなった。
祖父の葬式には多くの人がやって来たし、遠方にいる従兄弟が来たのも嬉しかった。思っていたよりも、葬式って寂しく無いんだな、とOさんは不謹慎なことを考える。
葬儀も終わり、四十九日も終わった。
裏山にある墓に、祖父の骨を納めた。葬儀の時に、彼女も拾うのを手伝った物だ。
終わった終わった、と大人たちは家に帰って人心地着いた。
と、同時にOさんは気付いた。
ーーとうもろこしの話が、本当になってしまった。
「偶然なんでしょうけどね。祖父はもともと大病をした人でしたし、寿命だったんですよ」
彼女の祖父は、六十代で大病をしてから、入退院を繰り返す生活をしていたそうで、体力はかなり落ちていた。
しかし、そう言って『とうもろこしの話』を否定するOさんは、「けれど」と自嘲気味の笑みを溢した。
「今でも、祖父を殺したのは自分なんじゃないか、と不安になるんです」
ポツリ、呟いた。
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