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例えばの話
「もし、"今の自分が本当の自分ではないかもしれない"と思ったらどうしますか?」
その言葉を聞いて彼の手が止まる。ややあって彼は視線を文字だらけの紙から目の前に立つ男性へと向けた。その表情は訝しげだ。
「…いきなり何を言う?」
「あくまで例え話です」
目の前の彼、バンデス捜査官はから笑いをして少し俯くと書類の入った封筒を見つめる。
「そのような状況にならねば分からぬが、いずれは本当の自分を受け入れるだろう」
「そうですか。…突然の質問、失礼いたしました。答えていただきありがとうございます」
彼、ブレジェヌフ卿の言葉にバンデス捜査官は特に言い返すこともなく、封筒から視線を上げて目の前に座る彼を穏やかな表情で見ると軽く会釈をした。
「では、失礼いたします」
彼は封筒を脇に挟み、再び会釈をすると背を向けてドアへと歩を進める。
ゆっくりと手を伸ばし、ドアノブを掴んだところで背中に声が当たった。
「バンデス捜査官、」
「はい」
「もし貴公ならどうする?」
「私、ですか」
振り返ればブレジェヌフ卿の視線とかち合う。
氷のように冷たく尖ったような群青色の虹彩は何度見ても体中が恐怖で震え上がりそうだ。
「…正直、何とも言えません」
「私に聞いておきながら自分は何とも言えないか。真面目に答えた腑抜けさに笑いが出てくる」
彫りの深い顔面に冷笑を浮かべてブレジェヌフ卿は静かに睨み上げる。
どうやらご立腹とまではいかないものの、そこそこ機嫌を損ねてしまったらしい。
バンデス捜査官は慌てて頭を下げた。
「お気を悪くしたのならば、申し訳ございません。…自分の悩みを例え話にするなんて愚問極まりないですね。大変失礼いたしました」
「……悩み?」
その言葉に彼の双眸が丸くなる。
「つまり貴公は"本当の自分ではない"と言うのか」
「……お恥ずかしながら、そうです」
バンデス捜査官は苦笑しながら困ったように小さく息を吐いた。
「ここ最近、変な夢を見るんです。夢だとわかっていても現実味がある恐ろしい夢を」
「…ふ、面白い話だ。そこで聞かせろ」
ブレジェヌフ卿が近くの椅子に座るよう目で促す。
彼は頷いて椅子に腰かけ、封筒を膝の上に置いた。
「…毎回私は廃墟というか、黒く焼けた建物の残骸に立っていました。独特の臭いも、熱も肌に感じて泣いているんです」
「泣いている…」
「はい。そして目の前に"彼"が現れるんです。隣に真っ黒で大きな犬を連れた彼は私を見つめている…やがて何かを言うんですが、声が聞こえなくて何を言っているかわかりません」
「……。その男は知っているヤツか」
バンデス捜査官は俯き、目を伏せてこくりと頷く。
それから顔を上げてブレジェヌフ卿を見つめた。
「その男性は、リエラ・ブレジェヌフ氏です」
「!! なんだと…?」
その瞬間、ブレジェヌフ卿の表情が強張る。自分の兄であるリエラの名が出たのは予想外だった。
「続きは…夢の続きはどうなるのだッ!」
執務机から身を乗り出すほどの勢いで立ち上がった彼に戦きつつもバンデス捜査官はぽつぽつと言葉を漏らす。
「彼は何かを言った後、胸に手を当てて深々と頭を下げるんです。泣きそうな歪んだ表情でした。その後は背を向けて去る…そこで起きるんです」
「…そう、か」
ブレジェヌフ卿がすとん、と椅子に座る。
それと同時に壁時計の針が15時を告げ、入れ違いで彼は跳ぶように立ち上がった。
「はっ、巡回の時間…!───お話の途中ではありますがここで失礼いたします」
「ああ、引き留めてすまなかった」
何度も頭を下げた彼はドアノブを握る。
「…捜査官、最後に聞いてもいいだろうか」
「?はい」
「貴公は"15年前"について何か知っているか?」
「15年前ですか?……」
脳内の片隅に散らつく"身に覚えのない"記憶に彼の動きが止まる。何故か、鼓動がうるさい。
「15年前……」
わからない、わからないけれど嫌な予感がする。
体中が意識に反して強張り、寒くもないのに悪寒が走った。
───自分は何もわからない、はずだ。
「もうよい。こちらこそ愚問を失礼した」
ブレジェヌフ卿が手を組み、口を開いた。
その声でハッと我に返ったバンデス捜査官は頭を下げて執務室を出ていく。
その一方で彼は音もなく閉められたドアを見つめた後、再び手を動かし始めた。
「……。彼の素性を調べる必要があるようだ」
紙を埋める文字の羅列を静かに見下ろしながら先ほどのことを思い返す。
『貴公は"15年前"について何か知っているか?』
『15年前ですか?……』
そう呟いたとき彼は何かに怯えた表情をしていて、ふと15年前に別れた幼馴染みを思い出させた。
【15年前のこと】
2020.6.27
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実は夢小説を一部変更したやつだったり。何の夢小説かはわかる人には分かるかも
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