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しあわせの音が降る(2)
「まったくなんだい。腹が立つ」
おじいちゃんの遺影に向かって放ったおばあちゃんの第一声がこれだった。
通夜の時も、親族との会食の時も、葬儀の時だって。一言も発することのなかったおばあちゃんが、こっそりと深夜に仏壇のおじいちゃんの遺影に向かって放った一言。それは悲しそうでも、寂しそうでもなくて、ほんとうに腹が立っている時のおばあちゃんだった。
体調を崩しがちだったおじいちゃんが入院したのは、わたしがまだ高校生の頃のこと。「しばらく休んでたらそのうちよくなるわい」と何事にも楽天的な性格のおじいちゃんに告げられたのは、悪性腫瘍。それもかなり進行していたもので、おばあちゃんから連絡を受けて病院へ駆けつけたわたしたち家族は言葉を失っていた。
病気にではなく。おじいちゃんに──。
病室に入るなり大きな口を開けて「だはははっ。いやぁまいったまいった。まあ、いつ死ぬか分からんよりは、だいたい分かってるほうが安心じゃな」なんて本気で言ってみせるおじいちゃんに、頭の中でストックしておいた言葉が吹き飛んだ。文字どおりのぽかんとした顔の私たち筒原家と、眉間に皴をよせ、辛辣な表情でおじいちゃんを見つめるおばあちゃんがいる病室には、おじいちゃんの「だはは」だけがしばらく残っていた。
当時まだ高校生だったわたしは、週末になるとおじいちゃんのいる市内の病院へ様子を見る為によく足を運んでいた。わたしの住む家から病院まではそれほど遠いわけではなく、電車で三駅も行けばそこから歩いて十分ほどで着く。普段おじいちゃんとおばあちゃんは辻滝山という山のふもとにある小さな村の一軒家にふたりで住んでいた。わたしの住む街から車でも二時間以上はかかる場所にある。
村の小さな診療所へおばあちゃんに引っ張られるようにして連れてこられたおじいちゃんは、「もっと大きな病院で詳しく検査を受けたほうがいい」と先生から市内の病院を紹介され、その時はじめて病気が分かった。
「筒原 正雄」そう力強く書かれた病室の名札とは対照的に、長年の山仕事で培った筋肉質なおじいちゃんの体は、削ぎ落されていくように日に日に細くなっていった。それでもわたしが病室に顔を出すと、きまって「お、来たな来たな」と言って、皺くちゃの顔にさらに皴を足して嬉しそうに笑って迎えてくれた。
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