しあわせの音が降る(3)

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しあわせの音が降る(3)

 でもその日だけはいつもと違っていた。  病室に入っても、わたしが来たことに気付いていないみたいにベッドの隅に腰を下ろして、じっと病室の窓の外を見つめていた。 「おじいちゃん具合どう?」そう声を掛けてみても、じっと窓の外を凝視したまま何かを噛み締めるように、頬の小さくなった筋肉がぴくり、ぴくりと僅かに動いているだけだった。わたしはおじいちゃんの隣にそっと腰を下ろして、おなじように窓の外を見つめてみた。  小さく息を吸う音が聞こえておじいちゃんの横顔へ視線をやると、頬がまたぴくりとふるえて、ゆっくりとおじいちゃんの口が動いた。 「約束……。守ってやれんかったな。ばあさん、怒っとるだろうな」  わたしにでもなく。明確な誰かにでもなく。もちろん窓の外に映る景色にでもない。おじいちゃんが吐露した言葉は、ふわりと目の前の空気に紛れて溶けていった。  それからしばらくして、おじいちゃんは自宅に戻っておばあちゃんと数日を過ごしたあと息を引き取った。  わたしはおばあちゃんの泣いいるところを見たことがない。  そういえば笑ったところも  わたしのおばあちゃんの印象は、「厳しい人」、「口うるさい人」、「いつも着物」だ。顔を合わせるたびに礼儀作法や服装、話し方に至るまで指摘をされる。直せば済むことなのだが、あの頃のわたしは青春真っ只中を疾走中。そのうえ大雑把な性格と、指摘の難易度の高さもあってすぐに忘れてしまう。  わたしはおばあちゃんと会話という会話をした記憶がない。  いつも、あれこれはやめなさい。あれこれは直しなさい。はいおしまい。という感じだからだ。応えようにもおばあちゃんのさらなる追撃が待っているだけなので、大抵は何も言わない。それは、おばあちゃんがいつも身に着けている着物のせいでもあった。皴ひとつ見あたらない丁寧に着付けられた着物は、おばあちゃんをより一層厳格に見せ、どこか厳かな雰囲気を漂わせていた。いつだったか友達の家へ遊びに行った時、菓子パンやらお饅頭やらをひろげながら、陽気に話し掛けてくる薄手のセーターにカーディガン姿の友達のおばあちゃんを見て、これこそがわたしの理想のおばあちゃん像なのだと思ったこともある。  けれどわたしはおばあちゃんが嫌いなわけではなくて。  わたしはおばあちゃんがとても苦手だった。
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