しあわせの音が降る(5)

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しあわせの音が降る(5)

 車で三十分も走れば市内の喧騒は次第に息をひそめ、通りの反対側には海が広がって見える。夏が過ぎて秋を迎えた海は、静かに海面を揺らしながら次なる場所へと季節を運んでいく。わたしの住む街は沿岸部に近い場所にある。小学校の恒例行事に「浜辺のごみ拾い」なるものがあったくらいだ。とは言っても、ごみ拾いは最初の三十分くらいであとはほとんど波打ち際で水遊び。お弁当を食べて。また水遊び。  今朝おばあちゃんに会いたくない病が発症したわたしは、さほど身支度することなく家を出たせいもあって、寝ぐせの残った髪がなかなか言うことをきいてくれない。後部座席からバックミラーを覗き込み、指で何度も髪をとかす。運転中のお父さんとちらりと目が合う。 「焚音。もう手遅れだと思うぞ」 「あきらめたくないの」  自分自身の体温を頼りに両手をアイロン代わりに髪を挟みこんでみる。 「そのセリフは焚音が仕事を辞める前に聞きたかったな。成人を過ぎた我が子がふたりとも無職だなんて……」 「お父さん、わたしが仕事辞めたの絶対におばあちゃんに言わないでよね。すぐに次探すから。それに二年もったんだからまだマシだって。わたしの周りなんかほとんど一年もってないんだから……。夏にいだって1年たってないでしょ。それも辞めた理由が朝が早いときた。何それ? とにかく内緒にしといて」 「まあ、夏に続いて焚音まで無職だなんてお父さんもさすがにカミナリ落とされるからな。そこはお互いうまくやろう」 「あら、わたしおばあちゃんには言ってあるわよ」 「お母さん」 「お母さん」  左手にいつの間にか早智子おばさんに渡すはずのおかきを持ちながら、軽やかな咀嚼音を響かせているわたしの母、筒原つぐみ。そして裏切りものだ。
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