しあわせの音が降る(6)

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しあわせの音が降る(6)

 辻滝山が目前まで迫ると、沿岸の潮の香りを連れ去って森の枯れ木や葉の匂い、土の匂いが辺りを包み込んでいく。次第に道幅も狭くなり、道路わきには広々とした田んぼや梨畑が姿を見せる。語弊のある言い方になるかもしれないが、わたしは田舎の景色が好きだ。季節の移り変わりを目と鼻で感じることができる。アスファルトやマンションの立ち並ぶ硬質な世界での春夏秋冬は、「あったかい」「あつい」「すずしい」「さむい」といった具合だからだ。 「あれ、牛舎におじさんのトラックがないな。今日はおじさんも家にいるのかもしれない」  早智子おばさんの家に向かう道中に利明(としあき)おじさんの牛舎がある。おじさんは早智子おばさんの旦那さんで、牛舎のほかに畑でとれた野菜を直売所に卸したりもしている。わたしが小学生の頃、牛舎で牛の乳しぼりを手伝ったことを作文に書いたら見事学年で賞をもらった。それからわたしはおじさんのことを「モーおじさん」と呼んでいる。(牛の鳴き声のモーからとった)もちろん尊敬の念を込めてだ。  車道を外れ、畑のあいだの砂利道をすこし行くとたねおばさんたちの家がある。平屋の一軒家で、庭先にはイチジクの木が植えてある。今ではすっかり枯れてしまっているけれど、子供の頃夏休みに訪れると、よく採れたてのイチジクを振舞ってくれた。 「あっ、いたいた。おじさんのトラックだ。やっぱり今日は家にいるんだな」  車の踏みつける砂利の音で気が付いたのか、家の中から恰幅(かっぷく)のよい女性が出てきた。早智子おばさんだ。わたしは後部座席の窓を開け顔を出して大きく手を振った。 「たねおばさん!」  イチジクの木の側へ車を止めて降りると、一目散に早智子おばさんへ飛びついた。早智子おばさんのふくよかな体がわたしを受け止めてくれる。 「焚ちゃん! 相変わらず元気そうね」 「たねおばさんもね」  すこし遅れてお母さんとお父さんも車から降りてくる。 「おばさんいつもすみません。これ、いつものおかき。おいしいからちょっと食べちゃったけど」 「あら、いつもありがとう。おいしいでしょそれ。あたしも市内までなかなか買いに行けないからありがたいわ。あれ、今日なっちゃんは?」  やっと車から姿を現したかと思うと、何年も日の光を浴びていなかったかのように、眩しそうに手のひらで日差しを防ぎながら夏が降りてきた。 「ど……、どうも」 「なっちゃんまた背伸びたんじゃない? おばさんにも分けてほしいわ。あっははは」  わたしは早智子おばさんの笑い方が好きすぎて堪らない。甲高い声でほんとうに楽しそうに笑うのだ。その笑い方も良い意味で単純で、早智子おばさんの笑い方を文字におこせと言われれば、ほとんどの人が「あっははは」と書くだろう。そう、文字通りの笑い方をするのだ。それに、「わたし」を「あたし」と言うところもチャーミングで素敵だと思う。 「なんだか騒がしいと思ったら、耕司(こうじ)んとこの焚ちゃんか。よう来たよう来た」  軽トラックの陰から利明おじさんが上半身裸に白いタオルを首に掛けて出てきた。 「モーおじさんこんにちは! さっき牛舎におじさんのトラックなかったからお父さんが家にいるだろうって」 「いやあ、もうすこし早かったら焚ちゃんに乳しぼり手伝ってもらったのになあ。まあとりあえず家あがんなさい」
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