きみのいろ

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 彼女は、気がついたときにはすでに、僕らの日常に溶け込んでいた。  美術室。油絵具や水で湿った筆の匂い。床は木製のタイルで、ところどころに絵の具が染み付いている。  放課後の部活動。5月に行われる大会に向けて、みんなそれぞれ作品を作っている。鉛筆やつけペンが紙の上を往復する音。絵筆を筆洗いバケツに入れる音。椅子を引く音。グラウンドからは運動部の声が聞こえる。足音や笛を吹く音も。  作品の締め切りがない時は賑やかな部室も、それが近づくと途端に静かになる。全く別の空間にいるみたいだ。  そんな中、彼女はヒソヒソと声を発した。 「それ、間に合うんですか?」それが僕に向けたものだと気づいたのは、肩を小突かれてからだった。 「え、僕?」椅子がガタン、と鳴る。視界の隅で数人の影がこちらの様子をチラリと見たのが分かった。  まさか自分に対しての質問だと思っていなかったから、大袈裟に反応してしまった。 「当たり前じゃないですか。他に誰がいるんですか、私が締め切りの心配をする人なんて」ニヤニヤしている。からかいの表情。 「何だその言い方。失礼な」 「え、でも、いつもギリギリじゃないですか」  確かにいつも、締め切りギリギリだ。 「や、でも間に合ってるし、いいじゃんか」苦し紛れに弁解したみたいになった。 「何か苦し紛れに言ってるみたいな感じですね」  図星だ。ぐうの音も出ない。 「そういう二坂だってどうなんだよ」二坂とは彼女の名前。僕は、彼女が描いている絵を覗き込む。  街の景色だった。つい最近、お気に入りの場所を見つけて写真を撮ってきたんですよー。とはしゃいでいた、その景色を描いているらしい。  ぼやけた街の輪郭。よく見るとそれらは、小さな色の点が集まってできている。黄色い光と紫の影。点描で表現されているはずなのに、はっきりと伝わってくる存在感。 「出来てんじゃん」  主人公に対して、貴様、なかなかやるな……! と言う雑魚キャラみたいな感じの声色になってしまう。 「まだまだこれからですよ」  嘘だろ……? 一体、 「どこをどういじるんだよ」 「色々です。色々」 「へえ」もはや驚きすぎて声も出ない。これで完成じゃないのか。ぼうっと眺めていると、 「先輩も早く追いついてくださいね〜」と一言。 「はいはい」僕は余裕ぶって返事をする。  午後6時半。廊下も暗くなって、いつまでも学校に残っている生徒に、先生が「帰れよ〜」と声をかけて回る時間。部室に残っているのは僕と彼女だけだった。片付けや部室の施錠も終わって、玄関に向かう。 「ちゃんと進みました? 作品は」 「言われなくてもちゃんと進みましたけど〜」 「何ですかその言い方。先輩がその喋り方するとなんかイラッとしますね」  笑いを堪えるみたいな言い方。その姿は薄暗い廊下の中でぼんやりとしているけれど、本気で怒っているわけではない。はずだ。
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