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「おはようございます先輩パンジーですよパンジー」
矢継ぎ早に吐き出される言葉に、たじろぎながら振り返る。二坂が近所の家の庭を指さしている。
その先には確かにパンジーがあった。黄色と紫、白もある。
「おはよう。うん、パンジーだね」
「どうしたんですか、元気ない」
「朝からそんなに元気出ないだろ。普通」あくびをしながら答える。
「そんなもんですか」
「そんなもんです」敬語で答える。
「ですか」
「はい」もう1回。
「何で敬語なんですか」
「何となくかな」
「ですか」
「です」
「いつまでやるんですか、これ」
彼女が会話の薄っぺらさにうんざりし始めた頃、学校の校門が見えてきた。
生徒会の役員が朝早くから並んで挨拶をしている。毎朝、数十分間拘束されるのはしんどいよなぁ。それを知ってて役員になったんだろうけれど。
玄関に入って靴を履き替える。他の下駄箱の方から、すのこの上をパタパタと歩く音がする。少し小走りになっている。
今日の授業、どんな順番だったっけ。そんなことを考えながら教室に向かっていると、二坂が、
「じゃあ、また放課後」と言って走っていった。
「おー」すでに遠ざかっている彼女に、僕は一言だけ返した。
✳︎
放課後。のんびりと教科書の類を片付けてから、部室に向かう。
扉を開けると、鮮やかな色の塊が目に飛び込んできた。
「おわ、ごめんごめん」
同じクラスの坂崎。彼は立体作品を作るのが得意で、今回も何やら巨大なものを作っている。搬出用に細かく分解できるらしい。
「うわー、すご。でかいな。完成したら何メートルになるの?」
「え、知らん。俺も分からないまま作ってる」
「冒険者だなぁ」
彼の作品を眺めながら、いつもの定位置につく。二坂も来ている。話しかけようとして思いとどまる。
彼女は自分の絵を、穴が開くくらいに見つめながら、物思いに耽っていた。
やけに真剣な表情。口もとに手をやって、時々、微かに上半身を揺らしている。
その瞳の奥にはきっと、追い求めている景色が深く刻まれているのだろう。あとはそれをどうやってキャンバスの上に表現するか。
きっとほんのわずかな違い。けれど、それをひとつやることで大きな変化が生まれるのだ。
この時の彼女の表情を見るたびに、どきりとする。突然、後ろから心臓をえぐり取られるような、鷲掴みにされるような、そんな感じ。
強烈な熱を帯びた瞳。頭の中にある、抽象的なもやもやを何とか掴もうとする姿勢。
これはぼうっとしている場合じゃないな、と思わされる。余計な邪魔はしないように、自分の作品に向かう。
✳︎
けれど、そんな何でもない日々は、突然終わりを告げる。
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