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 田淵は黒田からの抱擁と「ハグの意味」を問われて、たじろいだ。黒田が不快に思わない範囲で身をのけぞって。  「意、意味……」目を右往左往に泳がせる。 「そ。ストレス軽減はそうなんだけど、別の意味ないのかなぁって」  「だって、男同士でハグなんて珍しいから」と核心をついてくる。言われてみればそうだ。  たしかに、黒田の言う通り別の意味がないわけでもなかった。それも、友人の範疇を超えた感情を抱えているのだから、「ストレス軽減」と称してハグをしている時点で、軽く犯罪臭がする。  ——しかし、黒田の見せるバイトの制服が彼に核心を吐露していいものか、疑念に曝された。  以前から見たことのない会社でアルバイトをしていたこと自体、黒田にとっては懐疑でしかない。  最初から最後まで皺の少ない制服1着を着回し、最低でも田淵と一緒に住み始めてから2ヶ月は勤めていたはずだった。なのに、これといって傷みが見受けられない。それどころか、古くなったようなヨレもないのはどう考えてもおかしい。  田淵の疑問点はまだある。職業柄、アルバイトの配達はどの時期でも多少なりとも汗をかく。だが、黒田は朝家を出た時の香りを保ったままだ。制汗剤や香水で誤魔化したような匂いさえ感じない。  仮に会社にシャワー室があったしても、シャワーを浴びれば匂いの変化は必ずあるはずだが、それもない。    「今、何考えてるの?」と黒田が顔を急接近させていう。 「別の意味、俺に教えてくれないの?」 「……っ本当に、ストレス軽減のため、だよ」 「——そっか」  黒田から視線を逸らされる。彼なりの平身低頭としてくれる顔を遠ざけられ、田淵にぽっかりと穴が空く感覚を覚える。 「……じゃあ俺、今すごくストレス溜まってるからさ。さっきの分じゃ足りない」  すると、今度は黒田の意味深な視線が向けられ、バツが悪くなる気がした。  黒田は「俺にたくさんハグしてよ」と同時に何度目かのハグをする。それも、今まで田淵と同じように返してきた力ではない雲泥の差がある力で、締め付けるように抱きしめる。  それでも、疑念の晴れない田淵に「うん」と言うだけの熱量を返せなかった。    長年培われたコミュ障は、基本的に人を信用しないきらいがあるので無理もない。  それを自覚していながら、田淵の中核に「好意」と「疑惑」が混在していることが腹立たしい。  だから、せめて挨拶程度のハグを返す。 「……お礼してくれるって言ったのにー。俺ばっかりな気がするー」 「っご、ごめん! 自分からって意識すると恥ずかしくって」 「無意識ならできるの?」  田淵は口を噤む。   「ねぇ、ヒロキさん、今思ってること俺に話せる?」  「きっと何か気になることあるんでしょ?」と田淵の思考を読んだようなタイミングで、黒田から白旗を上げてくれた。  息を吐きながら黒田はいう。「話しちゃいな」。  そう言われると、自然と口が開くから、黒田マジックはすごいらしい。 「バイト、掛け持ち大変だろうなって思ってたんだけど、さ。黒田君の制服の会社名を聞いたことがなくって。僕、これだけネットに便り生きてきた人間だから、ある程度は網羅している自信があったから」 「——俺が知らないところで働いていたのが心配だったの?」 「制服、1着のようだけど、ずっと綺麗」 「……」  田淵は黒田の表情を伺いながらも「それでいて、いつも汗臭くない」と断言した。 「ヒロキさん、汗臭い俺でも平気だった?」  ジョークとして笑いながら言って見せるが、また抱きしめられて表情が見えなくなる。 「なるほどね。バイト……というより、配達のバイトが嘘かもっていうところが引っかかるよね」  「あんなことされたんだもん。疑いたくなるのも分かるっていうか、仕方ないっていうか」黒田は言ってくれるが、尚も顔は見えない。 「でも、よく考えて。たしかにその言い分は分かるんだけど、ヒロキさんへの嫌がらせを自作自演してた俺って何なの? 一緒に住んでもいるんだよ? ちょっと訳分からなくない?」 「たしかに……。黒田君が助けてくれた」  「あの日」の優しさは忘れもしない。 「そう、俺なの」  「それに、俺、理系の大学院生だよ? 自作自演なんて効率悪いこと、やりたくないなぁ」にへら、と笑った顔は見せてくれた。
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