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 真弓は何も言わないまま、鞄から取り出した薄い紙をすごろくの真上に広げた。 「別れて頂戴。私の方はもうサインしてあるわ」  驚き顔で離婚届を一瞥した洋平は、上げた眉を元の位置に戻してから言った。 「どうして?」 「私が聞きたいわ。どうして……どうしてあんなことしたのよ……」  真弓は諦めたように溜め息混じりに続けた。 「あなたが会社で女子更衣室を盗撮なんてしなければ、こんなことにはならなかった。あなたも会社を辞めることにならなかったと思うし、優斗だって……優斗だって幼稚園でいじめられることなんてなかったのよ!」 「優斗が、そう言ったのか?」 「いいえ、あの子は何も言わない、大事なことは心に秘めて何も言わない、あなたと同じね。あなただってあの件については『気の迷いだった』としか言わないじゃない」  沈黙の洋平に真弓が続ける。 「いくら相手の方と示談で済んだからっていったって、一度噂が立ってしまえば、尾びれ背びれがついていくらでも広がっていくものなのよ。あなただってそれくらい分かるでしょ? きっと母親達の噂話を聞いた優斗の友達が優斗に言ったのね。その頃からだもの、優斗が塞ぎがちになったのは。ねえ、そうでしょ?」  真弓の静かな叫びに、洋平は能面のように表情を変えずに耐え忍んでいた。 「きっとそう、そうに決まってるわ!」  真弓の一喝に洋平はただただ閉口するばかりだった。  そして、沈黙は切り裂かれる為にあるのかも知れない。真弓が凶器のナイフを振り上げた。 「あなたは負けたの。さあ、サインして頂戴」  洋平は従順な奴隷の如く、静かにボールペンと判子を以て、薄っぺらの紙に同意を記した。  何て簡単なことなのだろう、二人はそう思っていたに違いない。
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