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洋平は真弓がテーブルに乗せた一枚の画用紙に目を落とした。描かれていたのは、四角いマスが蛇のように連なっていて、各マスの中には優斗が書いた蛇のように繊細に折れ曲がったひらがなの文字である。真ん中の少し大きめのマスに『あがり』と書かれているのを目にした洋平は思わず口を開いた。
「すごろくだ、懐かしいな」
そしてすぐに疑問の表情を浮かべながら続けた。
「でも、何ですごろくが喧嘩の原因になるんだ?」
「分からないわ。優斗、全然話してくれないんだもの。全体的な色彩が少し暗いからじゃないかしら」
「たかだかそんなことで……」
洋平は何となくこぼして、すぐにはっと息を飲んで、優斗の描いたすごろくにそっと目を落とした。白いマスと黒く塗りつぶされた背景色のコントラストは、一見モノトーンでシックなイメージも湧くが、所々赤や紫の歪な形の楕円が異彩を放っていて、洋平に奇妙な雨上がりの夜を連想させた。
洋平は笑って言った。
「見る人が見れば、優斗には絵の才能がある、と言わしめるんじゃないか」
「バカなこと言わないでよ……」
湿り気のある真弓の言葉に、洋平はきゅうりのお新香を口に放り込んでみそ汁をすすった。
洋平の咀嚼音だけが響くキッチンの中心には、まるでその空間を支配しているかのように優斗のすごろくが鎮座していた。嫌でも目を落とさざるを得なかった洋平は、俯く真弓に話しかける糸口を見つけて口を開いた。
「でも、よく見てみると、すごろくとしてもよくできているんじゃないかな?」
真弓の視線がすごろくに向いたのを見届けてから洋平は続けた。
「マスに書いてある内容だよ。例えば『くるまをかう みっつすすむ』とか、『りょこうにいく いっかいやすみ』とか。妙に現実味があるというか、現実的過ぎるというか。五歳の子供が考えたにしては立派だと思わないか」
「言われてみれば、そうね。優斗は利口だから」
暫くの間、ふっと訪れた沈黙を洋平は歓迎した。
単に会話がないのではない。優斗の絵に目を落とし、何かを考えているような真弓の表情を盗み見た洋平は安堵の笑みを浮かべた。それはまるで二人で絵画展に行って、そして一つの有名な絵画を前にして、筆のなぞりや色の重なりを一つ一つ紐解いて画家の心の情景に入り込むような、そんな淡い共感に酔いしれていた。
洋平を夢から呼び戻したのは外でもない真弓であった。
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