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曇天の空を背景に、俺の降りるべき駅が遠ざかっていく。
電車内に人はまばらで、頭を重力に任し、俺は揺れる吊り革をぼんやりと眺めていた。
たった今、俺は倦怠感の渦中にいる。もはや、瀕死の状態、動くこともままならなく、背中から生えた根っこは、電車の固めの背もたれに根差している。
つまり、もう、どうでもいいのだ。このまま行けるところまで行こう、帰りのことなど気にせずに。
フと脳裏に先刻前の記憶が掠める。俺はバイト先の後輩に告白をした、無論、愛の告白だ。結果は……まぁ、このザマだ。適当にいなされて終わり。
別にいいんだ、ダメ元で告ったのだし、しかし、明日からどう言った表情でバイトに臨めばいいものか、気まずいにも程があるぞ。
己の軽薄で愚かな行動に呪詛を唱える、今に思えば、なぜ故、ダメ元で告白したのか、我が勇気を疑う。愛の力ってやつか?
酷く後悔の念、耳たぶが熱く感じる。恥ずかしさを消すように、頭を掻きむしった。
俺は……なんの代わり映えもしない日常に変革を起こすべく、彼女に告白したのだったが、気持ちがグロッキーになるくらいならしない方がマシだと思う。
溜息が吐露した。
そもそも、俺の性格自体がダメなんだ、いつも打算的でいようと心がけているのに、ここぞと言う時に短絡的な行為をしてしまう。
こんな残念な俺を、後輩は彼氏にしたいとは思わなはずだ。
消えてなくなりたい気持ちになる。
これほどの自己嫌悪に陥るのも、世界の広さを痛感している大学生に成り下がってしまったからだろう。
「あー、子供に戻りたい」
車内に人が少ないのを良いことに、独り言を呟いた。
俺の幼少期はそれは純朴で穢れない、勇気を持った青々しい、赤子の光源氏の如く可愛い子供だった、と記憶している。
子供の頃の記憶はあまり判然とはしないが、まぁ、ガキの頃の思い出など、大抵が曖昧模糊で、多少の美化が為されるものだ。
あの頃は毎日、中二病的痛い必殺技を繰り出しながら、キラキラとした日々を送っていたような気がする。叫んでいた技名は確か、究極奥義エクストリームライトニングスラッシュ、だったか? 意味が重複しているのはとにかく、ヒーローの存在を信じてやまないくらいには俺は純真だった。
しかし、時とは残酷で相違ない。今の俺はその面影もなく、悶々とした日々を送っている、花の大学生活も特にハプニングが起こるわけなく、淡々とながれていく。
俺にとって、この世界は平和すぎた、なんて大言壮語を頭の中で浮かべてみた。だからといって動乱を望んでいる訳ではない、実害は被りたくないからな。
無い物ねだりは、人間の特性と言っても過言ではなかろう。
理性が働くと、凡庸な日々を甘受することがベストな選択だと言ってくる、まぁ、それはそうなのだが……時たま人間の生理が理性に打ち勝つ。
なんかもう、全部めんどくさくなってきた。
「あー、ニートになりたい」
本能のまま、三代欲求に忠実でいたい。しかし、楽しいだけが人生でないことは、我が二十年近い生涯で把握しつつある、働かなくては生き残れない、現実とは残酷で相違ない。
しかし、今日だけは心の琴線を弛緩させ、怠けても、誰も文句は言わんだろう、意中の女の子に振られたのだから。
また、明日から頑張れば良いんだ。だが、明日もバイト先で後輩と顔を合わすとなると気分が憂鬱になる。
再び溜息が吐露した。
どうせ、俺が告白したことは店長含めバイト仲間全員の共通認識とかし、俺に嘲弄の視線が向くことは容易く想像できる、そんな羞恥プレイ俺は望んでいないぞ。
「あー、もうどうでも良いや、考えるのやーめた」
俺は脳味噌をシャットダウン、目蓋を下ろした。
○
目が覚めると、終着駅だと駅員に言われた。どうやら、いつの間にか寝入ってしまったようだ。
促されるまま、降車し、古臭いホームを出る。駅周辺に商店やコンビニなどは皆無であり、ここらがベットタウンであることを示していた。
季節は夏、日本の温帯特有の陰湿なジメジメが肌を刺激し不快だ。俺は枷のついてるような足を酷使させ、のそのそと歩き始める。
当てもなく、赴くがまま住宅街を彷徨いき、なんとなく目に入った山を目指した。その山のニュアンスはドラえもんに出てくる裏山と言った感じであり、なんとなく少年心が惹かれた。
山を取り囲む住宅街をズンズンと進んでいく、厚い雲の向こう側、陽が西に傾き、辺りはモノトーンに変化する。
土地勘のない地域を歩くのは意外と楽しいもので、沈鬱な足が少しだけ軽やかになった。
住宅街を進んでいくと、柵に囲まれた山の麓まで来ていたようで、俺は冒険心の思うがままに、登山を敢行する。
山中は閑静な住宅街とは違い、木のざわめく音や鳥の囀りが多分に聞こえた、緑が心地いい。
山の中腹辺りまでやってきたところ、突然に夕立が車軸を流すように降り始めた。それまで躍っていた心が萎れる。
「なんだよ、せっかく頂上まで行こうと思ったのに、下山するかぁ」
俺は山を降り始めた、と、雨により出来た泥濘に足を取られ、体が前へと倒れる、物理法則のなすがまま、体は斜面を転がり、一メートルほどの崖から俺は落下した。
「いてて、マジでついてないぜ」
泥だらけの体を見て、とても惨めになる。頬を伝う冷たい雨粒に、熱い涙も紛れたことだろう。
仕方なしに、痛む体を持ち上げて、下山を再開しようと思うと、雨宿りにおあつらえむきの洞穴があることに気がついた。
濡れて帰るのもなんなので、俺はいそいそとそこへ身を潜める。洞穴内は案外広く、かまくらのようになっていた、俺はそこにちいさく体育座りをしている。
どうせ夕立、すぐに止むだろうと、たかを括っていたのだが、雨は待てども待てども止まず、そればかりか雨脚は激しくなる一方だった。
泥が乾いてきて気持ち悪い、雨に濡れたシャツが身体中の体温を奪って寒い、土に囲まれているので、俺は埋葬されているのではないかと錯覚に陥る。
夏であることから、虫の恐怖に怯えつつ、穴ぐらに収まっていた。
洞穴に一人、何もすることなく、とめどない雨音に耳朶を打ちながら、雨が止むのを待つというのは、非常に孤独な行為であり、思考はどんどんネガティブな方角へと進んでいく。
またも、俺は冒険心やら少年心やら、軽薄なる衝動に身を委ねてしまった、もっと思慮深く、あらゆる可能性を模索するべきだった。
あの時、降りるべき駅で、静かに降りてれば良かった。そうすればこんなことにはならなかったはずだ。
激しい後悔の念、心胆が凍える。たった今、俺は絶望の渦中にいる、もはや、屍の如くだ、呼吸をするのすらめんどくさく感じる。
灰色の空は完全に黒と化した。より一層、気温の低下を感じる、夏だってのに。
俺は洞穴内に横たわろうと、壁を触ると、脆く、その部分は最も簡単に崩れた。
「うわぁ、なんだ」
目を細めると石の祠が見えた、どうやら、この洞穴は祠を祀るものだったようだ、そして、俺が掴み崩れたのはその祠の一部だった。
長年の雨風などにより触れれば、いとも容易く壊れるくらいには、風化が進んでいたようだ。
悪いことをしたな、俺は神様とかは信じないが、それでも、祟りとか呪いとかは怖い。
恐る恐る、俺は手に持つ崩れた祠の一部を、元あった場所へ戻した。
「これで一安心だな」
と、安堵すると、祠はバラバラに崩れてしまった。欠けた祠の一部を元に戻したのが、それの耐久性にとどめをさしたようだ、脆弱も良いところであるが、直接的な原因を作ったのは俺だ。故に、呪われたりしないか、不安になる。
「クックク」
「ん! なんだ? 今なんか不気味な笑い声が聞こえたぞ」
そう思ったのも束の間、祠が爆散した。俺は衝撃波で洞穴の外へと吹き飛ばされる。
俺は雨に打たれながら、唖然と土煙漂う洞穴の方を眺めていると、中から人影が、土煙は雨の影響により一瞬で霧散し、人影の正体が露わとなる。
「我は魔王、魔界を統べる者」
そこには、そう中二台詞を吐く、三十後半くらいの高身長な男が立っていた。漆黒のマントを羽織り、頭からは厳ついツノが二本生えていて、魔王然としているが……
「魔王って、どうゆうことですか?」
俺は咄嗟にそう訊いた。
科学が進歩する現代にて、魔王とか言われても説得力皆無であり、もはやネタでしかない。
この怪しさ満点の男は、自分を魔王だと思い込んでいる精神異常者かなにかだろう。
第一、魔王って、笑いを堪えるのも難儀だな。
「魔王は魔王だ、よもや、貴様、我を知らないと言うのか?」
「いや、魔王様は知っているのですが……というか、そうじゃなくて、あなたは魔王じゃないですよね?」
「我の言葉が信じられんと言うのか? 世が世なら極刑だぞ」
「あのー、そう言うのいいんで、普通にしててください」
「なんだ、そう言うのとは? ふざけたことを抜かすと殺すぞ人間」
「いやーだから、そう言うのですよ」
「うむ、分からない、だいたい我は永き封印からやっと解放されたと言うのに、我を不機嫌にするな」
駄目だ、話が通じない。精神異常者だから、それは当たり前なのかもしれないが、しかし、誰もいないはずの洞穴から、爆発を伴い、いきなり出てきたのは少し謎だ。もしかしたら、これはテレビのドッキリなのかもしれない。いや、それ以外考えられない。
「こう言うドッキリなんでしょ、分かりますよ、俺テレビで見たことありますから、どこかにカメラがあるはず」
俺は周囲の草陰に目を光らすが、何も見つからなかった。
「先から言ってる意味が分からないぞ、貴様。まさか、我が本物の魔王か疑っているのか? 確かに、魔王はこの世に一人しかいない魔族を統べる王、普通は人間と会話などせんからな、貴様がそう思うのも仕方ないか」
なんか、魔王と嘯く男は一人で納得してしまったように、頷く。
「むっ、雨か……濡れるのは避けたい所だ。そうだな、おい、貴様、我が雨を止ませれば我が魔王と信じるか?」
魔王を名乗る怪しげな男に注意しすぎて、雨が降っていることを忘れていた、多雨を再認識すると体の体温は急激に低下した気がした。
「是非、止ませてくれるなら、止ませて見せてください」
物は試しだ、俺は与太に悪ノリし、そう言う。
「ふむ、よかろう」
そう言って、魔王(自称)は左手を天に穿つよう、掲げ、掛け声と共に握り拳を作った。
「コントロールウェザー!」
その瞬間、すごい風圧が俺を襲い、頭上の雲が一気に消滅、波紋するよう、地平線の彼方まで見えていた鉛色の雲は晴れ渡り、澄み切った夜空がお目見えした。
雨が止んだのだ。
俺は息を飲む。
魔王は、俺の前を通過し、前方へ向かった。俺は魔王について行くと、ここらの住宅街が一望できる風景がそこにはあった。
魔王は住宅街の夜景を見て、感銘を受けたが如く、
「ほぉ、星が地面に落ちたのか?」
俺はしばらく、呆気に取られ、呆然と澄んだ住宅街の夜景を眺めていたことだろう。
脳の処理が一頻り終わって我に帰ると、俺は自分が馬鹿げていると思いながら、訊いた。
「本当にあなたは魔王なんですか?」
魔王は憤然と、
「だから、先からそう言っているでないか」
「でも、言葉とかは?」
「言語は我の魔法で自動翻訳している」
にわかには信じがたいが、彼は本当に魔王なのかもしれない、これは夢か、何かか? 俺は頬をつねるという古典的な行為で夢か否かを確認した。
痛い、とりあえず、普通に痛い。
「どうやら、人間には衝撃が強過ぎたようだな」
「え? あなたは本当に魔王なのですか? っえ、マジで魔王なの? ってか、魔王ってなんだ? ロープレのラスボス的なアレ? 確かに、このマントとかすっげースベスベだ」
俺の頭上にはクエスチョンマークが絶えず、質問を繰り返しながら、魔王のマントを撫でた。
「触るな! 人間」
と、魔王は掌から炎を出す。
「燃えたらどうするんだよ!」
「うるさい! 我は魔王だ、永き時から解放され、少しばかり混乱していると言うのに、貴様が先から、ペチャクチャ横槍を入れるから、なんかもう、滅茶苦茶だ」
魔王は大変ご立腹のようだ。それにしても、混乱しているようには見えない、混乱していると言ったら、多分俺の方だ。
「我としては、ここで貴様を殺してもいいが、現状が分からない以上、貴様には利用価値がありそうだ、我を貴様の家に招待しろ」
「なんでですか、嫌ですよ」
常識的に考えて魔王などと言う厄介とは、あまり関わり合いを持ちたくないのだが、魔王は空間からでかい剣を取り出し、先端が俺を向かう。
「これは願いではない、命令だ」
魔王はロングソード並みの紫電を俺に飛ばし、脅した。流石の俺も体格的劣勢、しかも相手は銃刀法に違反してるであろう剣を持った魔王なのだから、勇者とかでない限り逆らうのは賢明な判断とは言えないだろう。
「わかりましたよ」
○
そんな訳で、魔王と俺は電車に揺られていた。
例によって車内は閑散としており、魔王と名乗る男の、魔王と名乗る所以である、その突飛なコスプレじみた格好に、好奇の視線を送るものはいなかった。
しかし、魔王の格好をした男が、電車の改札を抜け、今は電車の座席に姿勢良く座っているのは、なかなかにシュールで、油断すれば口元が緩んでしまう。
因みに、魔王の運賃は俺もちである。まぁ、懐にはそれなりに余裕があったので、そこは些事な問題だ。
「おい貴様、この箱の動力は魔力か? それとも、神聖力か?」
魔王は急に訊いてきた。
「電気ですよ、魔王さんは知らないんですか、電気?」
「ああ、初耳だ、デンキ……新たな力。我が封印されていた間に、物事は多分に変化したようだな、街並みも全く違う」
「魔王さんはいつ頃封印されたんですか?」
暇つぶし程度に訊いてみた。
「ああ、魔王降臨歴五百年頃か、その辺だ。今は魔王歴何年だ?」
「魔王歴って……今は西暦二千二十年ですよ。二○二○です」
「何? 我の聞いたことのない歴史区分だな。やはり、もっと、情報が必要だ、貴様の家に帰る前に図書館とか資料館とかに寄れ」
流石に帰り際図書館などによるのは面倒なので、俺はスマホを差し出した。
「なんだ、この板は?」
「現代の万能端末スマホです。それに訊けば、大抵のことは分かると思いますよ」
「なんと、そんな便利なものが……」
魔王は黒船に乗ったペリーでも見る浦賀湾の人々の如く、驚嘆してみせた。もしこれが演技であれば、相当な熱演である、アカデミー賞主演男優賞でも狙いそうなレベルの。
恐らく、この男は本当に魔王なのだろう。そうだとすれば、洞穴から突然出現したことや、雨をやましたことや、掌から炎を出したことや、空間から剣を取り出したことの辻褄が合う。
俺は常識よりも自分の感覚機関が齎す情報を信じることにした。
「おい、これはどう使えば良いんだ? この板に訊くのか? おい、板! この時代について我に教えろ、これは願いではない命令だ」
魔法は使えても、スマホは使えないらしい。
一人でモノボケを始めたので、俺は溜息を吐きながら、魔王にスマホの使い方を一通り教えた。
その後、魔王は家に着くまで、熱心にスマホを弄くり回していた。
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