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反抗期
自分の気持ちも聞いてもらえない。
家にすら自分の居場所を感じられない。
父親は空気の様な存在。
私はどんどん鬱憤が溜まっていった。
何か言われる度に、すべて反抗する様になった。それは小学校6年から高校1年まで続いた。
毎日反抗して、
私の言っている事は「話にならない、水掛け論」だと取り合ってもらえず、毎日悔しくて部屋に籠って泣いた。
どうせ、私なんか愛されていない。
だから、話も聞いてもらえないし、お父さんは守ってもくれない。
愛されていないから母親にも捨てられた。
こんな事でしか、自分を保てない...私はダメ人間なんだ。
私なんか居なければいいんだ。
毎晩、反抗して泣く度に、こう思っていた。
それでも、私の反抗は止まる事は無かった。
親の言う事を全て真逆の事をやった。
自分の意見を常に通そうとした。
父に、たくさん殴られた日もあった。
それでも「殴りたければ、どんどん殴れや!!」と父にも担架を切り更に殴られたりもした。
食事中の説教は全て無視して無言を貫いた。
そんな状況に耐えかねた父が、「お前らがこんなんだったら、離婚する!」と言ってきた。経母は泣いていたけど、私は無言で、心の中では、「私のせいにするなよ、勝手に離婚すれば?」だった。私は冷めたいた。
でも、父と経母は離婚しなかった。
何故か、私と妹ばかりが、こんな目に合う?
自分達を捨てた母を呪った。アイツのせいだ。
もうこの人達を親と思うのは止めよう。
普通の明るい家庭で過ごしたかった。
少しは話を聞いて欲しかった。
友達の仲が良い家族が羨ましかった。
その頃の私は、親とぶつかり合う度に「中学を卒業したら、この家は出て独りで東京で生きていく。」と毎回宣言する様になっていた。
居場所の無い、発言も自由にできない、人をコントロールしようとする人達と暮らす家から一刻も早く離れたかった。
親から返ってきた返答は意外なものだった。
「大人になったら自由にしていいから今は我慢しなさい。中学出たぐらいじゃ生活はどうやってしていくの?高校までは我慢しなさい。」
確かに、中学を出たくらいじゃ、就職先は無いかも知れない...
いや、待てよ?
お金はありそうだから、大学の費用ぐらいまでは出してもらって、親と別れた方が、賢いかも...?この先の事を考えたらその方が良いね。
私は考えを改め、大学の費用までは出してもらい、大学卒業後に縁を切る事に路線変更をした。
それまでの数年間は、いかに居場所の無いと感じる家で、何となくただやり過ごす、自分の感情を押し殺す、本来の自分ではなく心を置き去りにして、体だけ育ててもらう生活をする様に徹した。親の顔色を伺い波風を立てない生活をする様になった。
本来の自分で、感情を出していては、この家で大学進学まで自分が精神的にもたない、と感じたからだ。
こうして、私は感情を放棄し自分の心を守る為に、仮面を被る生活をする様になった。
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