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「この話を、わたしは娘の瑠実さんからうかがいました。先ほど、車椅子を押していた女性です。留美さんによると、秋葉さんは毎朝、わたしと元町百段の話をした後は楽しそうにしているそうです。だから話を合わせることにして、汐汲坂を全力疾走しています、ここには浅間神社があったそうですから、神さまのお導きかもしれませんしね」
そういうことだったのか。雫らしい。この子は冷え冷えとした顔つきや声音とは裏腹に優しいんだ。神社の跡地というのも……うん?
「話を合わせることはともかく、汐汲坂を全力疾走する必要はどこに?」
「元町百段をのぼったふりをするためには、きちんと疲労していなくてはなりません。そうでないと、説得力がありませんから」
それであんなに必死に走っていたのか。汗で光る雫の首筋を、まじまじと見つめてしまう。
「壮馬さん? どうして笑っているのですか?」
「いいえ、別に」
本当に、雫らしい。
「事情はわかりました。でも毎朝続けるのは、さすがにきついんじゃないですか。秋葉さんも、無理はしなくていいと言っていましたし」
「わたし一人より、壮馬さんも一緒の方がいいかもしれませんね」
不意に雫は、大きな瞳を輝かせた。会話が噛み合っていない。これは「いいことを閃いた」(と少なくとも本人は思っている)ので俺の話を聞いていないときの雫だ。
「ええと……雫さん?」
「わたし一人が元町百段の話を続けるのも無理があると思っていたところです。明日は壮馬さんも一緒に、秋葉さんとお話ししましょう。そのために、汐汲坂を全力疾走してください」
…………。
…………。
…………。
はい?
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