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思いがけず大きな声に、反射的に助手席を見遣る。
腰まである黒髪を一本に束ね、背筋を真っ直ぐに伸ばした冗談のように美しい少女──久遠雫が、頰を朱色に染めていた。肌が新雪のように白いだけあって、頰の朱が余計に目立つ。
俺と海に「行きません」というのはわかる。なにしろ、以前、赤レンガ倉庫に出かけないかと誘ったときに「なんの必要があって?」と真剣な顔で問い返してきたような子なのだ。
でも「恥ずかしい」ってなんだ?
「恥ずかしいって、どういうことですか?」
「僕も知りたいな。なにが恥ずかしいの、雫ちゃん?」
俺と兄貴が立て続けに訊ねると、雫は我に返ったように両目を大きくした。
「それは、その……」
口ごもる雫の頰が、ますます朱に染まっていく。黒真珠のように大きな瞳は、微かではあるが潤んですらいた。よほどの事情があるに違いない。車内に空調とエンジンの音だけが流れる中、雫は絞り出すように言った。
「──泳げないから、です」
え?
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