205人が本棚に入れています
本棚に追加
/185ページ
*
祈禱は滞りなく終わり、俺たちは祭祀道具を抱えて駐車場に戻った。
「お疲れさま。夏場の海で神事は辛いね。夏なんて早いとこ終わればいいのに」
兄貴が祈禱の最中とは別人のように軽い口調で言って、大きく伸びをした。完全に「自宅で琴子さんと居間でくつろいでいるときの顔」だ。
「冬は冬で、年末年始に参拝者が殺到して大変なんでしょう」
俺があきれつつ返すと、波音とは明らかに異なる、激しい水音が断続的に聞こえてきた。振り返る。駐車場の下に広がる海で、水飛沫が盛大に上がっている。
誰かが溺れている!
少しふっくらした中年女性のようだった。両手をばたつかせ、懸命に水面から顔を出そうともがいている様は、どう見ても「危険」だ。
砂浜からは少し離れているが、ライフセーバーが気づけば……と目を向けたが、ほかの客と話していて異変に気づいてなかった。
「溺れてる! 溺れてる!」
俺は砂浜に向かって叫びながら、女性を見下ろす。水に沈んでいる時間が、目に見えて長くなっている。助けを待っている時間はない! 装束を脱いで、ここから飛び込んで……でも、溺れている人にしがみつかれたら俺自身も沈んでしまうかも……ばか、そんなことを言っている場合か! とにかく装束を脱ごうと襟をつかんだ瞬間。
雫が、消えた。
「え?」
俺が惚けた声を上げたのと、雫が海に飛び込む「どぼん」という音がしたのとは、同時だった。
って、なにをやってるんだ!?
夏用で生地が薄手とはいえ、水を吸った巫女装束が重くならないはずがない。咄嗟に身体が動いたのだろうが無謀すぎる!
最初のコメントを投稿しよう!