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「似たようなメールはたくさん来ている。壮馬へのクレームは5通だったけど、その比じゃない」
「で……でも……」
新たなクレームの意味するところが信じられないまま、とにかく口を動かす。
「みんな、勘違いしてるんじゃないか。俺と仕事が別になっても、雫さんはこれまでとまったく変わってないぞ」
「鈍いねえ、壮馬は……と言いたいところだけど、雫ちゃんは壮馬の視界にいるときはいままでどおりに振る舞ってるからね。それ以外のときは、僕の目から見ても明らかにしょんぼりしている。琴子さんも白峰さんも桐島さんも、そう言ってるよ」
こうなるとは思ったけどね、という呟きを挟み、兄貴は続ける。
「というわけで、明日から奉務形態をもとに戻す。なんのかので、二人一緒に動いてもらった方が仕事もやりやすいと思うしね。雫ちゃんも絶対に喜ぶよ」
そう言われても、全然ぴんと来なかった。
*
「明日からまた、壮馬と雫ちゃんには一緒に働いてもらうことにした」
昼休みを終えて事務室に戻るなり、兄貴が雫に告げた。机で紙垂を折っていた雫は、手をとめると小さく頭を下げる。
「かしこまりました」
それだけだった。雫は次いで、琴子さんが急な依頼を受けて拝殿で必勝祈願の祈禱をしていること、桐島さんが渋滞に巻き込まれて出張祈禱からの帰りが遅くなることなど、事務的な連絡をして立ち上がった。
「では、わたしもお昼休みをいただきます」
そう言って事務室から出ていった雫の後ろ姿が、廊下に消える。表情は最後まで変わらなかったし、俺を一瞥すらしなかった。
「また俺と一緒に働くことになっても、特になにも感じてなかったな。やっぱり、兄貴たちの勘違いだったんだよ」
それはそうだよな、と思いながら笑う俺に、兄貴は首を横に振った。
「気づかなかったの、壮馬?」
「なにに?」
「壮馬と雫ちゃんには一緒に働いてもらうことにした、と僕が言ったとき、雫ちゃんは紙垂を折る手をとめてガッツポーズしていた」
え?
「そんなことをしたようには……」
「一秒にも満たない動きだったからね。でも、僕の動体視力は見逃さなかったよ」
「兄貴の動体視力がすごいなんて話は初めて聞いたぞ」
「はっはっはっ」
「なぜこのタイミングで笑う!?」
兄貴が本当のことを言っているのか、俺をからかっているだけなのか。わからない。
でも。
授与所の方から、「すみません」と参拝者の声がする。
「はーい」
それに応じる俺の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
(おしまい)
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