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巫女の少女の雨宿り
巫女装束を纏った少女は、シャッターが降りた店舗の軒下に駆け込むと小さく息をついた。長い黒髪と白衣についた雨粒を払いつつ、自分がいま来た道を振り返る。札幌から、ここ横浜に来て数ヵ月。だいぶ見慣れてきた元町の商店街は、降りしきる雨に煙っていた。
ここから少女が奉務する神社までは、それほど離れていない。しかし全力で走っても、全身がずぶ濡れになることは避けられない。
油断したなと思いつつ、少女は軽く唇を噛む。
元町の商店街にある花屋で、注文していた榊を買った帰りである。にわか雨の予報は出ていたが、神社を出た時点では青空が広がっていたので大丈夫だと踏み、傘は持ってこなかった。たとえ降られても、たいした雨ではないとも思っていた。
その結果が、これだ。
花屋に行く途中、知り合いに会って、しばし立ち話をしてしまったのもいけなかった。あの人たちはこれから港の見える丘公園に行くと言っていたが、どうしているだろうか。傘を持っていればいいのだが。
軒下から、左手をそっと差し出してみる。たちまち掌が雨粒にまみれ、慌てて引っ込めた。空を見上げると、まだ昼前だというのに薄暗く、鉛色の雲がどこまでも広がっている。どうやら、しばらくやみそうにない。スマホは神社に置いてきてしまったし、傘を買おうにも目につく範囲に売っていそうな店はない。
しばらくこのままか。仕事が溜まっているのに。宮司さまは「気にしなくていいよ」と言ってくれるだろうけれど、居候の身で申し訳ない……軽かった後悔が、雨が染み込むかのように徐々に重くなっていくのを感じていると、雨音を貫いて声が飛んできた。
「いたいた。雫さん!」
雨の中、上背も肩幅もある青年が、青い傘を差しながらこちらに歩いてくる。服装は、飾り気のないシャツとジーンズ。
左手首には、赤い傘をぶら下げていた。
「壮馬さん?」
少女の口から、驚きの声が上がる。
この青年は、少女と同じ家に居候して、同じ神社に奉務している。成り行きで奉務することになったものの、信心ゼロだというからすぐに辞めると思ったし、その方が本人のためだとも思っていた。
でも、なんのかので数ヵ月、ずっと真面目に働いている。
ほかの神社の手伝いに呼ばれることも、増えてきた。
昨夜も、川崎市にある神社の祭事に駆り出されていた。後片づけまできっちりこなして、帰ってきたのは始発。玄関の引き戸を開けるなり、「さすがに疲れたので……寝ます……」という一言だけ残し、朝食も食べず自室に引っ込んでいった。
今日は一日休みだから、夜まで顔を合わせることはないはずだったのに。
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