10円玉がない

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「わたしは壮馬さんの教育係として、今日一日、参拝者さまとのお金のやり取りをきちんと見ていました。受け渡しのミスはなかったはず。わたしだって、そんなミスをするはずがない。やはり、どこかに落ちているとしか考えられません」  雫はそう言うと、床にしゃがみ込んで10円玉をさがし始めた。大きな瞳は、食い入るように床を見つめている。  でも「ミスはなかったはず」という前提を疑ってほしい。  横浜の元町にある関係上、源神社(うち)は観光客が多い。特に今日は、外国人観光客ツアーが立て続けに訪れ、お守りやお札を求める彼らの応対で忙しかった。いくら雫でも、釣り銭の受け渡しを間違えたとしても不思議はない。俺の面倒を見ながらだったら、なおさらだ。  なんとか、それをわかってもらわなくては。  兄貴が「10円くらい構わない」と強く言えば、さすがに雫も従うはずだった。兄貴だってそれがわかっていただろうに、夕拝が終わってラフなシャツとジーンズに着替えるなり、琴子さんと出かけてしまったのだ。 「今日は僕と琴子さんの記念日なんだ。雫ちゃんと10円をさがしてね」なんて言っていたが、なんの記念日なのだか。だいたい兄貴と琴子さんは、「初めて会った記念日」「手をつないだ記念日」「一緒にフランス料理を食べに行った記念日」など、記念日のお出かけが多すぎるのだ。  この前は「壮馬の誕生記念日」と言いながら、俺を置いて二人きりで出かけてしまったし。  そのくせ、俺たちの仕事が終わるころにはきっちり帰ってくるんだからな。俺と雫をくっつけたいのか、くっつけたくないのか……って、いまはそれどころじゃない。  とにかく立たせようと、雫に手を伸ばした瞬間に気づいた。  雫の後ろ姿。白衣と緋袴の間に、なにかが挟まっている。  よく見るまでもなく、10円玉だった。
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