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雫ちゃんの御朱印帳
「壮馬さんは、絵がお得意ですか?」
唐突な雫の問いかけに、俺は「は?」としか返せなかった。
今日の雫は、境内を箒で掃いている間も、参拝者にお守りを授けた──「売った」なのだが神社ではこう言う──後も、ぼんやりと虚空を見つめていた。なにか悩みごとでもあるのだろうか? 気になった俺は、昼休み、応接間兼休憩室で卓袱台を挟んで座ったところで、雫に「なにかあったんですか?」と訊ねた。すると返ってきた答えが、
「壮馬さんは、絵がお得意ですか?」
である。
訳がわからないまま首を横に振る。
「どちらかと言えば苦手ですね」
「そうですか」
相槌を打つ雫は、表情にも声音にも微塵も変化がなく、相変わらず冷え冷えとしている。それでも俺には、雫ががっかりしたことがわかった。
「どうして?」と訊かれても返答に困るが、とにかくわかったのだ。
「もし俺が絵が得意だったら、なにかの役に立てたんですか?」
「実は」
立ち上がった雫は窓際の棚から、手帖のような冊子を手に戻ってきた。表紙には、小刀の絵。俺たちが奉務する源神社の御朱印帳だ。表紙の小刀は、この神社の御神体と伝えられている源義経の愛刀・今剣をイメージして描かれたものらしい。
「それがどうしたんですか?」
「宮司さまから『新しい御朱印帳の表紙イラストを描いてほしい』と頼まれたんです。いまの御朱印帳も人気はあるのですが、『若い人たちにアピールできる、かわいらしい御朱印帳も置きたい』とおっしゃってました」
確かに今剣のイラストは趣こそあるものの、悪く言えば古くさい。「昔の文豪が書いた小説の表紙」という言葉がしっくり来る雰囲気だ。一概には言えないが、若い人たちはちょっと手に取りづらいかもしれない。
俺の兄にして、この神社の責任者である宮司を務める栄達は、さわやかな笑顔をしておきながら「集客」に余念がない。かわいい表紙の御朱印帳は、ぜひともほしいところだろう。
雫は冷え冷えとした表情のまま、薄いため息をついた。
「宮司さまから『ゆるキャラっぽいものを描いてほしい』とリクエストをいただいたのですが、わたしには難しすぎるんです」
「どうして? 雫さんも絵が苦手なんですか?」
「いえ。むしろ得意です」
「だったら、どうして?」
「ゆるキャラが描けないんです。どうしても生態を理解できなくて」
「生態?」
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