行き止まり

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行き止まり

「おい、(れい)。直ってねぇぞ」  私は次回公演される舞台の稽古に出ていた。  私は台本を持ち直し、再び演技を始める。  遊び人の女が狙った男を口説き落とすシーンだ。私はなまめかしい声で――。 「もういい。下がれ」  苛立った演出家が私を追い払う。納得いかない。何が違うんだ。私は渋々、稽古場の端に戻った。 「(あきら)。やれ」  演出家の声に促され、気だるげな男が芝居を始めた。私が演じた部分を彼は、彼なりの解釈で表現していく。緩慢な動き、どろどろに溶けたような目、ガサガサで全く手入れをしていなさそうな唇さえも色っぽく見えてくる。空気に感情を乗せ、観客に彼の感情が伝播していく。  なんで私はこれができないんだ。明はすごい。だけど、この役は私のものだ、私の、私の、私の。 「黎? 大丈夫? 顔色が……」  隣に座っていた女の子、(ゆう)の声で現実に引き戻される。  あっ、またやっちゃった。 「私は大丈夫だよ」  私は精いっぱいの笑顔を浮かべた。ただの強がりだと、聡い彼女にばれないようにできうる限りの明るい声を出した。  稽古が終わった後、私は一人舞台上に残り、自主練をつづけていた。何度やっても明のようには演じられない。気の多い女の感情が掴めない。そもそも恋愛感情って――。 「黎、さっきの演技はなに? あんなにひどいの初めて見たんだけど。声だけで演じればいいって思ってる?」  明の声が背後で聞こえた。 「……公演までには、”なれる”ようにする」  明が盛大に溜息をついた。本番では明は私に口説き落とされる役だ。こいつを、落とさなきゃ。落とせるようにしなきゃ。……どうやって? 「あー……、ねぇ、明日飯行かない?」 「はい? そんなことしてる場合じゃ」 「魚でいい?」  しれっとした顔で明は私の目の前にスマホをかざした。画面には”お客様のご予約を承りました”と表示されている。 「勝手すぎでしょ……」  魚、好きだけど……。 「じゃあ朝の十時に稽古場の入り口前で」  それだけ言うと明は私に背中を向けた。さすが明。自分勝手で考えてることが読めなさすぎる。なんでいきなりご飯なんか……。  少しだけ自分の鼓動が早くなるのを感じた。  実は、私は明に惚れている。きっかけは覚えていない。彼の演技を見続けて、心を奪われているうちに、気がついたら日常の彼にも感情が揺り動かされている自分がいることに気付いてしまった。彼の演技は好きだ。彼はどんな人間にもなれる。彼が演じれば仮想の人間がこの世で生きている、と実感できる。その人物の生き方も、考え方も、感じ方も、彼を通してみれば生々しく魅力的に見える。明は才能の塊だ。私とは違う人間。この憧れとも執着とも言えない醜く清らかな感情を恋と呼んでもいいのだろうか。私は明に惚れている。だが、これは恋愛感情と呼べるものだろうか。私はこの頃考え込んでいた。 「私の演技が上手くいかないのは、きっと表情筋のせい。最近動かなくなってきてるの」 「へぇ~」  明は興味なさそうに私の話を流した。白身魚をナイフとフォークを使い、切り分けていく。明はそれを丁寧な所作で口に運んだ。見た目はダウナー系なのに仕草は気品があるんだよな。 「俺はもっと根本的な問題だと思うね」  明がじっと私を見つめる。 「根本的って……なんだよ」  明の双眸に私はたじろいでしまった。 「俺と付き合えば」 「なんでそうなるんだよ」 「あんた、知らないでしょ。おと――」「そのくらい知ってる」 「どうせ本気じゃなかったんでしょ? 演技のためだとか言って」 「…………」  私の様子を見て、明は満足そうに笑った。猫みたいに笑ってる。 「演技バカだなぁ、あんたは」 「何とでもいえばいい」  演技は私の全部だ。私にはこれしかない。私は機械的に魚を口に入れた。明のせいで味はさっぱりしない。 「俺はあんたのこと、好みだよ」  私の手からナイフが落ちた。ナイフの落ちる音が店内に響く。  からかわれてる。表情を乱すな。取り繕え。落ち着け。 「バカで、努力が空回ってるところがいい」  この野郎。 「……おごれ。そうじゃなきゃ割に合わない」  店員から新しいナイフをもらい、私は添えられたパセリにフォークを突き立てた。 「じゃあ、次は黎の番ね」  次なんてない、と私は言えなかった。  昼はそのまま明のおごりになった。  その後は明と周辺の街を観光し、なんだかんだ一緒に夜まで過ごしてしまった。晩ご飯は明の提案でウッドデッキのある海沿いのレストランに行くことになった。  私は自分の感情を紛らわせるためにガンガン酒を飲んだ。観光中の明のことを忘れられるようにどんどん酒を煽った。記憶よ、飛べ。ついでに私の感情も蒸発して無くなってくれ。  視界が揺れて、明の輪郭がぼやけてくる。 「黎、飲みすぎ。それじゃあ帰れなくなるよ」  酒が一滴も飲めない明の声が聞こえる。彼はノンアルを飲んでる。 「……帰れなくてもいい。演技ができなきゃ私に帰る場所なんてない。もう私には帰れるところなんて」 「めんどくさ。俺ならいつでもあんたが帰ってこれるようにするのに」  はぁ? 何を言っているんだ、この男は? と一欠片残っていた私の理性が訴えてくる。 「無理だと思う」 「演技なんて捨てればいい」 「無理」  そう、無理だ、無理なんだよ。演技は私の全部。明の顔がもう見えない。 「だって、もう無理だと思うんですよ……」  口がもつれる。顔が熱い。死にそうだ。 「もう、無理……。演じるなんて……」  あー、もううるさい。自分の心臓の音が聞こえる。全部アルコールのせいだ。 「……演じるのは無理、なんじゃないかな。……その、恋愛っていう方法を取らない限りは」  風だ、風に当たりたい。 「明。意味は、わかるよね?」  顔が熱い、今なら死ねる。むしろ死にたい。  この熱は酒のせいだ。そう思いこめ、得意だろ。何もかも酒のせいだ! 「あぁ」  機嫌が悪そうに明は答えた。 「それは良かった! 役者だから台詞の意図くらいわからないとだしね! いやー明クンがちゃんとした演者で良かったよ!! ははは!」  店内の注目が集まる。恥ずかしさを紛らわせるために大声を出したからだ。 「じ、じゃあ、考えておいてよね!!」  私はおもむろに席を立ち、レストランから逃げ出した。  備え付けのウッドデッキで海風にあたる。何やってんだ、私。私は頭を抱え込んで、さっきの失態を思い返していた。あんな……あんな……。きつすぎる。明日になったら記憶飛んでないかな。飛んでて欲しいけど無理だろうな。頼むから飛んでくれ。
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