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――答えは見つかった?
鏡の中のわたしが問う。
ううん、見つからない、とわたしは答える。
ここに答えはない。映画のフィルムはまだ残っているけれど、先の展開なんて見え透いていた。
きっとこれから、彼女はシュンの隣に居るための努力をする。可愛い洋服を着て、上手に笑う練習をして。自分自身を好きになるための努力を繰り返すのだろう。
その延長線上に、彼が好きなわたしがいると信じて。
――それが、今のあなたなの?
いいえ、違う。わたしはやっぱり、なりそこないだから。彼の好きだった綾崎冬華は、三年前のあのときに死んでしまったんだよ。
――だとしたら、このお話は悲劇だね。
鏡面の彼女が、初めて疑問形でない言葉を使った。
スクリーンが上がり、映写機の音が消えて、辺りは静謐に包まれる。正面にいる彼女は俯いて、盤上の湖面を見つめている。
彼女の言うとおり、このお話は悲劇なのだろう。境遇に恵まれたひとりの少女が、ほんの些細なきっかけから、何もかもを失っていく物語。こんなものは気が滅入るだけ、観ないほうがましだ。
真っ白だったわたしも、そう思ったから記憶を消したんじゃないのか。彼に好かれるためには要らないものだから、自分から切り離そうとしたんじゃないのか。
――うん、そうだね。
ぽつりと彼女が言った。
――だけど、それは間違っていたよ。
湖面が揺れる。最初はゆっくり、徐々に波打ち、ぼこぼこと泡立っていく。
誰かが下で溺れている? いや違う、これは、わたしの――
『いつまでそこにいるつもり!?』
ごぽ、と口から泡が漏れ出した。
瞬く間に水泡が辺り一面を覆い、白い世界が鳴動する。
『早く出てきなさい、この引きこもり!』
呼んでいる。向こうでナナが、わたしを。
泡のカーテンの隙間から、鏡のわたしがこっちを見ていた。何か言いたそうで、だけどほんの少し勇気が足りない、そんな表情をしていた。
だからわたしは問う。
「あなたは、好きを取り戻せたの?」
わたしは答えを探すために、湖面へ手を伸ばしたんじゃない。
空白の意味。それを確かめたくて、過去のわたしへ問いかけにきたんだ。
彼女はぐっと堪えるように唇を結んで、首を横に振る。答えを知らないわけじゃない、だけどそれが湖底に沈む錘になるかもしれないことを、彼女は危惧している。
だったら代わりに言葉にしよう。今のわたしになら、それができる。
「あなたはシュンの優しさに応えたかったんでしょう。シュンが届けてくれる春の温かさを、すぐ傍で感じていたかったんでしょう。だから少しでも、彼に相応しい自分に近づきたかった。それが好意じゃなくて、何だと言うの」
こんなのはただの確認作業だ。再上映された物語を、白い彼女に代わって解釈しているだけに過ぎない。
「確かにこれは悲劇なんでしょう。だけど、まったく意味がないわけじゃない。あなたが悲劇を紡いでくれたおかげで、わたしはこれから、悲劇じゃない物語を作れる。自分の好意を、信じられる」
ああ、なんて身勝手な言い草だろう。わたしは結局、彼女を捨て石にして進むことを選ぼうとしている。彼女の育てた好意を横取りして、自分のものにしようとしている。
それでいいのだろうか? 他に方法はないのか? わたしはまた、間違いを犯そうとはしていないか?
ふと、シュンならどうするだろうと考えた。すると、絡まっていた理屈が途端にどうでもよくなった。そして、今すぐ彼に会いたくなった。
それはまるで、魔法にかけられたみたいな心の動きだった。
「――こんなところに、答えがあったんだ」
どうして今まで気づかなかったんだろう。正解はびっくりするくらいにシンプルで、それはずっと近くにあったのに。
白いわたしは不安そうにわたしの顔を見つめている――大丈夫、あなたの怖れは杞憂に終わる。
「あなたはあなたのままで良かった。だってあの日、シュンはちゃんと言葉にしてくれていたよ。髪を黒く染めたわたしじゃなくて、白く染まったままのあなたへ、大好きだったと伝えようとしてくれていたんだ」
三年前のわたしも、白いわたしも、同じ綾崎冬華。
そうやって彼は、戸惑いながらも受け入れてくれた。
「シュンは、なりそこないのわたしだって、愛してくれたよ」
泡のカーテンはいよいよ厚くなって視界を覆い隠す。
もう長い時間、ナナを待たせている。断続的に聞こえてくる呼び声に耳を澄ませると、どこを進めば水の中を抜け出せるかがわかった。
でもその前にあとひとつだけ、やらなくちゃいけないことがある。
わたしはぐっと右腕を突き出し、手を伸ばす。程なくして小指の先端が彼女の冷たい手に触れた。すぐさま指を絡めて、離れないようにしっかり掴む。
これがわたしの選択だ。彼が教えてくれた、正しい方法。
「安心して。あなたの気持ちを、横取りなんてしないから」
わたしがいったい、何を愛しているのか。
答えはここにはない。答えは、シュンが持っていてくれる。
「一緒に行こう。わたしたちの大好きな、優しい彼のところに」
もう見えない泡沫の向こうで。
真っ白なわたしが、綺麗に笑った気がした。
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