海と獅子に癒やされて

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海と獅子に癒やされて

 ―――大学を卒業して新卒で入った会社で、私は一人の男性社員を好きになった。  よくある会社の先輩、というやつだ。  新人研修の補佐をしていた人で、出来の悪い私は散々その人にお世話になった。  同期入社の子達に比べ、私は飲み込みが遅く一度聞いたくらいじゃ全然覚えられなくて、何度も確認したり失敗したりの繰り返しで。  最初は怒られてばかりだった。  だけどその人は研修が終わった後も根気よく私の面倒を見てくれて……会社の廊下ですれ違う時は必ず声を掛けてくれて、気にしてくれて……やっと一人で案件をまかされ、完遂出来た時は良くやったと言って飲みに連れて行ってくれたりもした。  会社で私が頑張れたのは、情けないけどその人のおかげだ。  だけどその人は……あと二ヶ月後、六月に結婚する事が決まっている。  その招待状を今日の朝、私は本人から受け取ったのだ。  白い封筒は今鞄の中に入っている。 『お前は俺の妹分みたいなもんだから。絶対来て欲しいんだ』  なんて、私の気持ちを知らず言うあの人に、私はただ曖昧な笑みでしか返せなかった。    後悔した。  どうして私はあの人に言わなかったんだろうと。  恋人がいるって知ってたから?   困らせたくなかったから?  そんなの全部、言い訳だ。  たとえ振られるとしても、告白していれば今頃こんな未消化な思いを抱えることもなかった。迷惑がられたらどうしようと怖くて、臆病で言えなかっただけ。    気持ちを押し殺し笑顔で祝えるような器用さなんて、持ち合わせていないのに。 「勝手に好きになって勝手に失恋して……勝手に祝えないって悩んでるの。好きなら相手の幸せを喜ぶべきなのにね」  うーんと伸びをしながら息を吐き出す。  話している内に滲んだ涙が、吹き抜ける海風で乾いていく。  海水と涙の味が似ているのは、人も元々は海からきたからせいだろうか。 「そっかぁ……」 「うん。まあ、私の話はこんなとこ。よくある失恋です……で、草さんは?」 「草、でいいよ」  わ。  顔、近。  話し終えてから草さんの方に振り向いたら、間近に彼の顔があって驚いた。  私が目をぱちくりと瞬かせたら、草さんがふっと微笑む。 「話してくれてありがとう。……俺もさ、ちょっと似てる。好きな子が他のやつ好きで。しかもその子は俺の事知らなくて。俺が勝手に片思いしてるだけなんだよなー……」 「話しかけた事もないの?」 「うん。俺ってこんなナリだし。顔も派手だから、結構怖がられる事もあるんだよね。だからまだ一度も話しかけたこと無かったんだ。引かれたらどうしようって。怖くって」 「ええーっ。草さんすごく綺麗な顔立ちしてるのに。確かに最初はちょっと……その、怖い人かなって思ったけど……」 「今は、そうでもない?」 「うん。今は……綺麗なヤンキーお兄さん? て感じ」 「ははっ。何ソレ。でもまあ、怖くないんなら、いっかあ」  私の返答に、草さんはほっとしたみたいに笑った。  話してみれば案外気さく、なんてのは良くあることだけど、でもそれは実際に話せたからこそわかる事でもある。そのきっかけは早々掴めるものじゃない。特に、大人になった今、好きな人を相手を前にすれば尚更だ。 「本当はさ、髪も染めて、こう……なんか真面目そうな感じに変えてから話しかけてみようと思ってたんだ」  草さんが自分の金髪を指先でいじりながら苦笑する。確かに一見すると目を引くし派手だけど、だからこそ彼に似合っているのに、勿体ないなぁと思った。 「そんなことしなくても、そのままで十分格好良いよ」 「……ありがと」  思ったことをそのまま口にしただけなのに、草さんは嬉しそうに頷いてくれる。  私はなんだかいてもたってもいられなくなって、思い切って考えた事を話してみることにした。 「そ、そのっ。失恋した私が言える事じゃないけど、だけど、絶対、話しかけてみた方がいいと思うっ。草さんが好きなその人に好きな人が居ても、やっぱり言わないと後悔するから、私が、後悔したから、だから……っ」  もっと背中を押せるような言葉で伝えたいと思うのに、上手くまとまらない。  ただ彼の目を見て必死に言いつのるしか出来なくて、もどかしさに地団駄を踏みたくなった。ただ、彼には自分のような後悔はしてほしくないと、それだけは本当に思った。 「依子ちゃん……」  あ、はじめて名前呼ばれた。  私の訴えに、草さんは少し目を見開いて、それからふっと穏やかに微笑む。  昼の太陽に照らされて、彼の金髪がキラキラ光りまるで雄々しい獅子のようだ。  その神々しいとも言える姿に、思わず私の鼓動が跳ねた。 「ありがとう……そうだな。ちゃんと声、かけてみるよ。俺のこと……ちゃんと知ってもらいたいから」  言って、草さんは数秒私の顔を見つめた後、小さな子にするみたいに私の頭を軽く撫でた。 大きく温かい彼の手は、繰り返す波の音と同じく心地よく、私はじっとしたままそれを受け入れていた。 「あーあ。泣いてる君を励ましたかったのに、逆に励まされちゃったなあ……どう? 少しは癒やしになった?」  苦笑する草さんに、私はとうに涙が引っ込んだ顔で大きく頷く。 「うん。すごく! 連れてきてくれてありがとう」 「よし、それじゃあ帰りますか。どうしようか。家まで送ってもいいし、さっきの公園でもいいよ」  彼の提案に私は一瞬思案して、住んでいるアパートよりあの公園に戻してもらうことにした。実は結構長距離通勤だし、アパートまで連れ帰ってもらうのはなんだか悪い気がして。そしてもう一つ、今日中に済ませておきたい事があったから。 「公園で大丈夫」 「了解。じゃ、はい。お手をどうぞ、お姫様」 「ふふ、何それ」  立ち上がって私に手を差し出す草さんに笑いながら、彼の掌に自分のを重ねた。  身体も心も随分軽くなって、私は足取り軽く彼の後に付いていく。  またバイクに乗って、風を感じながら帰路についた頃には、空は夕暮れに染まり始めていた。
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