弐ノ刻、好色と軽妙

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外で、なにやら話す声がする。そっと耳をすませておけば、どうやら不穏な事は無さそうだ。 おおよそ愛想の良い行商か、近所の者か……それにしては千代の声が、華やいでいる。そして、相手は。 「おい、柚よ」 『あい』 するりと影から現れいでたるは、式神少女である。 半分透き通った姿で、切れ長の目を主に向けた。 『……男ぞ』 貞次が何か言う前、である。 「俺はまだなにも言うておらん」 それを聞いて彼は途端、苦虫を噛み潰したような面持ちに変貌。そして荒々しく息を吐いた。 『千代、が心配か』 「心配などしておらん。しかし厄介事は御免だ」 『ほう』 「なんだよ」 『昨夜の男じゃ』 「なんだと」 色の無い瞳を三度、瞬きさせて柚はゆっくり頷く。 『黒髪の……』 と口ずさんだ時である。 「兄さん、お客様ですよ」 今度は襖の向こうから、忙しない足音と千代の声が響いた。 「『うん』とか『すん』とか仰って下さいな。また、ぼんやりなさって」 「あぁ悪い悪い。客人か」 「先刻から、そう()っているじゃありませんか」 分かったから通してくれ、と首と手を振って応える。 すると『頭まで、銅像みたくになっては困りますよ』と、辛辣な物言いを忘れぬ千代。 彼女の足取りに転倒せぬかと気に掛けつつ、大きなため息をついた。 どうしてここが分かったのか。 確か昨晩、男女を助け出し人目に近い所まで引きずって行った時。まだ二人とも、気を失っていたはずである。 (まさか、起きてたのではあるまいな) 貞次はまた昨夜の事を記憶の浅い所から、攫って脳裏に浮かべた。 ぐったりとした身体、閉じられた瞳。去り際に、もう一度と口付けた唇。 「いや、あれは霊力を注ぐ為に……」 誰に言い訳するやら、独りごちてかぶりを振った。 しかし彼の脳は、その感触すら思い出せと命じる。 水中でのそれより、幾分温度の戻った行為。注ぎ込んだ刹那、軽く喉を鳴らす仕草。 存外柔らかな口当たりに、唾を飲んだのはこの男である。
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