弐ノ刻、好色と軽妙

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「兄さんも人が悪いわあ」 少しくだけた口調で、千代が言う。 挨拶もそこそこに彼女が出した茶に口を付けつつ、貞次は首を傾げた。 「今まで言って下さらなかったじゃあないの。あの辻崎 修司(つじさき しゅうじ)先生と、お友達なんて!」 「と、友!?」 友達もなにも、彼はこの男の名前を今初めて聞いたのだ。 しかし妹には到底真実は言えまい。 ――心中未遂者を助けた、などと。 この娘の事だ。『また危ない事を』と散々騒ぎ立てるだろう。女だてらに気の強い千代なら、竹箒でも持ち出してぶん殴られるかもしれぬ。 貞次は家に寄り付かぬ父代わりに千代を育ててきたつもりだった。 しかし彼女もまた不肖の息子を心配する母親代わりに兄を想っているのである。 「あぁ、そうだね。僕達は友達だ。うん」 ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべ、小首を傾げて見せる。 この男、修司は分かっているのだ。昨夜の一件は、彼にとっても明かされては具合の悪い出来事だと。 「あの兄さんが、作家の辻崎先生と親しいなんて――意外ですわ」 「さ、作家?」 「あら。まさか兄さんはご存知なかったの? 辻崎先生は、数多くの小説を世に生み出しておられる若き作家先生いらっしゃるのよ」 「そうなのか」 先生、と言うには若い。だからこそ、新進気鋭の作家と若者たちに持て囃されているのだが。 「先生が描かれる、美しい男女の恋愛模様が素敵なのよ。切なくて、儚くて――あ。兄さんには、縁がなかったわね」 「ひどい言い草だな。俺とて文学の一つや二つ」 嘘である。 彼はその手の情緒だのロマンだの、正直よく分からない。 きまりわるそうに鼻をすすり、茶に手を伸ばす。 口内から喉を通る、適温の茶が腹の底を温めるのを感じる。 どうも昨晩の一件で、風邪気味な貞次には有り難かった。 「で。お二人の『馴れ初め』は、なんですの?」 「!」 無邪気な顔をして何を言い出すのだ、と彼の口から茶がふき出た。 「あら、まあ! どうなすったの。耄碌(もうろく)するには早いわよ」 「っふ……っごほっ……お前なあ。むせている兄に向かって……まったく、酷い奴だ」 「ほらほら。みっともない。零れてしまったじゃあないのよ。拭くものを用意してきますからね。あ、ついでにお茶のお代わりを」 呆れ気味に貞次に話しかける千代は、立ち上がり去り際にちょこんと頭を下げる。 もちろん、この美男の客人に向かってである。 「やれやれ。さっさと行けよ」 「ふんっ。手間がかかる兄上でございますこと!」 千代は最後に悪態をつき、襖はピシャリと閉められた。
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