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「寒……」
街灯のポツリ、ポツリ、と灯る道である。
亀のように首を竦めながら、夜道を歩く一人の少年。
名は寺生 貞次。
学生服に身を包む彼は、帝都大学の学生である。
向かい風を軽く睨みつけ、また小さなため息をついた。
(こんな時間に、歩いて帰る羽目になった)
脳裏に忌々しく思い浮かぶは、親友の岸根 慎吾郎だ。
友が休日に突然、家まで押しかける。
そして『我が人生最大の危機だ!』と騒ぎ立てたのだ。
どんな緊急事態なのか、と問うも猛然と連れてこられたのは一軒のカフェーである。
――初めて入る、華やかで煌びやかな場所。
昼間であるというのに、えらい賑わいよう。
和装の上に、真っ白な縁飾の付いた前掛。綺麗に、丹念な化粧を施した女達。
彼女達は一様に、甘い猫のような声で擦り寄ってくる。
それを苦々しく思いながら、貞次は学生服である己を恥じた。
そこは珈琲や菓子を嗜むより、選りすぐりの美人女給達が接待する店。
彼女達の給金は雀の涙ほど。
頼るべくは、客からのチップのみ。
言わば手軽な女遊びである。
(岸根の野郎、ちゃっかり背広なんぞ着て来やがって)
貞次の苦虫を噛み潰したような顔が、さらに歪む。
すると近くの女給が怯えた表情をした。
嗚呼しまった、と後悔したが後の祭りである。わざとらしく咳ひとつこぼし、言った。
「おい岸根。茶なら、うちでも飲めるだろう」
「待て待て、寺生。俺はここの珈琲が好きでな。うむ、君にも馳走してやろう」
「お前、何企んでやがる」
この貞次という少年、元来から厳つい顔だ
きりり、と太い眉に彫りの深い造形。
さながら岩を荒削りしたような、無骨さである。
『まるで仁王様のようだわね』
以前そう言ってのけたのは、貸本屋の娘のテル子だった。五つも年上である強面に物怖じするどころか、ずけずけと急所を突くような女である。
貞次は、その悪びれもしない悪童のような笑みを思い出した。
(女が皆、彼女のようである筈はないからな)
そんな男であるが、彼は無骨で不器用。
それでいて心根の優しい男なのである。
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