一ノ刻、文明と心中

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なんとか努めて表情を和らげた貞次は、悪友から視線を外す。 これ以上、婦人たちを怖がらせまいとしてのことだ。 「少しお待ちになってね」 珈琲(コーヒー)二つ。 割高に思える注文を取った女給は、愛想笑いを浮かべ立ち去る。 この店では、注文はこうして隣に座った女給に伝えるのだ。すると彼女らは、皆一様に同じような媚態を見せて席を立った。 厨房の方に注文を通すのである。 そして次の給仕は、盆に乗せた珈琲をお供にという訳だ。 「おい寺生」 先刻まで、軽薄な笑みを浮かべ女給の肩なんぞ抱いていた岸根がそっと囁いた。 「なんだ」 「緊急事態だぞ」 「なにが」 素っ気なく応えて、貞次は店内の装飾を眺める。 やはり学生が来て良いところじゃあない。 少なくても岸根のような坊ちゃんならいざ知らず、俺のような……と自虐のため息を吐いた。 岸根家は、北陸の方の大地主らしい。 金も権力もそれなりにある、金持ちと言うやつである。 片田舎と馬鹿にするべからず。 街の貧乏人より、田舎の金持ち。 暮らしぶりや、心の持ちようは大きく違うのだ。 「ちゃんと聞けよ」 「聞くもんか」 「珈琲は、奢りだと言っただろう」 「当たり前だ」 俺は無理矢理連れてこられたのだぞ。これで金まで取られるとなると、理不尽極まりない。 と、彼は口を尖らせて文句を垂れた。 しかし当の本人には、届いていなかったらしい。 「君、あの子をどう思うか」 ぼんやりとした唐突な問い。貞次は首を捻る。 すると焦れたような息を吐き、岸根は呟いた。 「あの女給だ、ほら一際愛らしい娘が向こうにいるだろう」 貞次はその言葉に、視線を店内に走らせる。 まだ客あしらいをしていないのか、退屈そうに自らの指の爪など眺める女達。 「……どいつだ」 「君は相変わらずの朴念仁(ぼくねんじん)だな」 軽々と口にされた悪口に鼻白むも、当人も多少自覚があるから仕様がない。 ほらあの『耳隠し』と、指をさされるが分からず首を捻る。 「耳……? なんだそりゃあ」 「おいおい寺生、そんなことも知らんのか!」 「逆に聞くがな、知らぬといかんのか」 「女がする髪型の流行のひとつも知らねば、色男とは言えないぞ」 「誰が色男だ、誰が」 うらなり顔、を横目で眺める。 すっかりいい男気取りのこの男、ついこの前まで丸ぶち眼鏡の神経質そうな印象であった。それが色気付き始めたのは、二ヶ月ほど前になるか。 「ははぁ。まさか岸根、お前」 その耳隠しの女に恋をしたのか。と、ようやく合点がいく。 岸根とは、まだほんの一年ほどの付き合いだ。それでも一応、親しき友と言える間柄。 その胸中は微笑ましくもあり、また少し寂しいような羨ましいような心持ちであった。 「とはいえ、よりにもよってカフェーの女給に懸想(けそう)するなんてなぁ」 唸るように言うと、岸根は深々と眉間にしわ寄せる。 それは彼自身に、自覚があるからに他ならない。 カフェーの女給は、媚びて金を得る。 それは売春婦達の次に、社会的地位の低い。 艶やかな着物と白い前掛(エプロン)は、男の好色は煽る。しかし社会的には、眉を(ひそ)める対象でしかないのだ。 そんな女給に、田舎のお坊ちゃんが恋慕するとは……まさに禁忌中の禁忌と言っても良い。 「恋に身分や年齢など、関係ない」 「とは言ってもな」
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