一ノ刻、文明と心中

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■□▪▫■□▫▪■□▪▫■□▫ 「寒……」 冒頭の台詞である。 その後。割高な珈琲を喉に流し込み、早々に店を後にした。 そして岸根の下宿屋にほぼ無理矢理引いて行かれ、相談という名の惚気話が延々と続いたのは言うまでもない。 (何が相談だ。大学の講義よりつまらねぇ) それでも途中で帰ったりしなかったのは、ひとえに貞次の人の良さ故であろう。 『顔は仁王だが心根は観音様だ』 と、彼の祖母がいつも口にしていたほどである。 (すっかり遅くなっちまった) 彼は気楽な下宿屋暮らしではない。 実家は帝都の端に建つ、古寺である。このご時世、都会では参る者の少ない小さな寺。そこで彼は、父と妹の三人暮らしであった。 (田舎者の坊ちゃんが色恋か。いい気なものだ) そこには多少のやっかみも、混じっていたのだろう。 それとも街灯の乏しい路地は、人の心も暗くしてしまうのか。 (ん?) 微かな物音。いや、話し声と言うべきか。 ぽっかりと薄闇が口を開ける、悪路の向こう。 古びた石造りの橋があった。 ぼんやりとそれはまるで幽霊のように佇む影、二つ。 目を凝らせど、貞次にはよく見えない。 (やれやれ仕方ねぇ) 心の内で盛大なため息をつく。 そうして、独り言の如く呟く名は――。 「(ゆず)」 『……あい』 舌っ足らずに応えしは、人で在らず。 いつの間に現れたか、禿(かむろ)姿の童女が彼の背後に控えていた。 彼は目を凝らし、橋を指さす。 「見えるか」 『……女と男、そして(あやかし)(とお)ほど』 「十か」 『十五』 「十五か」 『百八……』 「どっちだ」 『それは、主の煩悩ぞ』 「お前ぇなぁ」 従順とは言い難し、この人ならざる童女。 『式神』である。 陰陽道において、使役される鬼神。 この寺生 貞次(てらうまれ ていじ)、式神を使役し妖術法力と呼ばれる力を有していた。 それは生まれながらにして持つもので、陰陽師とも祈祷師とも言える能力。 見えざるものを視て、聞かざるものを聴く。 妖、悪霊、呪を祓い清める。 彼は自身のそれを『霊力』やら『妖力』などと呼んだ。 『呪じゃ』 「呪、か」 『うむ』 「なかなか、いわく付きの逢瀬だな。あんな欄干端に佇んで、心中でもするんじゃあ――って、おいおいおいッ」 (本当に飛び込みやがった!)
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