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幼い頃から、霊や妖を見る兄を彼女はどう思っていたのだろう。
時折奇異な行動をする彼を千代は心配こそすれ、彼の見る世界を信じることは無かった。
貞次自身もそれは仕方の無い事だと思っている。むしろ一緒になって怪奇などに巻き込まれたら、厄介だ。
「喧嘩でもなさったの?」
「いや」
「それとも溺れた仔犬でも、助けましたか」
「うむ」
「嘘でしょうね。兄さんの顔なんぞ見たら、犬の方が泳いで逃げてしまいますもの」
「酷い奴だな」
「そうかしら」
なかなか辛辣な妹だ。
ぽんぽんと出てくる軽口に『いや』だの『うむ』だのしか返せぬ男。それが彼である。
「おいおい、それくらいで勘弁してくれ」
「するものですか。だいたい、私には『夜道は危ない』だなんて云うのに。ご自分はどうですか」
「それはだな、男と女で――」
「まあ呆れた! この文明開化時代に、そんな黴臭い事を」
「黴とはなんだ。口が過ぎるぞ」
「女は洋装して、街を歩く時代ですよ? 耳隠しに……」
「またそれか!」
貞次は大仰に頭を抱える。
耳隠しだか角隠しだか知らんが、女が口達者なのは時代なのではない。普遍なのだ、と骨の髄まで滲みさせられる。
――その時であった。
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