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傷心
目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚める。
暑い。
ベッドから出るとすぐに冷房を入れる。
季節は夏。
冴と誠司君が別れて3ヶ月が経とうとしていた。
冬吾君には伝えていないらしい。
だけど冬吾君は人の心を見抜いてしまう。
だから私も隠し事が出来ない。
冬吾君には冴から聞いたことをそのまま伝えた。
「きっと時間が経てば思い出に変わるよ」
冬吾君はそう言っていた。
冬吾君が言ってる事は大体当たる。
だから大丈夫だろう。
そう思っていた。
それより今優先しないといけないことがある。
前期の期末考査。
それに合わせて提出物の準備もしないといけない。
夏バテなんて言ってられない。
頬を叩いて気合を入れると着替えて学校に行く準備をする。
トースターにパンを入れてコーヒーをセットする。
その間に顔を洗ったり髪を梳いたり。
テレビの音だけが流れて来る日常生活。
しかしある言葉が私の動きを止めた。
「イタリアで活躍中の多田誠司選手が負傷しました」
私は準備を止めてテレビを見る。
試合中の接触が原因らしい。
詳しい事はニュースにならなかった。
今年はオリンピックの予選なんかもある。
大丈夫なのだろうか?
すぐにでも冬吾君に事情を聞きたいけど、向こうは今頃深夜だ。
いつもの定時連絡の時に聞く事にしよう。
教室に入ると友達が私に話を振ってくる。
私にもわからないと答える他なかった。
オリンピック予選は絶望。
そんなSNSの情報を確認して心配していた。
誠司君は冬吾君の次くらいに日本代表に欠かせない選手。
その冬吾君ですら司令塔の誠司君がいなければ自由に動くことが出来ない。
だから大きなニュースになる。
冴からは何も言ってこなかった。
今さら冴が口を挟むことじゃない。
きっとそんな風に思っているのだろう。
だから私からも誠司君の話題はあまり触れないようにしていた。
冴もまた心に傷を負っていて、癒すのに時間が必要だったから。
バイトから帰るとすぐに冬吾君に連絡する。
「そっちでも話題になってるんだね」
いつもなら笑ってる冬吾君も今回は険しい表情だった。
「そんなにひどい怪我なの?」
「順を追って説明するね」
イタリアのリーグ戦で誠司君の存在は大きかった。
そしてポジション的に一番削られる存在。
テクニックと同じくらいフィジカルを必要とするポジション。
いつもなら動じない誠司君でもメンタル面でやはりきついものがあったらしい。
そしてその日いつも以上に誠司君は削られていた。
いつもなら余裕すらみせる誠司君もムキになった。
軽く躱していくプレイスタイルが強引に突破するスタイルになっていた。
結果無理なプレイをして相手の足が誠司君の足首に接触。
担架でピッチの外に出されてそのまま選手交代。
その時間、冬吾君も試合中だったけど後でニュースでVTRを見てやばいと思ったそうだ。
診断結果は足首の骨折。
オリンピック予選に出場は絶望的だと現地のニュースではやっているそうだ。
「瞳子、この事はまだ……」
「わかってる」
まだ日本では誰も知らない情報。
迂闊に流すわけにはいかない。
何より予選で対戦する相手国を喜ばせることになる。
日本を過剰に敵視している国だってあるのだから。
「冬吾君も気を付けてね」
ポジションが違うとはいえ冬吾君だって日本代表の中心人物なんだから。
「ありがとう」
その時私のスマホが鳴った。
画面を見ると冴からだった。
「ごめん、冴から電話着たから……」
「わかった。上手く誤魔化しておいて」
「わかってる」
冬吾君との通話を切ると電話に出る。
「冴?どうしたの?」
「今テレビつけてる?」
「いや、冬吾君と通話してたから」
「すぐに見て。1チャンネル」
冴に言われてテレビをつける。
冬吾君の言っていた事実がニュースに大々的に報道されていた。
全治半年。
プレイ復帰までに1年は必要とする。
そんなことまで流れていた。
「……私のせいかな?」
「え?」
「私が誠司と別れるなんて言ったからやけになって」
「それは無いと思う」
私は冬吾君に言われた事を伝える。
誠司君は司令塔だからどうしても狙われやすい。
たまたま偶然が重なっただけだと伝えた。
「でもいつもの誠司ならこんな事なかったじゃん!」
「それは……」
返す言葉が無かった。
「私……どうしたらいい?」
「落ち着いて、馬鹿な真似はしないで」
建人さんは今いないのだろうか?
私も落ち着かないと。
「冴、今どこにいるの?」
「建人の家」
「建人さんは?」
「バイトに行ってる。もうすぐ帰ってくると思うけど」
どうしよう?
私は建人さんの家は知らない。
別府大学の近所のアパートとは聞いてるけど、あの辺は複雑に入り組んでいて電話で説明を受けてもわからない。
ナビも電話番号が分からないと正確には目的地を設定できない。
……親友の為だ。
最後の手段を使うしかない。
私はメッセージを江口君に送る。
「建人さんの家まで送ってほしい」
「わかった!じゃあ地元駅までは来れるかな?」
「うん」
まだ電車があるはずだ。
急いで家を出て電車を待つ。
電車に乗って地元駅に着くまでの間。
駅で江口君に拾ってもらって建人さんの家に着くまでの間、誠司君の事を考えていた。
「着いたよ」
私はすぐに車を降りると建人さんの部屋の呼び鈴を鳴らす。
「中山さん?」
出たのは建人さんだった。
「冴は?」
「今はお茶飲んで落ち着いてる」
流石に今アルコールはまずいと判断したらしい。
「まあ、狭いけど取りあえず上がって」
私と江口君は家に入ると冴が蹲っていた。
「瞳子!」
冴は私を見るとすぐさま私に抱きついて泣きじゃくる。
「こんなつもりじゃなかったのに!」
「分かってる。ただの事故だよ。冴は悪くない」
不運が重なっただけ。
こんな偶然誰にも予見できるはずがない。
誠司君のプレイスタイルが変わっていたという事実は伏せて、冬吾君から聞いたことを説明した。
「じゃあ、誠司が狙われていたってこと?」
「私もサッカーに詳しいわけじゃないけど多分そう言う事だと思う」
「まあ、多田選手なら無理も無いな。今期アシスト王の候補じゃなかったっけ?」
江口君はサッカーに詳しいんだろうか?
「わかった……ごめんね。瞳子に迷惑かけたね」
「こんな時の為の親友だよ」
「ありがとう。あ、帰るなら私送っていくよ」
困った。
今の冴に私を送った後一人で運転させるのは危険だ。
でも江口君が素直に私の家に送ってくれる保証はない。
どうする?
「ああ、俺が瞳子ちゃん送っていくから大丈夫」
「でも、劉生も別府だし二度手間になるじゃない」
「俺が運転するよ。冴も一緒に来ると良い。それなら中山さんも心配いらないだろ?」
建人さんの案が一番安全な気がした。
「俺って信用ないのな?心配しなくていいよ。瞳子ちゃんが想像してるような真似したら俺が芹葉に絞殺される」
どういう意味?
「本当に大丈夫?」
冴が言った。
「心配なら芹葉に一言言っとくよ」
江口君はそう言って佐々木さんにメッセージを送った。
「妙な真似したら許さないからね!」
そのメッセージを私たちに見せて「ほらな?」と言って笑う江口君。
結局私は江口君に送ってもらう事にした。
電車はもうないから地元大学まで送ってもらうようにお願いした。
江口君は了解してくれた。
車は国道を快適に走る。
行きの時は夢中だったけど今は無言のままだと何か気まずい。
適当に話題を振ってみよう。
「あのさ、江口君ってひょっとして……」
「瞳子ちゃんってあんまりスマホ見てない?」
キャンプの後に佐々木さんから告白を受けたらしい。
「もう諦めて私と付き合ってよ」
佐々木さんはずっと江口君を見ていた。
だから、ただの道化になってる江口君を見ていて辛かったらしい。
誰よりも江口君の事を知っていた。
「傷を負って手に入れるものってあるんだね」
私への気持ちは本気だったらしい。
だけど近づこうとすればするほど頑なになっていく私の心。
気持ちが折れかけていた時に佐々木さんから告白されたそうだ。
「傷心した後ほど攻略しやすいものは無いって本当なんだなって思った」
「……ごめんなさい」
「だからさ、瞳子ちゃんも気をつけなよ。そういう心の隙を狙ってくる奴絶対いるから」
「私は失恋したりしない」
「そうだったね……信じてみたくなったよ」
信じる心というものを。
地元大学の前に車を止めると私は礼を言って降りる。
「この辺街灯無いみたいだから変質者とかに気を付けてね」
「今日はありがとう」
「また夏休み入ったら皆で遊ぼうよ」
そう言って江口君は帰っていった。
冴の心の傷を建人さんが癒したように、江口君の心は佐々木さんが癒してくれた。
じゃあ、誠司君の心の傷は誰が癒してくれるのだろう?
そんな事を考えながら家に帰ってベッドに入った。
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