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約束はいらない
「気を付けてね」
前日の夜からずっと考えていたけど他に良い言葉が浮かばなかった。
何を言ってもきっと冬吾君を不安にさせるんじゃないか?
「心配しないで」って言っても却って不安にさせるんじゃないか?
ちゃんと笑顔で送ってあげたい。
結果こんなシンプルなセリフになってしまった。
3月上旬。
卒業式の翌日に冬吾君はスペインに飛び立つ。
私は冬吾君の両親と一緒に空港に見送りにきていた。
本当は卒業式の日に見送るつもりだったけど、冬吾君の両親が一緒にというので同行させてもらった。
ちゃんと笑って見送ってあげよう。
不安な自分の気持ちを押し殺して作り笑いをする。
でもそんなの無駄な努力だった。
冬吾君は私の気持ちなんて簡単に見抜いてしまう。
「浮気でも疑ってる?」
冬吾君はそう言って笑った。
「そ、そんなことはないよ」
冬吾君に限って浮気なんてするわけがない。
でも私の事なんて忘れてしまうかもしれない。
恋には終わりが来る。
今日のような青空よりも澄んだときめきを簡単に捨ててしまえる。
私と離れてしまっても、冬吾君はサッカーの女神に愛されている。
人を好きになるとやがて誰にでも訪れる孤独。
それは暗闇よりも深い苦しみを抱きしめて生きていく事。
例えそうだったとしても、私から冬吾君が離れていったとしても、今出来る限りの笑顔を冬吾君に残してあげたい。
だけど冬吾君は別の解答を見つけていたようだ。
冬吾君はバッグから小箱を取り出した。
「まだ、ホワイトデーには遠いけど」
そう言って冬吾君は私に小箱を差し出した。
「ありがとう」
「出来れば今開けて欲しいんだ」
え?
私は冬吾君に言われたとおりに小箱を開ける。
中味はシンプルなデザインのプラチナの指輪だった。
「それを出来れば大事にしてほしい。僕だと思って」
そう言って冬吾君も左手を出す。
薬指にはめられていたのは同じデザインの指輪だった。
「……もしかして冬吾君」
「正直に言う。僕も瞳子も環境が変わる。環境が変われば想いも変わってしまうかもしれない。だから約束はできない」
「……私はいつまでも待ってる」
「分かってる。瞳子を信じてるから、だから約束はしない。その指輪が僕達の絆の形」
帰ってきた時まだそれをつけていてくれたら、その時にあらためて約束をするよ。
「冬吾。せっかくだから瞳子ちゃんにはめてあげなさい」
冬吾君のお母さんがそう言うので、私は指輪を冬吾君に渡すと、冬吾君は私の左手の薬指にはめてくれた。
「僕の気持ちは変わらない。そして瞳子を信じてる。それは約束なんかじゃなくて信頼の証」
「ありがとう。私もずっと大事にしてる。冬吾君の事を信じている」
涙があふれだすのを止められなかった。
嬉しいのか寂しいのか分からないけどこぼれる涙。
冬吾君はそんな私をそっと抱きしめてくれた。
「瞳子が大学を卒業する頃には必ず迎えに来るから」
「……うん」
いつまでも心で見つめている。
いつまでも冬吾君を信じている。
今、心に呼び掛ける。
私達に約束なんて必要ない。
冬吾君がくれた物はかけがえのない強さ。
なんとか涙を止めて立て直すと「頑張ってね」と笑顔で見送った。
彼の姿が手荷物検査のゲートをくぐるまで見送っていた。
「冬吾の事をどうか信じてあげて」
冬吾君のお父さんがそう言うと、私は無言で頷いた。
その言葉も今も覚えている。
あの日からずっと守っている。
今も瞳で語りかけている。
私は大丈夫。
どんなに寒い夜でも。
「ごめんね、遅くなっちゃった」
「週末なのに珍しいね。急用?」
合コンを途中で抜け出した私は、冬吾君とビデオ通話をしていた。
お互い離れているんだ。
やましい事をしたわけじゃない。
だから嘘はつきたくない。隠し事をしたくない。
正直に話すことにした。
冬吾君ならきっとわかってくれるから。
「冴に合コンの数の埋め合わせに呼び出されちゃった」
「合コン?そっか、大学生だもんね」
冬吾君はそう言って笑っていた。
「それでね……」
「何かあったの?」
冬吾君が聞くと私はあったことをそのまま話した。
「冴もきっと寂しいんだね」
冬吾君は何とも思ってないようだ。
「それだけ?」
「まだ他に何かあるの?」
「いや、冬吾君は何とも思ってないの?」
「ああ、そう言う事か。言ったろ?『瞳子を信じている』って」
今の話で冬吾君が怒ったり疑ったりすることはないと言った。
「冬吾君は合コンとかそういうのは無いの?」
「仲間内で遊んだりすることはあるけど、そういう興味はないかな」
冬吾君を取り囲む女性達は皆「サッカー選手の片桐冬吾」としかみていないんだそうだ。
仮に異性として見ていたとしても冬吾君は「恋人を祖国に置いて来てるから」と断っているそうだ。
きっと冬吾君の言う事を信じていいだろう。
モニタ越しに見る冬吾君の瞳がそう物語っている。
冬吾君もきっと私の瞳を見つめているのだろう。
だから約束はいらない。
冬吾君がくれた大切な指輪だけで十分だった。
「で、どうだった?初めての合コン?」
「色んな男の人に声をかけられて大変だった」
二度と行きたいとは思わない。
次誘われても断ろう。
あんな思いはもうたくさんだ。
「うーん、彼氏の僕としては少しは心配した方がいいのかな?」
「信頼されてると受け止めるから平気だよ」
「そう言ってもらえると助かるよ」
「私も冬吾君の事信じているから」
「ありがとう」
その時スマホのメッセージが届いた。
スマホを見ると冴からだった。
どうしたんだろう?
さっきの要件ならもう話すことはないんだけど。
「何かあった?」
「うん、冴からメッセージ届いた」
「そっか、返事返してあげなよ」
「でも……」
こんなしょうもない事の為に冬吾君との時間を潰したくない。
「僕もそろそろ夕飯食べて試合の準備しないと……」
あ、そっか。
日本とスペインの時差は7時間。
私は時計を見る。
確かに夕食の時間だ。
「通話遅くなってごめんなさい」
「気にしないでいいよ。僕が好きでやってるんだから」
「うん」
「じゃあ、また明日ね」
そうして通話は終わった。
私はメッセージを見る。
知らないグループに招待されていた。
冴の知り合いのグループ?
私はそれに参加する。
拒否しても冴の事だからしつこいだろうし。
いやなら、ブロックしたらいい。
案の定江口君がいた。
「さっきはごめん!悪気はなかったんだ」
「もういいです。さっきので話は済んだはずです」
「瞳子~。私からもお願い。決して悪い奴じゃないから」
「私には彼氏がいるって言ったよ?」
「遊びならいいでしょ?冬吾君と瞳子ちゃんの仲を引き裂くような真似はしないから。瞳子だって自信あるんでしょ?」
私の逃げ道を見事に塞いでくる冴。
まあ、今連絡を取り合ってる友達と言えば冴くらいだし、まったくいなくなるというのも考え物か。
「私、そんなに裕福な生活してるわけじゃないからそんなに遊べないよ?」
「たまにでいいから!」
「そう言う事なら……わかった」
「さすが瞳子!話が分かる」
「瞳子ちゃんありがとう!」
その瞳子ちゃんという呼び方に寒気がするけど仕方ないな。
「じゃあ、もう遅いから私そろそろ寝るね」
そう返信してスマホを充電器にセットするとシャワーを浴びてベッドに入る。
しかし私の事はともかく冴は誠司君の事どうするんだろう?
そんな事を考えながら、なれない合コンに疲れ果て眠っていた。
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