旅人のはなし

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ーーー 夜中のクズ工場に、非常にスローテンポな打突音が響き渡る。 誰かがノックしているようだ。  居間で漫画を読んでいたカリンが、面倒くさそうに玄関へ向かう。 「うっさいスね。もう営業時間過ぎてんですけど」 鍵を開けた瞬間、キースが倒れこむように中に入ってきた。 「あれ、あんた……お久しぶりです」 「さっき会ったばっかだろうが!」 ゼエゼエと、肩で息をしながらツッコむキース。 「こんな夜更けに、何の用スか?」 「ここに住ませろ!」 「はぁ?」 「僕をここに住ませてくれ! 工場のメンバーに入れてくれ!」 それからキースは、騒ぎを聞きつけたニルを加えた工場レディースに、かくかくしかじかな理由を説明した。 カリンは机に突っ伏してテーブルをバンバン叩き、ニルは口元に手を添えて高笑いした。 腹立たしいが、ここで感情的になれば、最後の頼みの綱が切れてしまう。 キースが歯軋りしていると、ひとしきり笑って気が済んだらしく、カリンが言った。 「ま、いいんじゃないスか?ちょうど力仕事に男が欲しい と思ってた所ですし……ぷっ」 「そうね。一人くらいなら男がいてもいいわよ、力仕事に使えるから」 「決まりだな……」 キースは安堵のため息をこぼした。 「ぼくは反対だよ」 「うおッ!?」 が、ここでクズ工場のもう一人のメンバーの声が割り込んできた。 振り向くと、ラスカルが階段のそばで立っていた。 尻尾がもふもふと動いているのが可愛い。 「お前びっくりさせんじゃねぇよ! つーかいつからそこに――」 いつからそこにいたのかと尋ねようとした矢先、突然ラスカルに巨大なシャボン玉スティックで思いっきり殴られた。 例えるならばプロ野球選手。 見事にホームランを決め、ボール(キース)を観客席(床)に転がした。 「こんばんはラっさん」 「やぁカリンちゃん。しばらく会わないうちにまた可愛くなったね」 つい今し方、人を殴り倒した人物とは思えない、穏やかな笑みを浮かべるラスカル。 カリンの方も、床に倒れ伏すキースを、見て見ぬふりをしている。 「まだ二時間ぶりですけど」 「おや、そうなのかぃ? 君に会えない時間はずいぶん長く感じるものだね」 「当然でしょうね。唯一無二のボスですから」 「じゃあそんなぼくの可愛いボスに寂しい思いをさせた借り はキッチリ返さないとね。はい、ぎゅー」 「って、ちょっと待てコラァ!」 イチャイチャする二人に、キースは床からヨロヨロ立ち上がりつつ叫んだ。 「何だぃ、うるさい小僧だな。こっちはお楽しみの最中なんだ、邪魔しないでおくれ」 「何を差し置いても邪魔するわ! てめぇいきなり何しやがる!」 「ぼくなりの反抗の意思表示だよ」 にっこり笑ってラスカルは言う。 「話はおおむね聞かせてもらったよ、アンダーソン君。きみは昔亡くなったお父さんの死の真相を調べに僕の所へやって来たと。あわよくばぼくを殺そうと思ってた。そうだね?」 「……あぁ」 まぁ間違ってはないなと頷く。 「でもぼくはきみのお父さんなんか殺してない。したがって、きみはぼくを殺す気はさらさら無いと」 「そうだけど……」 もう一度肯定すると、ラスカルは大きなため息を吐いた。 「まったく……きみにはがっかりだよ。男の風上にも置けないね」 散々な言い草に、キースはカチンと来た。 言い返そうとしたが、ラスカルに冷たい目で見据えられ口を噤んでしまう。 「ぼくが何のために、刺客ホイホイみたいな真似してると思ってるんだぃ?」 刺客ホイホイ……わざわざここまで来た連中を半殺しにして 、あろう事か送り返している事か。 「そりゃあ……その……また襲撃に来させるため?」 「ご名答」 ラスカルはビシッと巨大シャボン玉スティックでキースを指した。 「でもそれだけじゃない。普通、そんな事したらどうなるか、ちょっと考えれば分かるだろう?」 「……ボロボロで送り返されてきた仲間の敵をとりに来るな 」 「その噂を聞きつけた別の奴らもね」 きみがまさにいい例だね、と独特のゆっくりした口調で言う。 ラスカル自身はさほど気にしていないようだったが、それは明らかに一大事なはずだ。 「そんな事してたらお前いつかマジで……!」 「殺されるかもねぇ」 のんびり且つさらりとした、まるで他人行儀な口ぶりだった。 「でもそれがぼくの望みなんだ。刺客ホイホイ作戦を続けて続けて、いつかぼくのライフワークが達成できる日までの暇つぶしをするのさ」 そう言って笑うラスカル。恐ろしいことに、それは心からの純粋な笑みだった。 「という訳で、ぼくはきみがここに住むのには反対だ。女の子ならともかく、ぼくに殺意を示さないような奴はいらない」 キースの鼻先に突きつけられたスティックから、液体が滴り落ちる。 床がジューッと音を立て、焼け焦げている様子からして、ただのシャボン玉ではない。きっと酸か何かだろう。 のんびりゆったりした癒し系なチビのくせに、なんて凶器持っているんだ。 「十秒待ってあげるから、さっさとぼくの目の前から消え失せておくれ」 首に提げた懐中時計を手にするラスカルに、キースは慌てて反論した。 「いやちょっと待て! お前が何て言おうが、カリン達はいいって言ってんだぞ、多数決的に考えてここは……」 「はい、九ー。八ー」 「聞けや!」 キースの言葉に構わず、カウントダウンを続けるラスカル。 「待ちなさいラスカル」 あと三秒を切った時、二人の掛け合いを傍観していたニルが口を開いた。 「確かに男が私達の仲間になるのは抵抗があるわ。でもこいつだってやむを得ない事情があるのよ」 分かってあげなさいと諭すニルの姿に、キースはある種の神々しさを覚えた。むしろ女神だ。 ただの性悪女じゃなかったようで、少し見直した。 「考えてもみなさい。こいつを雇って、力仕事全般を主に馬車馬のごとく働かせて、その内討ち死にしたら、多少なりの財産が手に入るのよ?悪い話ではないでしょう」 前言撤回。やっぱこの女ただの性悪だ。 「いや、でも……こればっかりは……」 そして当のラスカルは、困惑したように眉尻を下げ弱々しいながらも、まだ食い下がる。 意地でもキースを仲間に入れたくないらしい。 そんなラスカルの悪あがきに、カリンが申し出た。 「じゃあラっさん、こうしましょう。もしキースさん仲間入りに賛成してくれたら、勤務時間半分にしてあげます」 「喜んで賛成します……!」 ラスカルは一瞬で陥落した。 今までの張り詰めたやりとりは何だったんだと、ツッコミたくなるほどのあっさり加減だ。 カップラーメンでいったら塩味だろうか。 キースの鼻先からようやく酸入りシャボン玉スティックが下ろされる。 「それじゃあアンダーソン君、改めて、ようこそクズ生産工場へ。せいぜいうまくやりなよ。いつまでくたばらずにいられるか知らないけどね」 あからさまな嫌味とともに、和やかな愛想笑いを浮かべてみせ、ラスカルは尻尾をくねくねさせながら自室に戻っていった。 「ンッだあのチビガキは!出てきたと思ったら言うだけ言って引っ込みやがって!」 「あれでもあの子にしては社交的な態度よ」 まあまあ、とキースを宥めながらフォローする。 「あの子が自分の意見を通すなんて滅多にないもん。理由を聞いても話してくれなかったけど」 「きっと何か事情があるんじゃないですか? 少なくとも、嫌われてはいないと思いますよ」 何だか釈然としないが、キースは一応納得した。 現に、嫌われるような事は何もしていないのだから。 何はともあれ、こうしてキースの波乱万丈山のごとしな、クズ工場ライフが始まったのだった。
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