202004 コーヒーを飲む自由

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202004 コーヒーを飲む自由

 出勤する前にセブンイレブンでコーヒーを飲む。コーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、車のなかでぼんやりと飲むのが習慣になっていた。  新型コロナウイルスが流行ってから、セブンでコーヒーを買う人が減った。私もそのひとりだ。セブンのレジにはビニールの覆いが垂れ下がり、店員はビニールの手袋で釣り銭を渡す。怖いよね。私も仕事のひとつが接客業なので、家で仕事ができない人たちの気持ちがわかるよ。仕事に行きたいと行きたくないのせめぎ合いのなかで家を出る。薄いもやのように漂う恐怖のなかで、車を走らせる。  世の中には酒派とコーヒー派の人がいて、私の周囲にはコーヒー派の人間が多かった。自然とおいしいコーヒーが出てくる環境にいたので、私は自分でコーヒーをきちんと淹れる気があまりしない。自前のネルのコーヒーフィルターでコーヒーを淹れてくれる人がいた。喫茶店で水出しコーヒーを出していた人もいる。喫茶店の人はネスカフェのエクセラでもおいしいコーヒーを淹れてくれる。配合が絶妙なのだろう。  コーヒーが外で飲めなくなったからといって、私はとくに不便を感じるわけではないのだけれど、周囲の人はなんとなく苛立っている。歌を歌いながら椅子を蹴っていたんだよ、と同僚が笑う。私はあまり考え深い質ではないので、私の機嫌は普段と変わらない低空飛行だが、物事がよく見える人ほど神経が苛立つ、そういうものなのだろう。同僚の笑顔を見ながら思う。  会社の同僚にマスクを作る私の姿を見て、戦時中みたいだねと家人が言った。戦時中は防空頭巾や兵隊の軍服などをミシンで縫っていたものだ。かよわい一般人ができるレジスタンスはそのくらいだ。そう思いながら私はミシンへ向かう。  佐藤優が、収監されていたときにコーヒーが飲めないのでコーヒー飴を差し入れにもらっていた、と本に書いていた。私たちはコーヒーを飲む自由を失ったわけではないけれど、見えない大きな監獄のなかにいるみたいだ。絹のような肌触りの、なめらかなうすい恐怖のなかに、すっぽりと覆われている。  いつか辿り着くであろう、恐怖の向こう側の世界を想像する。外でコーヒーを飲む自由はあるだろうか。たぶんあるだろう。が、私に見える世界は、新型コロナウイルス以前の世界とはきっと変わっている。
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