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<11>
あれから順調に輝君は成績を伸ばし、担任からも「驚異の成長」と揶揄される程、成績をアップさせていた。
事務所としても、看板スターの大楠蓮君が無事大河の収録を乗り切り、何と紅白にも特別ゲストとして参加が決まった。
蓮君のおかげで事務所のほかの子供達にも次第に声が掛かりだし、事務所は年が明けても仕事が減る事無く大わらわであった。
「ああ、怒涛の年末年始が終わって・・もう節分だっていうのに。仕事が減るどころか増え続けって、どうなのよぉ~~」
三木本の溜息は響くどころか、パソコンのキーを連打する音と会議の声、電話の音などに綺麗にかき消されてしまった。
繁忙に伴い事務所の人員は増員され、今までの閑散とした雰囲気は完全に消え去っていた。
「・・ハハッ、そうですよね。少なくとも去年までとは大違いですね・・」
南が相槌を打つと、背後から男性が声をかけて来た。
「お話し中申し訳ねえっす姐さん。ご依頼のブツ、仕上げときました」
振り返ると、例のソフトモヒカンの青年がそこにはいた。
彼はようやく3月で大学を卒業し、このスターリング事務所に就職して来る事になっていた。
ただ斜は困った事に、去年のあの一件以来南の事を「姐さん」と呼ぶようになってしまったのだ。
「・・・有難う斜君。その・・そろそろ、「姐さん」っての、止めにしない?」
南の遠慮がちの提案を、斜は首を横にブンブン振って否定の上、持論を熱弁する。
「いいや、貴方は俺の「姐さん」だ!一生付いてきますんで。じゃ!」
斜は一礼すると、そのまま自身のデスクに戻ってしまった。
「・・・女でもないのに、ねぇ。「姐さん」って・・・」
「あはははは・・」
三木本に的を得た一言を呟かれ、南はもう笑うしかなかった。
「それにしても・・急に忙しくなっちゃったわね。ウチの事務所」
「ええ、本当蓮君様様ですよ」
「そういや、その蓮君は?」
「ああ・・・彼はもう今月いっぱいは休みが無い状態ですね。CМ撮りにスチール撮影、雑誌の取材に夏ドラマの顔合わせ。スポットでレギュラー以外のバラエティが幾つか入ってますね。ああ、来週にもそのスポットのバラエティの撮影、あるみたいです。何か山の中の廃墟で肝試し・・とか」
「うえ~~っ、絶対やだぁ・・・・」
「・・ですよね。本当、尊敬しますよ」
三木本が大きな溜息を吐きつつ、パソコンの画面とにらめっこしている。
その口から小さく、蓮君への思いが漏れ出た。
「やりたくてやってる仕事って訳でも無いのにさ、こんだけ忙しいって。・・何か可哀想」
「・・・・そう、ですね」
「ああそれと。あのポンコツきらりはどうなの?大学、入れそう?」
「ああ、それはもう大丈夫。A判定も出てますし、余程の事が無い限りは問題ありません」
「そっか。それじゃあ・・あと一か月か、南君と仕事出来んのも」
「まあそうなりますよね」
「送別会、やろうね!」
「ええ、よろしくお願いします」
それから10日後、あの「事件」は起きた。
早朝、未だ日も登らない時間に、自宅の電話と事務所の電話、大熊さんの携帯が急に一斉に鳴り響いた。
起こされた僕と輝君は、大熊さんの電話のやり取りに、互いにあくびをしながら耳をそばだてていた。
・・・その電話に出た大熊さんの表情が一変した。
大熊さんは受話器を置くとすぐ自室に戻り、素早く着替えを始め、
「南さん、一緒に来てくれ。きらり、悪いが今日は学校休んで事務所番頼む」
厳しい表情でそう小さく告げ、慌てて着替えた僕の腕を引っ張って階下に降りた。
余りの事に、僕と輝君が大熊さんを問いただすと、大熊さんは小さく
「・・・蓮が急に”発情期”になったらしくてな・・。フェロモンに当てられた共演者五人に強姦されて、怪我を負ってるらしい。今病院に運ばれたそうだ」
そう・・・告げられた。
「・・・・・嘘だろ」
そう呟いた輝君を置き去りにして、大熊さんと僕は病院に向かった。
病院に着いた僕達が見たのは・・・手術室から運び出されて来た、ストレッチャーに乗った小さな蓮君の身体。
その小さな包帯まみれの体に縋り付き、ただひたすら
「ごめんなさい、ごめんなさい、蓮、蓮!ごめんなさい・・・」
泣きじゃくりながらそう謝罪する彼のお母さん。
その後、手術を担当した医師から、彼の痛ましい”怪我”の詳細が語られた。
「陰部はかなり酷い状態でした。外部にも膣内部にも数か所大きな裂傷が・・。どうにか縫い合わせて、経過を診ますが・・・。
残念ですが、あの状態では・・恐らく100%妊娠しているでしょう。相手が全員アルファとの事でしたから。今は鎮静剤を打ってあります。
膣内洗浄もしておきましたが・・警察に被害届を出されるという事も考慮して、膣内の粘液は別に保存してあります。
診断書は書いておきますので、後で取りに伺って下さい」
「・・・・恐れ入ります」
「詳しい話は、受付で書類を書いていらっしゃるテレビスタッフさんに聞いて下さい。
勝手かとは存じますが・・彼は有名人ですから、特別室をご用意しました。病室へは看護師がご案内いたしますのでお申し付けください」
「申し訳ありません、・・・くれぐれも、ご内密に願います」
大熊さんが主治医に深々頭を下げた。
医師は微笑みつつ、
「僕も彼のファンですから。安心してください、この病院のスタッフは口は固いので」
そう告げ、看護師にカルテを手渡した。
「恩に着ます」
大熊さんと僕は深々頭を下げた。
大熊さんがその後、馴染みのスタッフから事のあらましを聞いた。
僕は、急ぎ病室へ向かおうとしたのだが・・。
相手方の事務所関係者から呼び止められてしまった。
「・・スターリングの関係者、かしら?」
このモデルの様な美しい女性を、僕でも知っている。
大手プロダクション[ZEX]の藍川百瀬。
現在は彼女が代表取締役社長だったはずだ。
彼女の後ろには、その「事件」を引き起こした売り出し中のアイドル5人がいた。
・・僕は至極冷静を装って、話に応じる。
「ええ。株式会社スターリングプロモーションの顧問弁護士を務めております、南 孝生と申します」
そう挨拶するや否や、背後から急に大柄な青年が飛び出してきた。
「俺は蓮にどうしても謝りたいんだ!頼む、会わせてくれ!!」
その青年は僕の両肩を強く掴み、何度も揺さぶりながら必死にそう訴えて来た。
(被害者が、今どんな気持ちでベッドに横たわってるのか・・解らないのか!)
自身の境遇もあり、僕は心の奥からふつふつ湧き上がる怒りを止められなかった。
思わず、病院中に響き渡る位の大声で
「いい加減にしろ!アンタ達は寄ってたかって、ついさっきまであの幼い少年の身体に何をしたのか・・・本当に分かっているのか?!」
そう彼を・・・怒鳴りつけてしまった。
途端、辺りに居た全員が沈黙した。
でも、僕の口は止まらない。
「自我の吹き飛んだ大人5人によってたかって乱暴に身体を引き裂かれた、初体験も未だだった彼の気持ちも考えろ!そんな彼がどうやったって今、アンタ達に会える様な精神状態な訳無いだろうが!」
・・・・僕が肩を震わせ、怒りのままに怒鳴り終えると・・何時しか大熊さんと、先程の主治医の医師が隣にいた。
主治医の医師は彼等に、
「今彼に会わせる事は出来ません。理由は・・・今さっき、弁護士の彼が話した通りです」
そう言って、静かに自制を促した。
大熊さんは肩で息をする僕の肩を軽く抱いて、
「ありがとう、蓮と俺の気持ちを代返してくれて」
そう話してくれた。
その後、磯貝さんと僕と大熊さんとで、相手方の弁護士を交えた話し合いが何度か持たれた。
結果、僕達が出した答え・・・蓮君は、「休養扱い」という事になった。
それは、実質・・「引退」に限りなく近い物だった。
何故なら・・・・・・。
蓮君はその後、妊娠が判明した。
彼のお母さんは、精神状態が不安定になってしまい、一時は意思の疎通もままならない程憔悴しきってしまった。
彼のお父さんには、結局どうやっても連絡が付かなかった。
蓮君は、身体の方は二週間ほどでほぼ傷は癒えたけれど・・・。
蓮君の精神状態の方は一進一退であったものの、身体の傷が癒えた今、退院を余儀なくされていた。
結局引き取り手のいない蓮君のお母さんは、一旦精神科のある大きな病院に一時的に入院して貰った。
蓮君は大熊さんの事務所で預かり、僕が面倒を見る事になった。
その後、アメリカに住む蓮君の伯母さんに連絡がついて、蓮君達を引き取る為に動いて下さる事が決まった。
「蓮君、良かったね。君の伯母さんがこっちに来て、君達の面倒を見て下さるって。それまでは社長と僕が面倒を見させてもらうから、何でも言ってね」
「はい」
蓮君はあれから、ほとんど喋らなくなった。
そして夜になると、必ず・・・・。
「うう・・・ああっ・・やめて・・・ああああああっ!!」
びっしょりと脂汗を書いて、悪夢にうなされながら飛び起きるのだ。
そんなときは必ず、僕が抱きしめながら
「大丈夫だよ、大丈夫。君は悪くない。・・・辛かったね」
そう言って優しく慰めるのだ。
蓮君は、その言葉を聞いて毎晩泣いた。
結局その後、輝君の周囲では何だかんだあったものの、輝君自身は無事大学入学を許され、四月からは晴れて大学生になる。
・・あの忌まわしい「事件」からひと月ほど経っただろうか。
蓮君はようやく、明るさを取り戻し始めた。
最初は、僕の料理を隣で見ながら真似をしだした。
次第に、大熊家の家事を手伝う様になり・・。
買い物にも、近所のスーパー位なら行ける様になって来た。
マスクをして目深に帽子を被った少年に、誰も気付く事は無かった。
最初だけは。
彼はやはりトップスターだったのだ。
三度目の外出のあたりで、ゴシップ記者が騒ぎ出した。
結局三度しか、彼が外出できるチャンスは無かった。
今も事務所周りには、常時数人のマスコミ関係者が交代で張り付いている。
そんな中、彼の出した答えは僕達の想像を絶するものだった。
「・・・産む?!」
「その・・「強姦」で、出来た子供を?」
「はい」
「いや・・・止めておいた方がいい」
「いろんな意味で、その子は君にとって負担にしかならないよ。・・それでも?」
「もう決めた事ですから」
大熊さんと僕が、衛星電話を使って蓮君の伯母さんとも話し合ったのだが・・。
蓮君の意志は、僕達の想像以上に固かった。
蓮君は僕達に、
「皆さんにご迷惑をお掛けする事も十分分かってます。それでも、よろしくお願いします」
そう言って深々頭を下げた。
ある晩。
蓮君が自室でベッドサイドに腰掛け、そっとお腹をさすっているのを見てしまった。
未だぺたんこのそのお腹に宿った、その命をどれだけ大切に思っているのか・・。
僕には何故だか、分かるような気がした。
「・・そこに居るんですか、南さん?」
「ひゃっ」
早々にばれてしまい、僕は扉の向こうで軽く飛び上がってしまった。
「あははは・・・相変わらず、面白い声」
「相変わらず意地悪だな、蓮君は」
「フフッ・・すみません」
僕は蓮君の部屋にお邪魔し、蓮君の隣に腰掛けた。
「どうかなさったんですか?」
「ああ・・きらり君が夜食食べたいってごねてて・・。だったら、君もどうかなと思って」
「ああ、じゃあ僕も」
「何にする?近所なら時間的に未だデリバリーも頼めるけど」
「・・僕は、南さんが作ったものがいいな。南さんのご飯、美味しいから」
「嬉しい事言ってくれるなあ・・。じゃあ、腕を振るうとしますか」
「楽しみにしてます」
そのまま僕が立ち上がろうとすると、蓮君は僕の手を掴んだ。
「何故、この子を産もうとしてるのか、聞かないんですか」
その表情には・・不安がにじみ出ていた。
僕はそのまま座り直し、蓮君のお腹をじっと見つめた。
「・・触って、いい?」
蓮君には意外だったのか、最初はきょとんとしていたのだが、笑顔で頷いた。
触らせてもらった蓮君のお腹は、やっぱりぺったんこだ。
男なんだから当然だし、何より未だ妊娠一か月ほどなのだから仕方無い。
でも僕にはわかっていた。
「あの、アイドルの誰か・・。その彼の事、好きだったの?」
蓮君は驚いて、僕の目をじっと見た。
僕は明るく笑って、彼にこう告げた。
「だって。僕も同じオメガで同じ目には遭ったけれど、あいつらの子を産みたいだなんてきっと絶対に思わない。でも君は「産みたい」って、そう強く願ってるんでしょう?それじゃあ・・答えは言うまでも無いよね」
蓮君は思わず俯いてしまった。
僕はその背を、優しく撫でた。
「言わないよ、誰にも。君が望むのなら、大熊さんにも黙ってる。・・大丈夫」
蓮君が再び顔を上げると・・そのガラス玉の様な綺麗な瞳には、泪が滲んでいた。
「フフッ・・・優しいなぁ、南さんは。南さんが、僕のお母さんだったらよかったのに」
僕は蓮君の肩を優しく抱いた。
「でも残念だけど、僕がお母さんだったら君、こんなにイケメンじゃあ無かったよ」
「・・そうですね、南さんみたいに小動物みたいで、小さくて可愛かったかも」
「酷いな、これでも一応気にしてるんだから」
「フフッ・・・。・・僕、ARRIVALの来栖 来人さんと付き合ってたんです。もちろん、お互い事務所に内緒で」
「へぇ・・あの子達、全員格好良かったもんね。何か分かる。憧れるよね、ああいう
自分には無い”絶対的な格好良さ”ってさ」
「ええ。あの時・・・最初に、僕を抱いたのは・・・その来人さんです」
「・・・・・そっか。だから、か」
「・・・・・はい」
蓮君はそれ以上何も語らなかった。
僕もそれ以上何も詮索はしなかった。
それから半月ほどして、漸く蓮君の伯母さんが息子を連れて来日した。
一週間後、彼女たちの故郷である静岡県浜松市に、蓮君は元気に向かって行った。
笑顔で、手を振りながら。
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